オホーツクふらふら行(15) ガリンコ号。

紋別の砕氷船・ガリンコ号へ乗る。
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赤く塗られたガリンコ号、1月10日から3月末まで運行。150トンであるので、網走の砕氷船・おーろらの3分の1以下。
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港を出る。
なお、後ろに見える船は、パトカーならぬパトロール船、いざと言う時の救助船のようである。
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海面、氷がないとも思えないが、少ない。
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ガリンコ号の船体は、すべて赤。
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実はこの日、今日は流氷帯まで到達できないので、3000円の乗船料を割引き2500円といたします、との貼り紙があった。
氷らしきものは見えるが、流氷帯とは言えないな。
後ほど乗ったタクシーの運転手の話では、「昨日は岸まで来ていたのですが」とのことであった。風の具合で、一晩で接岸したり沖合いに離れたりするそうだ。
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左上に小さく鳥が。
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カモメだ。
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進行方向左側。
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海面に氷がないわけじゃない。でも、流氷帯とは言えないのであろう。
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運転室というか操舵室。
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細かく砕かれた氷片や海水が飛び散っている。
ガリンコ号が他の砕氷船と異なるのは、その砕氷法式にある。
網走のおーろら号や日本の南極砕氷船・しらせやその他の砕氷船は、基本的に船の重みで氷を割って進んでいく。しかし、ガリンコ号は、船の先に付けたドリルを回し、氷を削り取っていく。
これは凄い。面白い。
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この日は流氷帯までは行けないということであった。しかし、「帯」ではないが、薄い氷は海面を覆っている。
それらをガリガリと削り取っていく。跳ね飛ばす。
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迫力がある。
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ドリルは前方左右に二つ付いているようだ。
反対側にも、削られた氷片と海水の飛沫が勢いよく飛び跳ねていた。
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「流氷とガリンコ号」、セットで北海道遺産だそうだ。
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定員195人だが、乗っていたのは20人足らず。
その中で、このお母さんと二人の子供の親子連れだけが元気であった。
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流氷帯の海を白海、そうじゃない海を青海、というそうだ。
白海の時の航海時間は1時間だが、青海の時には45分に短縮される。
この日は青海。早々に港に戻ってきた。
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海から突き出たオホーツクタワーが、霞んで見える。
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出て行った船着き場に近かづく。
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下りて振りかえる。
ガリンコ号、ザリガニのように見える。
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係の人が、大きなシャベルで船着き場の雪かきをし始めた。
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海流交流館の中に入る。
カーリング女子日本チャンピオンのロコ・ソラーレのパネルがある。
ロコ・ソラーレ、元々は本橋麻里・マリリンが作ったクラブである。2年前になるか、「そだね」が流行語になった。マリリンは今では裏方にまわっているらしいが、日本チャンプ。本拠地は、網走の近くのオホーツク沿いの町・常呂にある。
このパネル、よく見ると「ココ・ソラーレ 紋別市」となっている。「ロコ」じゃなく「ココ」。ロコ・ソラーレの写真やパネルは、紋別ばかりじゃなくその後もオホーツク沿いの町で何度も目にした。
ロコ・ソラーレ、常呂のクラブチームなんだがオホーツク沿いの町すべての「オラが町のチーム」となっているらしい。なかなか厳しい状況下にあるオホーツク沿いのすべての町や村を元気づけている。初めて知ったが、いいことだ。
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館内の食堂に入り、コーヒーを飲む。
窓ガラスを通し、先ほど下りたガリンコ号を見る。
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暫らく後、ガリンコ号が動きだした。
船着き場を離れ・・・
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霞む港の外へ。

