風姿花伝。

つい今しがた、こういうニュースが流れた。
ベネチア国際映画祭、コンペティション部門出品作『風立ちぬ』の公式会見終了間際に、スタジオジブリの代表取締役社長がこう話した、と。
「『風立ちぬ』を最後に、宮崎駿監督は引退することを決めました」という電撃発表。
8月13日のブログに記したが、『風立ちぬ』は、私にとっての初宮崎駿。それまで観なかったことを、我が身に恨んだ。
それはそれとして、『風立ちぬ』、不思議な趣きがあった。
宮崎駿、敢えて何も主張しないんだ。
ゼロ戦が何たる飛行機であるか、ゼロ戦が如何なる行いを為したのか、ということについて。
宮崎駿、秘かなメッセージを送っているな、と感じた。
で、8月13日のブログ、最後にこう記した。
その日、8月13日のブログの終わりの2行をコピーする。
「この映画でさしたる主張をしていない宮崎駿、そのしないところに、大きな思いがあるようにも思われる。
 最後の作品、最後のメッセージを隠したのかもしれない。」
そうなった。
私にとっては、初宮崎駿であった。
しかし、どこか、宮崎駿、『風姿花伝』、”秘すれば花”、という世阿弥の美学を己に重ね合わせているな、という感は抱いていた。