2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

松浦延年展。

地下鉄茅場町で降りる。すぐ近くは日本橋、そして兜町である。日本のウォール街である。すぐそこに東京証券取引所があり、証券会社や銀行が軒を並べる。 が、表通りから小さな道を横に入ると・・・ 古き良き昭和の面影。 SPC GALLERYはそこにある…

日本のこころと美2018 奥宣憲の書展。

「日本のこころと美」を追う奥宣憲の書、東京での開催は2年に一度。 銀座1丁目ギャラリーいず。 昨年、京都で特別展を催している模様。 ギャラリーへ入ると先客がいた。 左が作家の奥宣憲。 漱石、子規の生誕150年にあたるそうだ。 漱石について・・・ …

平塚ショウ展 −風と光の行方ー。

海面を描き続ける平塚ショウの個展、1年ぶりとなる。 JR石川町の元町口から数分でATELIER・Kが現れる。 平塚ショウ展、サブタイトルは「風と光の行方」。昨年の個展の時と同じ。 「風と光」、物体ではないものである(科学的にはどうかは知らない…

一切智の人 南方熊楠展。

たまに、「智の巨人」とか「知の巨人」と称せられる人がいる。今の日本では誰かな。以前の一時期、立花隆がそう呼ばれていたことがあるが、今ではパワーが落ちている。 「巨人」というもの、「智」であろうと「知」であろうと、「奇人」や「怪人」の要素を併…

栃ノ心の夏場所。

初場所は14勝1敗で優勝、春場所も二桁の勝ち星をあげた。 初場所は平幕であったから直近3場所で33勝という目安は適用されないが、そうは言っても先場所の勝ち星も二桁に乗せた。 しかし、3場所続けての大勝ちは難しかろう、というのが場所前の大方の…

東博の桜 2018。

今年は花見には行かなかった。唯一東博へ行ったのみ。 3月末の東博。 本館裏の庭園への入口にミカドヨシノ。 春草廬の向こうにヤマザクラ。 今年は桜の開花が速かった。 散り落ちた花びらがあちこちにある。 転合庵の裏から池を挟み本館を見る。 水面にも散…

河瀬和世展<和紙・コラージュ>。

2月上旬、知り合いの何人もの作家の発表が重なってあった。何とか行くことができたが、その後すぐ入院となってしまった。中下旬には河瀬和世さんの発表がある。行くことができるかなと思っていたが、退院してすぐ後、会期末ぎりぎり吾妻橋を渡ってすぐのギ…

NAU21世紀美術連立展。

1月下旬だったか、犬飼三千子から「NAU21世紀美術連立展」なる案内も来ていた。 新槐樹社展と同じ国立新美術館で、会期もまったく同じ2月上旬から。 <現代アートの今を見る>、と大上段に振りかぶっている。 入る。 「現代アートの今」、なにやらご…

第62回 新槐樹社展。

国立新美術館での新槐樹社展へ行くようになって8年目となる。 1月の半ば過ぎ、もうそろそろ来る頃だなと待ちかまえている。 と、光田節子から案内ハガキが届く。知り合いの絵描きからの展覧会案内は時折り届くが、光田節子からの案内ハガキは「来たな」っ…

丸山則夫 「季節の瞬間」展。

Gallery銀座一丁目を出た後、同じ奥野ビルの501へ行った。丸山さんはいるかな、と。 剥げた廊下と壁。そこに置かれたArt Space RONDOの小さな看板、OPENとなっている。 丸山さんはいた。いつもまったく変わらない穏やかな表情の…

.LOVE展。

2月初め、軍手の作家・相本みちるさんから来た封書に、案内ハガキと共に一筆箋が入っていた。 <新作の呆気羅漢を各ギャラリーで・・・>、と記されている。 相本みちるも言葉遊びが好きな人。 銀座1丁目のGallery銀座一丁目の.LOVE ART&L…

版画家 Allumage展。

銀座1丁目、K’s Galleryでの今年の「版画家 Allumage展、山宣のGROUP表現と同会期、はしごする。 この色調、色感がいい。 アルマージュ、たしか「点火」という意であった。 17人の版画家の今年の「点火」。 どのようなギャラリーも…

GROUP表現 11−女ー展。

第11回となるGROUP表現展、今年のお題は「女」。 京橋のgalerie SOLEIL。 ギャルリー・ソレイユ、小ぶりな細っこい画廊である。中へ入ると左の方に大きな人がいる。 見たことがある人だなと思う。このグループの世話人のような廣瀬創さ…

山岸忠正油絵展。

有楽町駅前の東京交通会館の地下には、画廊が3つか4つあるそうだ。2月初め、その中のやや広めのギャラリー・ゴールドサロンで山岸忠正の油絵展が催された。 山岸忠正は、学生時代のサークル仲間である。リタイアした後、絵を本格的に描き始めたそうだ。先…

現代の写実−映像を超えて展。

現代の写実、リアリズム、それはどのようなものか。 映像は、そのものをそのままに映す。ではそれを超える現代の写実、リアリズムとは。 年初、会期末ぎりぎり観に行った。 東京都美術館、地上階は特別展が催される。 そして、下の方、地下のギャラリーでは…

「住み果つる慣らひ」考(23)。

この1年半ばかり何度か身体の具合が悪くなり、そろそろそのことを考えた方がいいなと思うようになった。 昨秋と今春、二度の入院で感じた病人たちの様ということもあり、孫娘や孫坊主たちの姿に「これは引き継ぎ時だな」と思ったこともある。 で、”「住み果…

「住み果つる慣らひ」考(22)。

<1968年に亡くなった画家マルセル・デュシャンの墓碑銘には、「さりながら死ぬのはいつも他人」という言葉が彫られているそうである>、と大岡信の『永訣かくのごとくに候』(弘文堂 平成2年刊)の「序 死ぬのはいつも他人」は書きだされる。 25年以…

「住み果つる慣らひ」考(21)。

すごく面白い本である。とても深く興味深い日本論である。ひと月前までこのような本があることなど知らなかった。モーリス・パンゲ著、竹内信夫訳『自死の日本史』(筑摩書房 1986年刊)である。 もちろん持っていない。幸いなことに市の図書館にあった…

「住み果つる慣らひ」考(20)。

伊香保での老いた竹久夢二(と言っても竹久夢二、まだ40代であるが)の描写から、川端康成の『末期の眼』は始まる。 <梶井基次郎氏が死んでから既に三年、明後日は古賀春江氏の四七日(よなぬか)であるが、私は二人についてまだ書けない。・・・・・ 。…

「住み果つる慣らひ」考(19)。

毎日が日曜日のようなものなのだが、世の中の皆さまはゴールデンウィーク。そこで私も昨日までの3日間、休みのふりをした。 と言っても、どこにも行ってない。映画を観に行き、帰りに安い飲み屋に寄った程度。あとは何冊かの本を読んだくらい。 この間、イ…

「住み果つる慣らひ」考(18)。

ロサンゼルスに住むハリエット・ローラーという名のバアさんは、とても「いい死」を遂げる。 ソファに座ったまま、突然コト切れるんだ。おそらく、ご本人も気がつかない内に。 このバアさん、知り合いのすべての人から嫌われている。傲慢で自分勝手なクソバ…

「住み果つる慣らひ」考(17)。

江國滋が死ぬ丁度10年前の1987年7月、千葉敦子がニューヨークで死ぬ。やはり壮絶ながんとの闘いの末。 共にがんと凄まじい戦いをしているのであるが、日米のと言うか東京とニューヨークのというか、決定的に異なることがある。 江國滋は、国立がんセ…