2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

三陸沿岸紀行(18) 陸前高田。

JR大船渡線BRTは、先ほどから海辺を離れ内陸部を走っている。 向こうの方に白くて長いものが見えてきた。 これが、陸前高田のベルトコンベヤなんだな。 せっせせっせと土を運んでいるベルトコンベヤ。 あの日、2011年3月11日、陸前高田の中心部…

三陸沿岸紀行(17) JR大船渡線BRT。

あの日まで、盛から気仙沼までは、JR大船渡線の列車が走っていた。しかし、今は走っていない。BRTと呼ぶバスが走っている。 JR大船渡線ではある。が、BRT区間となっている。 BRTとは何ぞや。 少し読みづらいが、JR東日本のパンフにはこう記さ…

三陸沿岸紀行(16) 大船渡。

大船渡は、今、どうなっているであろうか。 3年半前、大震災の翌年1月、盛から乗ったタクシーの運転手に「大船渡へ、JRの大船渡駅へ」、と言った。運転手は「大船渡には何もありませんよ。JRの駅もありません」、と応えた。「そうですか、でも行ってく…

三陸沿岸紀行(15) 三陸鉄道盛駅。

盛には、思いがある。 3年半前の早朝、釜石からのバスで盛のサンリアというスーパーの前に着いた。時折り雪が舞っていた。周りにはコンビニもなければドトールやマックのような店もない。自販機さえない。サンリアが開くまでふるえていた。津波で親父とお袋…

三陸沿岸紀行(14) 三陸鉄道南リアス線。

ホテル・フォルクローロは、JRの駅の上に建っている。3年半前、遠野で泊まったホテル・フォルクローロは、朝カーテンを開けるとすぐ目の前にJRのホームがあった。 翌朝、釜石のフォルクローロのカーテンを開けると、目の前にはこれが見えた。新日鐵住金…

三陸沿岸紀行(13) 釜石。

30分ほどベッドに横になり、5時過ぎにホテルを出、タクシーで港の方へ行く。3年半前、大震災の翌年1月、訪れた港の方へ。 暫らく走ると、このような建物が目についた。 運転手、「あの青いところまで津波がきたんです」、と言う。3階の窓のところであ…

三陸沿岸紀行(12) 岩手県交通バス。

道の駅やまだで岩手産の柚餅子やブルーベリーのキャンデーを求め、3時44分発のバスで釜石へ。今度は岩手県交通のバスである。共に、JR山田線の振替えであるが。 船越湾の浪板。 2011年3月11日、このあたりには18.18m、19.09m、の津波…

三陸沿岸紀行(11) 山田。

岩手県北バスを道の駅やまだで降りる。乗換えだ。釜石へは岩手県交通のバスで行く。待ち時間は1時間10分。 道の駅やまだの中に入る。中は広い。 あちこちに<がんばってます!山田町!!>。 小さな案内所があった。 係の女性に「山田湾の方に行くにはど…

三陸沿岸紀行(10) 岩手県北バス。

4年半前のあの日まで、宮古から釜石へはJR山田線が走っていた。しかし、大震災に襲われてからはずっと運休。復旧のめどは、まったく立っていない。で、この区間はバスが振替輸送している。 宮古駅に戻った後、案内所でバス乗り場を訊ねる。まず何番乗り場…

三陸沿岸紀行(9) 宮古。

三鉄北リアス線で、12時少し過ぎに宮古に着く。小さなリュックをコインロッカーに預け、すぐにタクシーで港へ行く。 運転手には、「宮古港、漁港、魚市場のある所」、と伝える。と、運転手、「今日は日本丸が来ていますよ」、と言う。「日本丸か、写真でし…

三陸沿岸紀行(8) 三陸鉄道北リアス線。

三鉄北リアス線で宮古へ。 久慈10時35分発。 宮古まで約1時間40分。 久慈を出てから15分ぐらい経ったころ、陸中野田を過ぎたあたりにこのようなものが。 ほどなく車窓には、このようなものが現われる。 海岸線に高い壁、防潮堤を造っている。 それ…

