2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

吉備の国アート巡り(9) 本町通り。

江戸時代、倉敷と早島を結ぶ主要な街道であったのが本町通り。倉敷川畔から一本入った道である。昔の街道であるから道幅は狭い。その両側に町家が立ち並ぶ。 大原家の住宅と迎賓館のあいだを入ってぶつかるところ、石造りの中国銀行のあたりから歩く。街道を…

吉備の国アート巡り(8) 重要伝統的建造物群保存地区。

日本のあちこち、古い町並みや家並みが残っているところがある。 宿場町、武家町、商家町、寺町、・・・・・、山村の集落などもある。その中でも「これは」というものが、「重要伝統的建造物群保存地区」と認定されている。略して「重伝建」。全国に百余ある…

吉備の国アート巡り(7) 倉敷民芸館。

久しぶりの倉敷民芸館。 企画展は「スリップとイッチン」。 倉敷民芸館、平目地瓦張の壁に倉敷窓。 入口。 その右手にはこのようなものが。 倉敷美観地区の古民家再生の第一号なんだ。 幾つもの米蔵に囲まれた小さな中庭。 その美しさ、目を瞠る。 右手の方…

吉備の国アート巡り(6) 児島虎次郎記念館。

<大原美術館は、大原孫三郎と画家、児島虎次郎の友情に端を発している。・・・・・。虎次郎は、1902年、有為の学生に対して大原家が学資支援を行っていた大原奨学生の面接を受けるために孫三郎にはじめて会った。・・・・・>。 <1907年(明治40…

吉備の国アート巡り(5) 大原美術館分館。

少し早い昼飯を食うため、中央通りの方へ戻る。倉敷美観地区近辺の”いかにも”っていう店よりも、普通の佇まいの食堂で食べよう、と思って。 ごく普通のレストランへ入る。定食のひとつにイノシシのソテーがあった。美作のイノシシ、と記されている。訊ねると…

吉備の国アート巡り(4) 大原美術館工芸館・東洋館。

大原孫三郎は、西洋美術、日本美術ばかりでなく、民芸、工芸にも力を入れる。そのきっかけは、柳宗悦や濱田庄司、河井寛次郎たちへの肩入れ、後援。 1943年(昭和18年)、孫三郎が世を去った後も、後を継いだ長男・大原總一郎に引き継がれる。工芸館、…

吉備の国アート巡り(3) 大原美術館本館。

大原美術館へ。 大原美術館へは3度目である。30年近く前、そして20年近く前、そして今度。 白壁と蔵造りの街並みを少し歩くとすぐ右手に大原美術館。 上の方に三角屋根のペディメントが見える。 大原美術館本館のファサード。設計者は、薬師寺主計。 上…

吉備の国アート巡り(2) 大橋家住宅。

日本人に最も読まれている紀行、謂わば国民的紀行は、松尾芭蕉の『奥の細道』と司馬遼太郎の『街道をゆく』ではなかろうか。 その司馬遼太郎の『街道をゆく』の連載が「週刊朝日」で始まったのは、1971年(昭和46年)であるが、その3年前の1968年…

吉備の国アート巡り(1) 青のモノクローム。

3月末のこと、夜、倉敷に着いた。 駅前のホテルに入り、暫らくの間ベッドにひっくり返っていた。その後、夕飯を食うため外へ出る。 駅前からの倉敷中央通りを歩く。歩いている人は少ない。と、右手に明かりが見える。扉は閉まっている。人の気配はない。 し…

河瀬和世の襲色目、唸る。

暫らく前、河瀬和世さんからハガキがきた。 案内ハガキの一部。 河瀬さんは2点出品の模様。 ギャラリーの主、ラストワルツを踊ってくれ、と記している。それより、前期、後期、それぞれ40人弱の作家が参加している。 他に所要があり、初日の昼過ぎに訪れ…

夷酋列像、夷人を勧懲するという狙いがあったんだ。

江戸時代後期になろうか寛政元年(1789年)5月、クナシリ・メナシの乱が勃発した。 松前藩の御用商人の過酷な行いに130人のアイヌが決起、和人70人余を殺害した。松前藩は精鋭260人の鎮圧隊を送りこみ制圧、捕まえたアイヌ37人を処刑した。今…

