帰還。

3日前に帰ってきた。
久しぶりでブログも記そうかとも思い、溜まったメールに幾つか「どうかしたのか?」というものもあったのだがまだ失礼をしている。一昨日、昨日とボケーとしていた。
2月16日、呼吸器内科外来の予約日であった。3か月に一度、X線とCTを撮り、3か月前の画像と比較する。CTの画像を見た医者は、「ウウー、ここんところ」と言い、「採血もしますし点滴もしますが、入院してください。病棟の方と連絡をとります。息苦しいでしょう」と言う。
ずっと息苦しかった。すぐ息切れがする。さまざまな入院手続きをし、3時前に病室へ。ウヌッ、個室だ。
<余寒の夜 考えてゐる 銭のこと>という江國滋の句が頭をよぎる。
江國滋、築地のがんセンターの幾つかランクのある中ほどのランクの個室に入院している(『おい癌め 酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記』)。ひと月の支払いは百数十万となる。多くは差額ベッド代である。江國滋にして余寒の夜には差額ベッド代のことが頭に浮かぶ。
がんセンターの個室と私が入った病院の個室とでは同じにならないであろうが、個室は個室に違いない。風呂はないがトイレや洗面所は付いている。今までさまざまな病院に入院してきたが、個室に入ったことはない。困ったなと思ったが、受け取った「入院のご案内」の中にこういう文言があった。
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なるほど差額ベッド代は取らないという。
憲法9条を守ろうとか改憲をどうとかということが病院の廊下に謳われている。どのような部屋に入れるかは病状や疾患によってということらしい。医者や看護師が憲法9条とどうかということは、まったく感じないが。私が住む地域では大きな病院であるが、経営者か院長の問題なんだろう。
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すぐに点滴が始まった。
通常の点滴と少し異なっている。上の袋と下の袋をつなぎ500ミリの輸液を8時間かけて入れるそうだ。通常の点滴の4倍の時間をかけて。
24時間ぶっ通しで暫らくの間この点滴を続けるという。
しかし、点滴は1日、24時間で終わった。暫らく24時間ぶっ通しの点滴を行なうと聞いていたのだが、食べられるようになったから、と。病院へ隔離され酒が飲めなくなったので、飯が食えるようになった。
この前の2月4日、血圧が急に下がり倒れそうになった時、その時の医者が「食べないとこうなるのです。当たり前のことなんです。解りますか?」と小学1年生坊主に話すように言ったことを思い出す。そう聞いても碌に物を食わず酒を飲んでいた。身体は弱っていた。身体のどこがおかしくなっても不思議でない状態であったようだ。
25年ぐらい前かもっと前か、チャールズ・ブコウスキーに凝ったことがあった。土日の休みには目が覚めるとビールを飲んでいた。が、月曜日には会社に行かなければならないのでそうはいかない。第一アメリカのヒグマのような男と極東の蚊トンボのようなへなちょこでは話にならない。いつしかそれはなくなった。
しかし、どうして私が陰圧の個室に入れられたのか。病棟の医者から「結核の既往症があるから」と訊いて驚いた。結核の既往症はある。が、50年以上前、55年ほど前のことである。
18歳になったばかりの春結核となり、翌年の夏まで結核療養所に入院した。その秋から予備校へ行き、翌春、滑り止めの所へ入った。2年遅れとなるのでどこかへ入る必要があった。半年足らずの受験準備だったので、それでよしとした。
3年後であったろうか結核が再発した。1年半入院し、最後は切除した。学校は何年か休学した。
いずれにしろ55年も前のこと、驚いた。それが復活するなんてことがあるのかと訊いた。あり得ると医者は言う。
だから、個室の陰圧室なんだ。
3蓮痰や鼻から管を入れ胃の内容物を調べることなどを行なった。最終的に結核の疑いは晴れた。医者は肺マック症だと言う。
身体自体が弱っており免疫力が低下しているので、身体のあちこちが具合悪くなっている。肺も。
肺マック症なんて初めて聞いたが、結核菌とらい菌以外の肺の病気だそうだ。
朝飯前に多くの薬を飲む。3種類の抗生物質。中にひとつ小便が赤くなるものがある。
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このように。ヨードチンキのような。
これは薬にそのような色素が含まれているためで、悪い副作用ではないそうだ。
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年が明けてから長く伸ばしていた髭、入院し病院のベッドの上では鬱陶しくなったので、短く刈りこんだ。
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孫娘と何やら解からぬ孫坊主(左)からのの力づけ。
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夜、なかなか眠られず起きている。
朝、6時前の病室の外。
結核の疑いが晴れるまで、廊下へ出ることも禁じられている陰圧の個室に入っていた。外との繋がりは窓ガラスのみ。
6時からは、日野正平の「こころ旅」の「とうちゃこ」が始まる。毎朝6時から昨年秋に東北を走った番組の再放送が流れる。日野正平の「こころ旅」も好きな番組で日中の放送は気づいたら見ていたが、朝6時からも流れているとは知らなかった。
日野正平、東北の被災地のあちこちを走る。今までまったく知らなかった映像。とても面白い。
私の肺の異常は、肺マック症ではなくNTM(カンサシー)であるとのこととなった。肺マック症もNTMも非結核性抗酸菌症のひとつであるそうだ。結核菌も含め似ていると言えば似ている。
結核が人から人へと感染するのに対し、非結核性抗酸菌症は人から人へは感染しないそうだ。
しかし、いずれにしろNTM(非定型抗酸菌)なるもの、少なくとも1年以上の薬物投与・抗生物質の投与が必要だそうだ。さまざまな副反応があるらしい。視力障害(定期的な眼科検診がある)、血糖値が上下に振れる。初めの内は血糖値が高くなりすぎるのでインスリンを打っていたが、インスリンを打つと血糖値が下がりすぎ低血糖となってしまうのでインスリンはやめ飲み薬に変わった。これも抗生剤の副反応のひとつだそうだ。
ややこしい病気であり、ややこしい薬である。
それにしても間もなく満80歳となる。1年以上の薬剤投与って、私は満81歳になってしまうよ。81歳まで生きるために小便が赤くなる薬を飲むなんて、何となくおかしくて笑ってしまう。
2月16日の呼吸器外来の日、病院が終わったら返却日が少し過ぎている本を返しに図書館へ行くつもりであった。が、即入院となってしまい本は返せなくなった。図書館へ電話し事情を話した。その日に返す中の1冊にイザベラ・バードの『新訳 日本奥地紀行』(金坂清則訳 平凡社 2013年刊)もあった。
平凡社の東洋文庫、面白いものが多い。が、新書版でハードカバー、ページ数も多い。字が多い。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』もそう。540ページ近くある。読み飛ばしていたが、隔離されたこの機会に気合を入れて読んだ。
明治11年のことなんだ。イザベラ・バード、横浜そして東京から未開人の地・蝦夷地への旅をしている。アイヌのコタンを次々に訪れている。北海道開拓使の力を使って。
通訳兼案内役・従者の伊藤(イト)という若者と共に。
徳川から明治の代となって11年、明治政府、イギリスの力を利用している。イギリスも明治政府に食いこんでいる。
いや、面白い。