2013-01-01から1年間の記事一覧

十変百化。

「十変百化」なんてヘンな言葉だなー、そんな言葉はないよ、と思われるお方は正しい。「千変万化」という言葉はあるが、「十変百化」という言葉はない。 しかし、常に「千変万化」の1/100程度の変化を遂げている人はいる。私は、「十変百化」と呼ぶ。犬…

夏の記憶(3) 孫娘。

さほど離れていない所に住んでいるので、孫娘、時折り来る。遠方に住む婿殿の親御さんに、申しわけない思いあり。何のかのと言っても、心安らぐ。その頻度が高いので。 孫娘、間もなく満2歳となる。 7月初旬。 オムツの上には下着のみ、という恰好で走りま…

夏の記憶(2) 一升瓶。

夏の初めの頃、昼は蕎麦屋、夜は飲み屋、という店で飲んでいた。夕刻、丁度、飲み屋に切り替わった頃。 酒飲みである江戸川区と葛飾区のエキスパート・S.H.も一緒に。S.H.、日本酒が好み。ひと晩に幾つかの銘柄を飲む、というのが好きだ、という。幾つか…

夏の記憶(1) 空蝉。

夜間は冷える。完全な秋となった。いつしか蝉噪はなく、虫の音のみ。 で、夏の記憶を少し。 4〜5年前には、小学生坊主のセミ取りと競争してセミの写真を撮っていた。もちろん、生きているセミや鳴いているセミの。 しかし、今年は生きているセミや鳴いてい…

幾つになっても気が高ぶる。道とか路とか、と聞くと。

ビート・ゼネレーションとか、ビートニクと呼ばれる時代があった。熱かった。 1955年、サンフランシスコでアレン・ギンズバーグによる『吠える』の朗読が行なわれる。 1957年、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』が出版される。 1959年…

ノリノリ恋のウディ節。

キム・ギドクの重くドロドロとした愛もあれば、ミゲル・ゴメスのセピア色に変色した植民地での灼熱の愛もあり、瀬戸内寂聴の”どちらも私を満たし、そして心を乱す”という湿気を含んだ愛もある。 いずれも愛には違いない。でも、考えてみれば、みんな肩に力が…

色まんだら百葉。

<ひとりの女とふたりの男の、センセーショナルな愛の物語>、と謳われている瀬戸内寂聴の小説『夏の終り』、累計で100万部も売れているそうである。 その映画化。 脚本:宇治田隆史、監督:熊切和嘉。 ひとりの女・染色家の知子には、満島ひかり。ふたり…

切ない記憶。

さほど込みいった話ではない。しかし、とても不思議な映画である。思いに残る映画である。 ポルトガル映画『熱波』、2部構成のモノクロ映像である。 第1部の舞台は、ポルトガルのリスボン。 「楽園の喪失」と題される。 社会福祉活動をしている初老の女性…

中秋の名月。

昼間、外へ出ていた。夜、帰る道すがらふと気がついた。丸い月が出ている。 そうだ、今日は旧暦8月15日、中秋の名月だ、と。 実は、昨日も昼間、外へ出ていた。しかし、夕刻からご馳走になり、少し酒も入っていたためか、帰途、丸い月は出ていたはずなの…

秋場所二日目。

いかに凄いヤツ、逸材とは言っても、この春までは学生であった男である。幕下力士と2場所取り、十両で取ったのは、たったのひと場所。幕内でどの程度取れるのか。 遠藤、今日の相手は、佐田の富士。 遠藤、小兵とは言わないまでも、小型力士である。体重は…

秋場所初日。

相撲が始まった。 今日、秋場所初日。 3時から観る。ビール片手。350ミリであるが、打ち出しまでに3本。酔ってボー。メシも食いたくないな。ブログもめんどくさいな。映画がらみのブログ、あと少しで一旦打ち切ろうかと考えているが、今日はそれもお休…

愛か、否やか。

ソウル市内の町工場がひしめく一画、血も涙もない借金取りの男・ガンドが、金を取り立てに行く。親の顔も知らず、30年間、天涯孤独に生きてきた男である。 利子が元金の10倍にも膨らみ、返済ができなくなった工場主には、工場の機械で腕を切り落とさせる…

無邪気なカリスマ。

20年少し前になろうか、ある時から、バレーやダンスを観るのがやたら好きになった。とっかかりはミラノのスカラ座。スカラ座の天井桟敷の当日券が買えると聞き、すっ飛んで行った。 スカラ座のバルコンの天井桟敷、立見席である。チケット代は、日本円換算…

哲人サイバラ。

西原理恵子を意識するようになったのは、20年以上前になる。神足裕司と組んだ「週刊朝日」の連載「恨ミシュラン」。ミシュランの星を持つ、敷居の高い店を切りまくっていた。 しかし、熱心な読者ではなかった。 元の亭主であり、イラクで殺されたあの橋田…

ウーン、何じゃこれー。で、ハイヨー・シルバー。

2か月ほど前の近所のシネコンには、こういうスタンディが立っていた。 こういうものを見ると、見なきゃしょーがなかんべ、と思うよね。 『ローン・レンジャー』か。 ジョニー・デップと「パイレーツ・オブ・カリビアン」の製作&監督が組んだんだ。 ”王道エ…

