2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

主従二人(周辺雑録)

小雨。 芭蕉が大垣に着くには、あと数日を要するので、今日は、その周辺のことごとを。 出版不況と言われてから久しい。初めのころは、書籍は苦しいが雑誌はまあ良し、との雑高書低と言われていた。それが今では、雑誌も部数を大きく落としているという。女…

主従二人{種の浜)

曇り、時折り小雨。 敦賀に滞在中の芭蕉は、8月16日(新暦9月28日)、天気が回復したので、種の浜(いろのはま、と読むようだ)へ行く。 芭蕉は、その時の模様を、こう書いている。 <・・・ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。…

主従二人(敦賀)

薄曇り。 等栽を道案内に福井を発った芭蕉は、8月14日(新暦9月26日)、敦賀に着く。 ところで、山中で芭蕉と別れ、先に発った曾良の『旅日記』の8月10日(新暦9月23日)に、こういう一節がある。 <・・・出雲や弥市良へ尋。・・・金子壱両、翁…

秋場所・千秋楽。

薄曇り。 やはり相撲は、すごい格闘技だな、と今日の朝青龍と白鵬の取り組み二番を見て思った。 そして、相撲には、やはり伝統が生きてるな、と魁皇と琴光喜の一番を見て、改めて思った。 朝青龍と白鵬の一番、本割と優勝決定戦、共に素晴らしい相撲であった…

主従二人(福井)

晴れ。 『おくのほそ道』は、5カ月に及ぶ大旅行記である。大旅行記であると共に、傑出した紀行文学である。 勿論、句が主。だが、地の文、散文も素晴らしい。 句同様、地の文も短い。練りに練って、研ぎ澄まされている。研ぐ、というより、削ぎ落とされた文…

主従二人(天竜寺、永平寺)

晴れ。 『おくのほそ道』の旅、主従二人のおっかけも終りに近づいた。 出羽路、越後路はまだしも、暫く前の北陸路あたりからは、もう奥の旅というには、少し違和感がある。それが越前に入ると、畿内とは言わないまでも、関西文化圏と言ってもいいだろう。芭…

枠組みを変える。

晴れ。 昼過ぎ、週に一度行っている近所の学校へ行き、1時間半授業を受け(明日になれば半分は忘れ、来週には殆んど憶えていないが、まあ、それでもいい)、学内の喫煙所で若い学生たちと他愛もない話をし、ラーメン屋で遅い昼飯を食い、その後、新宿へ出て…

日本の存在感。

晴れ。 昨夜の国連の気候変動サミットでの鳩山由紀夫の演説、世界にインパクトを与えたようだ。 たった2日のサミット、日本の政権交代による鳩山の二酸化炭素削減案を知った、事務総長・潘基文が、急遽、鳩山の演説を組み入れたという。オバマ、胡錦涛、な…

未だ及ばず。

曇り。 秋場所10日目、横綱に挑戦した二人、鶴竜も稀勢の里も、共に番狂わせはならなかった。 割を崩してまで、白鵬とあてられた鶴竜は、惜しかった。 今まで7戦して全敗、一度も勝っていない。しかし、じりじりと力をつけてきた鶴竜、今場所はやるかもし…

主従二人(全昌寺)

曇り。 曾良に先立たれた芭蕉、今は北枝が付いているとはいえ、曾良との主従二人の旅ではなくなったのだが、このブログの「主従二人」のタイトルは、そのまま大垣まで続ける。 寂しくはなったが、芭蕉の胸裏には、この先もずっと曾良のことが残っていたろう…

松井秀喜。

晴れ。 そう言えば、暫く前から、芭蕉は北陸・加賀の地、今の石川県を歩いていたんだ。金沢も小松も山中も石川県だった。 先ほど思い出したが、石川県と言えば、松井秀喜だ。松井のことを、少し書かなくちゃ。来年の松井はどうなるのか、少し心配しているの…

主従二人(山中、続き)

曇り、晴れ。 元禄2年(1689年)8月5日(新暦9月18日)、つまり、320年前の昨日、芭蕉は、山中を発ち、小松へ戻る。金沢以来付き添っている北枝に伴われ、途中那谷に寄りながら、小松の生駒万子なる男に会う為に。 本来ならば、芭蕉にとって忘…

主従二人(山中)

曇り。 実は、日にちを間違えていた。迂闊であった。 今日、9月18日には、320年前の同じ日、長い間ともにいた曾良と別れた芭蕉のことを記すつもりであった。 芭蕉と曾良の主従二人が、7月27日(新暦9月10日)山中に着いたことは、前回の主従二人…

出足よし。

晴れ。 昨夜発足した新内閣、出足がいい。スピード感がある。 外相の岡田克也は、核の持ち込みを含む、米国との密約4案件の調査を事務次官に命令した。厚労相の長妻昭は、後期高齢者医療制度の廃止を、国交相の前原誠司は、八ツ場ダムの建設中止を、財務相…

新内閣成立。

晴れ。 鳩山内閣発足。 新首相としての鳩山由紀夫の最初の会見は、やはり緊張してたな。しかし、真摯な感じは伝わった。 官邸主導、脱官僚、未知の分野に踏み出す決意、ミスもあるかもしれないが、やり遂げる、との言葉、正直じゃないか。 1年足らずで政権…

