JAZZ SPOT Jでの鳥・宙・人。

半月少し前、島谷のカミさんから手紙がきた。
島谷晃、何度か記しているが、学生時代のサークル仲間。仲間で唯一絵筆一本で食ってきた男である。3年前に突然死んだ。
<4月に100号2点を含む8作品を、会津八一記念館に入れていただきました>、と記され、<藤沢稻門会の後輩のOさんとTさんののはからいで、新宿のJで島谷の作品を展示することになりました>、とある。Oさんは絵描きであるが、Tさんは早稲田のジャズ研の人だとのこと。
早稲田、そこで何を学んだか、ということより、どういうサークルに入っていたか、ということの方が重視される学校である。(もちろん、真面目に授業に出ている学生もいないワケじゃありませんよ。念のため。)
しかし、早稲田は何でもありの学校で、サークルなどグジャグジャある。ジャズ関係でも幾つもあり、他を圧倒している。
ビッグバンドでは、早稲田大学ハイソサエティオーケストラ。ディキシーでは、早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズクラブ。モダンジャズでは、早稲田大学ジャズ研究会。ジャズ研、凄いコンボを持つ。ハワイアンもある。まだ他にもあったような気がする。
で、今日、昔からの仲間6人、新宿のJAZZ SPOT Jでの島谷晃の展示を見に行った。

5時、紀伊国屋前で待ち合わせ、まず区役所通りの居酒屋で飲み食い。7時少しすぎ、旧厚生年金会館近くのJAZZ SPOT Jへ。

今日のステージは、大橋美加&Gemstones。
大橋美加、大橋巨泉とマーサ三宅の娘。親の血を引きジャズシンガー。とても堅実な人生を歩んでいる。
問題は、Gemstonesである。大橋美加、Gemstonesは原石です、と言っている。原石、磨けば光ることもあるし、そうでないことも。

島谷の作品。

初日に展示を行った模様。

JAZZ SPOT J、ギャラリーとも謳っている。
左の作品は、『グリーン・ニューヨーカー』、リトである。私も持っている。ある時、突然、島谷から送られてきた。

薄暗い場、島谷夫人は平面よりも立体的要素を持つ作品を選んだようだ。

JAZZ SPOT J、満席となった。


JAZZ SPOT J、店内に入ってすぐにこういうものが貼られている。タモリや赤塚不二夫がいる。
タモリ、早稲田ジャズ研の出身。

島谷晃は、早稲田美研の出身。
島谷の世界、「鳥・宙・人」。

読めるかなー。

時間となり、大橋美加、ミュージシャン紹介で出てくる。

ピアノ、守屋純子、ビックリした。
あの守屋純子か。セロニアス・モンク・コンペティション作曲部門で、東洋人として初の優勝を飾った守屋純子か、と。
守屋純子は初めて見る。
しかし、彼女の書は読んでいる。『なぜ牛丼屋で ジャズが かかっているの?』(2009年、かもがわ出版刊)、という書。
<・・・・・なぜ、牛丼屋で、バックにジャズがかかっているのだろう。・・・・・わたしは来日ミュージシャンと食事をすることも多いのですが、彼らは、この「BGMは常にジャズ」という状態に一様にびっくりするようです。・・・・・「日本って本当にジャズが盛んな国なんだねー」と思うようです>、とこの書の巻頭で記す。
本当は、そんなことはないのにね、と。
守屋純子、早稲田のハイソ、ハイソサエティオーケストラの出身、早稲田を出た後、ニューヨークのマンハッタン音楽院の大学院を出、プロとなった。
穐吉敏子を継ぐのじゃないか、とも言われている。一瞬、鳥肌が立った。


後でオーナーに聞くと、ベースは、上羽康志。早稲田ジャズ研のOBだという。

今日のプログラムは、大橋美加&Gemstonesである。
磨けば光る原石が出てくるんだ。トップはこの人。
ジャズを習って2年、と言っていた。
”It’s Only a Paper Moon”、出だしを2度やり直していた。でも、やりきった。根性は座っていた。

お弟子さんの状態に、バー・カウンターの前の大橋美加は、少し心配顔であったが。

仲間の、毎日スケッチの石田は、小さな紙にボールペンを走らせている。

石田のスケッチ、こうなった。
1時間少しの大橋美加のステージの間に、石田は4〜5枚のスケッチを描きあげたようだ。

2番目に出てきた大橋美加門下生は、歌いかつサックスも吹いていた。

トリで大橋美加の登場。

大橋美加には、事前に、写真を撮りブログに乗せることの了承をとっていた。大橋美加、大口を開けて歌うことがあるので、そうじゃないところを撮ってほしい、と言っていた。
このショット、どうであるかは分からない。でも、ジャズ歌手・大橋美加、彼女らしいんじゃないか。

大橋美加+島谷晃のコラボ、決まっていた。

大橋美加の隣りの男、JAZZ SPOT Jのオーナー、バードマン幸田。
その名刺にはこうある。株式会社ノースウエストエンタープライズ 代表取締役、と。”ノースウエスト”、”都の西北”なんだ。バードマン幸田も、タモリと同期の早稲田ジャズ研の出身。
早稲田、早稲田で、ちと遊んだ。