今、こんな女優いるのかな。

100年強に亘る日本映画の歴史に於いて、その黄金時代は二度あるそうだ。最初は、1920年代後半から30年代にかけて。そして二度目は、1950年代から60年代にかけて。 映画史の研究者、学者というばかりじゃなく、現代屈指の映画見巧者でもある四…

異国で一人生きる、ということ。

虚空を見つめるような目、”への字”のように両端が下がった唇。キレイキレイの女優ではないが、痺れるような女優であった。 ルイ・マル、弱冠25歳の監督作『死刑台のエレベーター』、1958年の作であるが、日本公開は60年代に入ってからではなかったか…

訂正します。

ここ暫く出歩くことが続き、宮崎駿の引退報道以外、ブログもお休み続きとなりました。 その間、一昨日、大橋美加さんからメールをいただきました。8月28日、新宿のJAZZ SPOT Jでの大橋美加&Gemstonesを記した私のブログの記載について…

風姿花伝。

つい今しがた、こういうニュースが流れた。 ベネチア国際映画祭、コンペティション部門出品作『風立ちぬ』の公式会見終了間際に、スタジオジブリの代表取締役社長がこう話した、と。 「『風立ちぬ』を最後に、宮崎駿監督は引退することを決めました」という…

JAZZ SPOT Jでの鳥・宙・人。

半月少し前、島谷のカミさんから手紙がきた。 島谷晃、何度か記しているが、学生時代のサークル仲間。仲間で唯一絵筆一本で食ってきた男である。3年前に突然死んだ。 <4月に100号2点を含む8作品を、会津八一記念館に入れていただきました>、と記さ…

これは、あり得るかもしれない。

ホワイトハウス、またもや攻撃を受けている。 昨日の『エンド・オブ・ホワイトハウス』は、2か月ほど前に観たもの。今日の『ホワイトハウス・ダウン』は、1週間ほど前に観たものである。 タイトルもよく似ているが、そのコンセプトも酷似している。実はこ…

あり得ないよな、と思いつつ。

旅客機を乗っ取り、WTCやペンタゴンに突っ込むことはできたが、まさか、これはあり得ないよな、というお話である。 ホワイトハウスが陥落する。テロリストの手に落ちる。 空からはガンシップの攻撃。しかも、機体にはUSAFと記されたガンシップ。バリ…

自由という大悟。

これもニューヨークのお話。但し、郊外のロングアイランドではなく、ど真ん中のマンハッタン。 主人公は、ギャツビーとは対極の男。 住んでいるのは、カーネギー・ホールの上の小さなアパート。ネガフィルムの入ったキャビネットと簡易ベッド以外、何もない…

ローリング、ジャジー & ショーウィー。

20世紀で最も熱かった時代は何時か、アメリカの場合は1920年代であろう。 第一次世界大戦後のアメリカ、世界のトップに躍り出た。 Roaring 20th(狂騒の20年代)であり、Jazz age(ジャズ・エイジ)のアメリカ。1929年10月…

自らを信じる男の物語。

昨日の夕刊、朝毎読は一面トップ、しかも紙面の2/3を占める。イチローの偉業、中面でも大きく。さすが、と言うか何と言うか、日経の一面だけは囲みであったが。 今日のスポーツ紙が面白かった。通常、見開き全ペーとは、中面を開いた全ページということで…

終わったか。

今日の日本のメディア、イチロー一色。それは当然。 しかし、私にとっての今日は、藤圭子の死。 藤圭子の死は、私に二重の衝撃を与えた。 彼女の死が自死である、ということではない。それは考えられることであったから。 藤圭子の死を伝えるメディアの報道…

金より名。

遅く帰ってきたり、終日家にいても夕方から飲みだし、いつの間にかビールが焼酎に変わってボウとなったりで、ブログ3日間お休みにしました。が、また映画に戻ります。 ロンドンに住まいするメディア王・シャバンディーの雇われ鑑定士・ハリー、雇い主からコ…

昭和20年の風太郎。

<今から考えて、正気の沙汰ではない思想もあるし、見当ちがいの滑稽な判断もあるし、前後に矛盾撞着もあるし、「日記は自分との対話」だとはいうものの、当然年齢相応の、青くさい、稚拙な、そのくせショッた、ひとさまから見れば噴飯物の観察や意見もある…

タブーに挑んではいる。でも、違う(続き)。

『終戦のエンペラー』、フィクションを取り入れてはいるが、史実を忠実になぞっている、と言う人が多い。各紙の評も概ね良い。 このハリウッド製の歴史劇、ハリウッドでなければ、日本では作ることのできない映画である。しかし、私には史実に忠実であるとは…

タブーに挑んではいる。でも、違う。

68年目の終戦記念日。 正午、日本武道館での全国戦没者追悼式。 NHKの画面に向かい黙祷す。 今上天皇のお言葉。 例年通り。 昨年よりは、お元気そうに見受けられる。 今上天皇には、いつまでもお元気で、という思いを強く抱く。 1945年8月15日、…