イチロー。

曇り、晴れ。 昨日、イチローが、また記録を作った。 大リーグでの9年連続200安打。108年ぶりの記録更新だという。5年前の年間最多安打の、84年ぶりの記録更新も凄かった。いずれも、100年前後の間、並みいるメジャーリーガーの誰もが成しえな…

ことごと。

晴れ。 久しぶりに新宿・ジュンク堂へ行き、その後、池袋で友人二人と待ちあわせ、要町へ先輩を見舞う。見舞いには、ふさわしくないとされているそうだが、その人に似合う深紅のバラを持参。 髪の毛があちこち抜けるので、頭切っちゃった、というスキンヘッ…

主従二人(那谷)。

晴れ。 7月27日(新暦9月10日)、主従二人は、小松を発ち、山中へ行く。 しかし、『おくのほそ道』には、山中の条の前に、那谷の条が記されている。それ故、ここでも、芭蕉の記述に倣う。 実は、芭蕉と曾良の二人は、山中には8月5日(新暦9月18日…

主従二人(小松)。

曇り、一時雨。 7月24日(新暦9月7日)、途中まで多くの人に見送られて、金沢を発った主従二人は、小松に着く。 翌25日、二人は太田神社(芭蕉は、太田神社と記しているが、多田神社、多太神社とも書くようだ)へ詣で、源氏の武将、斎藤実盛の甲を見…

主従二人(金沢、続き)。

曇り、晴れ。 昨日の続き、金沢で一笑の死を知り、その追悼句を作った芭蕉、そして、一笑について書く。 『おくのほそ道』の金沢の条に記されている三句の内、先ず初めの句は、 塚も動け我泣声は秋の風 である。 塚も動いてくれ、一笑の死を知り、それを悼む…

主従二人(金沢)。

晴れ。 芭蕉と曾良の主従二人は、7月15日(新暦8月29日)、金沢に入る。 嵐山光三郎によれば、当初の予定より1カ月半も遅れた金沢入り、となったという。また、山本健吉によれば、二人が酒田を発ち、越後路に踏み出した時の芭蕉の記述、<遥々のおも…

主従二人(那古の浦)。

曇り。 7月13日(新暦8月27日)、主従二人は、一夜を過ごした市振を発つ。 この日は、滑河というところに泊まり、翌14日は高岡に到るが、その2日間、『おくのほそ道』には、こうある。 <くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦…

主従二人(市振)。

晴れ。 7月12日(新暦8月26日)、芭蕉と曾良の二人は市振に着く。 市振には、この日一晩のみしか泊まっていない。しかし、芭蕉の市振での記述は長い。『おくのほそ道』は、5カ月にも及ぶ長旅の紀行であるが、全篇を通してもとても短い紀行書である。…

主従二人(直江津)。

晴れ。 選挙があったり、関西へ行っていたりで、しばらくご無沙汰した主従二人の旅に戻ろう。 前回は、酒田から直江津まで、体調不良の上、精神的にも不快なことが幾つも重なり、さんざんな日々であった、というところまでであった。 面白くないな、との思い…

法然院。

晴れ。 銀閣寺からゆ〜っくり、の〜んびり歩いても2〜30分、法然院へ。 南禅寺や銀閣寺といった著名な寺院と異なり、拝観料もない。本堂の廊下に、”どうぞ、お持ちください”と記した紙があり、そこにA4版1枚の説明書きが置いてあった。そこには、こう…

慈照寺(銀閣寺)。

曇り。 洛東歩き、今日は慈照寺。 正しくは、東山慈照寺、臨済宗相国寺派に属する禅寺。が、一般には、俗称の銀閣寺の方がとおりがいい。 金閣寺(鹿苑寺)が金ぴかに輝いているのに比べ、銀色どころか、渋く落ちついた褐色の木肌。(後で触れるが、今は修復…

南禅寺。

曇り。 京都での一日、洛東へ行った。南禅寺、慈照寺、そして、法然院。いずれも、久しぶりのお寺。 今日は、南禅寺。 今、写真を貼り付けようと見ていて気がついたのだが、南禅寺でのほとんどの写真は、庭の写真ばかり。石川五右衛門の科白でよく知られる三…

本願寺。

曇り。 博物館で西域の古文書を観、大谷探検隊、大谷光瑞のことを思い、そうだ、本願寺へ行ってみようと思った。 実は、西も東も行った記憶がない。京都の寺にはあちこち行っているのに、思いだせない。行っていないはずはないんだが、と思うが思いだせない…

100年前の列強がなしたこと。

曇り。 8月30日、京都国立博物館へ行く。「シルクロード 文字を辿って・・・ロシア探検隊収集の文物」展、観る。 パンフレットには、こうある。敦煌を中心とする西域出土の文献は、全世界に5万点あり、今、その多くは中国、イギリス、フランス、ロシア、…

歴史的変化と日常、そして、対外。

晴れ。 29日、7月に亡くなった叔母の中陰(四十九日)法要が大阪の寺で行われ、出席、30、31日は京都にいた。それ故、ブログは3日間お休み。 その間の衆院選は、当たり前といえば当たり前、事前投票に行った折にも感じたが、「それでいいのか」と言…