異国で一人生きる、ということ。

虚空を見つめるような目、”への字”のように両端が下がった唇。キレイキレイの女優ではないが、痺れるような女優であった。
ルイ・マル、弱冠25歳の監督作『死刑台のエレベーター』、1958年の作であるが、日本公開は60年代に入ってからではなかったか。
自殺に見せかけ自らの夫を殺した恋人が、待ち合わせの場に現われない。恋人を探し、夜のパリの街中を彷徨う女。そこへ被さるマイルス・ディヴィスのミュートをつけたペットの調べ。半世紀前の若い男はみな痺れた。
ジャンヌ・モローの存在、確固たるものとなった。
実はそれ以前、ジャン・ギャバンのフィルムノワール『現金に手を出すな』にジャンヌ・モローは出ている。しかし、この時はまだ小娘。さしたる印象はない。何と言ってもルイ・マルの『死刑台のエレベーター』以降である。ジャンヌ・モローの存在感が際立つのは。
それから50年以上となる。
今、85歳となるジャンヌ・モローの存在感、際立つなんてものじゃない。ジャンヌ・モローの存在そのものが、伝説となっている。
皺だらけの顔である。老醜と言える。しかし、その老醜が、神々しい美に転化している、とも言える。

『クロワッサンで朝食を』、エストニアの若い監督、イルマル・ラーグのデビュー作。
エストニアで母を看取ったばかりの50代のアンヌに、パリで家政婦をしないか、という仕事が舞いこむ。
亭主はいない。子供も既に独立している。なにしろパリは、若い頃からの憧れの地でもある。エストニア人の50代の女性・アンナ、家政婦としてパリへ行く。
アンナを待ちうけていたのは、高級住宅地として知られるパリ16区の瀟洒なアパルトマンに暮らすフリーダ。やはりエストニア出身の老女。

この女である。
頑固で気難しい女。パリ16区の高級アパルトマンに一人で住んでいる。老醜を美に転化したジャンヌ・モローが演じる。
家政婦など雇った覚えはない、という。クロワッサンの買い方も知らぬ女など出て行け、という。わざと紅茶をこぼし、拭き取れという。
度し難い女である。
実は、アンナを雇ったのは、ステファンという男なんだ。ステファンもやはり、エストニアの出身。パリのカフェのオーナー。親子ほども年が離れているが、フリーダのかっての愛人なんだ。
フリーダ、多くの愛人を持った。しかし、本当に愛したのは、死んだ亭主とステファンだけだ、という。
老女・フリーダ、エストニア人でありながらエストニア語を話さない。話すのはフランス語のみ。
異国で一人生きるってことを考える。
身の周り、さまざまな鎧で固めるってこともあり得る、ということ理解できる。

85歳のジャンヌ・モロー、老醜をさらしている。
しかし、そこにジャンヌ・モローがいるってこと。
気難しい老女・フリーダ。その仕打ちに耐えきれず、夜のパリを彷徨うアンヌ。その映像がいい。
ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』での夜のパリの流離いとは、また一種異なるパリの流離い。これもまた、趣深い映像である。

シネスイッチ銀座のスクリーンへ降りる途中のウインドーには、このようなディスプレー。
クロワッサンは、ナプキンで表わされているか。
それはともかく、異国で一人生きる、ということ、このような突っ張りの連続なんだな、という思いしきり。