切ない記憶。

さほど込みいった話ではない。しかし、とても不思議な映画である。思いに残る映画である。

ポルトガル映画『熱波』、2部構成のモノクロ映像である。
第1部の舞台は、ポルトガルのリスボン。
「楽園の喪失」と題される。
社会福祉活動をしている初老の女性・ビラール、隣りに住む80代の老女・アウロラの世話も焼いている。アウロラ、金があるとカジノへ入り浸り、有り金すべてをすってしまうエキセントリックなバアさん。サンタという名の黒人メイドがついている。
そのバアさん・アウロラ、死の間際に「最後に一目、会いたい人がいる。探してくれ」、と言うんだ。
で、第2部へ切り替わる。
第2部のタイトルは、「楽園」。
死の間際のアウロラが「最後に一目会いたい」、と言っていた男、いまは老人となっているその男・ベントゥーラの回想となる。
その舞台は、50年前のアフリカ。ポルトガルの植民地でのお話となる。おそらく、アンゴラかモザンビークあたりと思われる。
その地での、若き日のアウロラとベントゥーラの身を焼く悲恋の物語となる。
若き日のアウロラは、ポルトガルの植民地の農場主の妻。そこへ流れ者のバンドマン・ベントゥーラがやってくる。二人は、道ならぬ恋に落ちる。すべてを投げ捨て、駆け落ちをする。
しかし、・・・・・
となる。
そして、50年経ってのリスボンである。

『熱波』、監督はミゲル・ゴメス。
1972年生まれ、今、41歳のポルトガルの駿英。凄い映像を撮った。

全篇モノクロであるが、第1部と第2部では、フィルムを変えている。第2部の「楽園」、アフリカでの模様は、粗い映像。セピアとも感じられるモノクロとなる。
しかも、会話はサイレント。不思議、趣き深い。
50年前、アンゴラだかモザンビークだか、ともかくポルトガルの植民地の農園のプールの傍で、何人かの流れ者のバンドが演奏する。植民地の若者がプールの周りで踊る。もちろんヨーロッパからの白人ばかり。
流れ者のバンドは、「Be My Baby」を演奏する。60年代初めのアメリカン・ポップスだ。コロニーの7〜8人の白人の若者、プールの周りでツイストを踊る。その場には、アウロラもいる。
植民地の情景って、そういうものだったんだ。

若き日のアウロラとベントゥーラ。
扮する役者は、アナ・モレイラとカルロト・コッタ。
少し本筋からは外れるが、実は、ベントゥーラ役、初めは、「アレッ、ジョニー・デップが出ているのかな」、と思った。こんなマイナーなモノクロのポルトガル映画にジョニー・デップが出ているワケはないな、と思いながらも。
もちろん、カルロト・コッタ、ジョニー・デップとは別人であるが、とてもよく似ている。

『熱波』、第1部のリスボンと、第2部のアフリカのポルトガルの植民地の映像で構成されている。
しかし、その前に短いプロローグがある。
こういうような映像。
おそらく19世紀のアフリカ、ヨーロッパの探検家が、白いヘルメットを被ってアフリカの地にわけいる。ヨーロッパ諸国による植民地支配。
ポルトガル、最後まで植民地にしがみついていた。
1960年代初めに植民地の独立闘争が起こり、その戦いは10年以上続く。アンゴラやモザンビークが独立を勝ちとったのは、1975年。
”サウダージ”って言葉を思う。
ポルトガル語なんだ。”Saudade”って。
”失われた切ない記憶”って意味に繋げてもいいんじゃないか、と考える。