杉花粉から創世記まで山宣節。

熊本ばかりじゃなく、九州ではつぎつぎと地震が発生している。テレビからは休みなくと言ってもいいくらい「緊急地震速報です」、という声が流れている。 自衛隊や警察、消防その他、多くの人が行っているが、被災地への物資がいきわたってない、という。交通…

前震、本震、余震。

一昨日夜の熊本大地震、9人の方が亡くなった。マグニチュード6.5、震度7というのだから驚いた。 が、今朝起きたら、また驚いた。今日未明にマグニチュード7.3、震度6強の地震が起こった、という。死者も多く出ている、という。今夜現在、今日未明の地…

地震国。

震度7には驚いた。日本国民、熊本県益城町の人たちには、各人応分の支援をする必要がある。 3.11、東日本大震災から5年、阪神・淡路大震災から21年、その間、新潟中越地震もあった。日本国、10年に一度どころか5、6年か7、8年に一度はドデカイ…

時。

飼い犬が死に、ゴールデン街で火事があった。いずれも思い入れがある。 時、時間ということを考えた。 ボンドとは8年弱の時間であった。ゴールデン街は、ここ何年かは年に一度の犬飼三千子の展覧を観るため行くぐらい。あとせいぜい行っても、一回程度。行…

別れ。

先月末、瀬戸内の直島にいる時カミさんから連絡があった。 昔から旅に出る折りには、泊まる予定の分かっているホテルの電話番号を残していく。また、携帯も持っていく。しかし、この何十年、カミさんから旅先へ電話があったことはなかった。自分の亭主はもと…

今年の桜(6) 岡山後楽園の桜。

4月1日の岡山、昨日の東京のように雨模様であった。 夢二郷土美術館を出、すぐ前の蓬莱橋を渡り後楽園へ。 蓬莱橋の上から見た後楽園の外周、旭川の細い水路の堤防、桜花真っ盛り。 後楽園は、この右側である。 日本三名園の一つ、岡山後楽園の来歴である…

今年の桜(5) 新宿御苑の桜。

今日、朝からの雨。 どうぶつ社を完全にたたんだ久木と、毎日絵描きの杉浦と新宿駅南口で待ち合わせ、新宿御苑へ。新宿御苑の桜、雨に打たれながらも満開であった。 雨は雨で、またよろしである。 雨の中の新宿御苑。 歩道に落ちた花びらが描く模様も美しい…

今年の桜(4) 直島の桜。

宇野からフェリーで20分、ベネッセのアートサイト・直島に着く。瀬戸内国際芸術祭2016、3年に一度の瀬戸内トリエンナーレ春の部が今月17日まで開かれている。 直島、小さな島である。そうは言っても島は島。が、桜木は驚くほど見かけなかった。3月…

今年の桜(3) 倉敷川の桜。

大阪から倉敷へ。倉敷は久しぶり。 美観地区の倉敷川沿い、白壁土蔵、なまこ壁が連なる。桜はやはり、2、3分咲きであろうか。 しっとりとした街並みに桜花がフィットする。 ここいらはまだ1分咲き程度であろうか。 川向こうの建物は、大原家の邸宅である…

今年の桜(2) 万博記念公園の桜。

民博(国立民族学博物館)が好きで、何年かに一度は訪れる。ちょうど一週間前の3月28日にも何年ぶりかで訪れた。 大阪モノレールを降り、万博記念公園の中を民博の方へ歩く。 昨日行った利根運河の桜は、両岸で約160本である。しかし、万博記念公園の…

今年の桜(1) 利根運河の桜。

筑波大でまず思い浮かぶことはラグビーの強豪校ということであるが、何でもありの学校なんだ。芸術専門学群書専攻という分野もある。暫らく前、偶々知り合った茂野柰園(しげのだいえん)さんは、そこの出身。女流。 その書、とても力強い。 今日まで、東武…