三陸沿岸紀行(7) 三陸鉄道久慈駅。

いよいよ三陸鉄道・三鉄の北リアス線に乗る。 三陸鉄道久慈駅。 久慈駅、入口は鄙びた感じもある。しかし、中へ入ると元気いっぱい。 券売機の横も、すべての壁面、有効活用。 待合室には、手頃な価格帯のお土産というか名産品が並んでいる。 「うにほたて」…

歴史を。

阿南惟幾は、魅力に富んだ人物である。しかし、最後まで大日本帝国の陸軍軍人であった。ポツダム宣言に関し、国体護持のみの条件での受諾には終始反対し、抗戦を主張した。 老宰相・鈴木貫太郎と心が通じていたことは事実であろう。共に、昭和4年(1929…

責任そして自裁。

昭和16年(1941)10月18日、東條内閣成立。東條英機、陸軍大臣を兼務する。 同年12月1日、御前会議において、米英に対する開戦を決定。ただし、天皇は無言、発言せず。 3年余の後・・・ 昭和20年4月7日、鈴木貫太郎内閣成立。阿南惟幾、陸…

責任と責務。

70回目の終戦の日であり、敗戦の日である。 政府主催の全国戦没者追悼式。 ホストは、内閣総理大臣・安倍晋三である。 約310万人の戦没者を悼み、「戦争の惨禍を決して繰り返さない」、と述べた。しかし、日本が敗れたあの戦争のことについては、直接は…

三陸沿岸紀行(6) 久慈。

朝、廊下を走り回る子供の足音や、その親らしき男の声などがしていた。 ひとしきりそれらが収まった頃起きる。 窓を開けると、目の前には、これ。 駅に近いとは思っていたが、すぐ裏だったんだ。 右の方をみると、八戸の方への線路が見える。 食堂の壁には、…

三陸沿岸紀行(5) JR八戸線。

4時すぎのJR八戸線で久慈へ行くつもりでいた。しかし、その電車は超満員。おそらく多くの方々は、三社大祭の本八戸で降りるものと思われる。が、そのあまりの熱気に気圧され、1本後の電車にする。 八戸発17時19分の電車に乗る。 暫らくすると、その…

三陸沿岸紀行(4) 八戸三社大祭お通り。

八戸には地元紙がある。「デーリー東北」である。 8月1日の「デーリー東北」。 さすが地元紙、一面で大きく前夜の八戸三社大祭前夜祭の模様が報じられている。 私たちクラス会の面々は、種差海岸でウニ丼の昼食を取った後、バスで鮫へ。鮫から八戸線で本八…

三陸沿岸紀行(3) 種差海岸。

少し先の種差海岸へ。 一望の天然芝が続く。 大町桂月、草野心平、宮沢賢治、佐藤春夫、谷川俊太郎、三浦哲郎、司馬遼太郎、・・・、多くの文人が訪れている。 クラス会の面々も。 暑い。 女性陣は傘をさしている。 クラス会の皆さま、記念撮影。 50数年前…

三陸沿岸紀行(2) 蕪島。

翌朝9時半ホテルロビーに集合、八戸近くの海の景勝地へ向かう。 まずは、ウミネコの繁殖地・蕪島へ。 海岸沿いに走っているな、と思っていると、すぐこのような所に。蕪島が近いんだ。 右上に見えてきたのが蕪島。 蕪島。 あちこちにウミネコが。 3、40…

三陸沿岸紀行(1) 八戸クラス会。

4年半に近くなる。 2011年3月11日の東日本大震災の翌日だったか翌々日だったかに、一関のOと八戸のKに電話した。テレビに次々流れる映像に驚き。OもKも大学の学部の同級生である。 一関のOには繋がらなかった(後、他の級友の電話に繋がり安全…