オホーツクふらふら行(14) オホーツクタワー。

紋別の海洋交流館、砕氷船が出るガリンコ・ステーションと、その先の海上に突き出したオホーツクタワーで構成されている。
砕氷船には12時発の便に乗ることとし、それまでオホーツクタワーの方へ行く。タワーまでは約1キロあるが、送迎の車が待っている。
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このような電気自動車で。
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私ひとりを乗せて走る。
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海上にこのようなコンクリートで造られた壁とその下の道が突き出ている。
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1キロ先まで真っすぐに。
先端まで来ると、車を降りエレベーターで上の方へ上がる。
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エレベーターを降りたあたりで下を見る。
オホーツクタワー、海面からは大分高い所に造られている。車を降りた所からはエレベーターで上がり、さらに赤く見えているこのような渡り廊下のような所をわたりタワーへ入る。
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こちら側、ガリンコ・ステーションの方を見る。
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走ってきた道の上のコンクリの壁が霞んで見える。
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防波堤であろう。
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近寄る。
氷はあるが、薄い。
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こうして見ても。
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オホーツクタワーの建物へ入る。
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海上の1階から3階までは、海表面からは大分離れて造られている。
海面下の海底階は、文字通り海面の下に造られている。
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まず2階へ。
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写真が不鮮明だが、ロシアのアムール川の河口から2000キロの旅をしてきて、紋別のオホーツクタワーの下に流れ着いた流氷の姿である。
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砕氷船の話。
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紋別港の海氷観測による流氷量のグラフ。
左上は2019年の流氷量。右下は1998年の流氷量。
この20年の間に明らかに流氷量が減っていることが見てとれる。
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2階は概ねお勉強の話が中心。
不鮮明な写真で申しわけないが、お勉強が好きなお方は、以下何枚か拡大してご覧ください。
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海底階へ降りる。
エレベーターを降りるとこれがお出迎え。
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海底階は、海底洞窟。ミニ水族館である。
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<チャームポイントはつぶらな瞳です>。
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<オホーツク海No.2の人気者>って。
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<動かないけど生きてます>。
これらの魚たち、オオカミウオも、フウセンウオも、動かないけどの魚も、またその他の魚たちも展示されていた。しかし、その姿より手書きの説明の方が面白いので、姿は敢えて省いた。
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「紋太」って、紋別のゆるキャラなんであろう。おそらく。
そのチョウザメの餌やりが・・・
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このチョウザメでってことらしい。
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もちろん、厳冬のオホーツクと言えばクリオネは外せない。
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3階へ上がる。展望デッキがある。
喫茶室があるが、もちろんやってはいない。人がいないのだから当然だ。
展望デッキから外へ出る所がある。重いガラス戸を押し開け外へ出る。暗いガラスに映る姿を撮った。
頭のてっぺんから足先まで重装備で行ったので寒さはさほど感じなかったが、手袋を取った手指は文字通りちぎれるほど痛かった。
早々に部屋の中へ引きあげた。
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タワーへ入った時と同じく渡り廊下を通って帰る。
下の海氷面を見ながら。
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タワーの係員を通じて、私が帰ることは電気自動車の運転手には伝えられている。
エレベーターで下へ下りると電気自動車が待っていた。1キロのコンクリートの真っすぐな道を帰る。
雪が少し舞ってきたようだ。前方が霞んでいる。


今日、安倍晋三は自民党政調会長・岸田文雄と会い、一所帯あたり30万円の現金給付を決めた。
住民税非課税の所帯及び今回収入が半減した所帯が対称とのこと。約1250万所帯だそうである。
昨日、全所帯にマスク2枚をと言っていた時には、日本の所帯数は約5000万所帯と言っていたので、その約4分の1の所帯となる。もう少し、半分ぐらいに広げてもいいんじゃないか、とも思うが、4分の1であろうとも、まずは早く対応することが肝要であろう。5月の連休前までにどうこうなんて言ってるが、遅すぎる。
今日のニュースには、バイトやパートの人をどうしようもなく切った食べ物屋のおやじさんや、歌舞伎町のキャバクラの女の子、働くのが週に5日から3日になりさらに1日となり、ついには店に出る日がなくなった、収入はゼロとなったという。これらの人たちは入っているんだろうな。30万の現金給付に。
さらに、山谷や釜ヶ崎、黄金町の人たちはどうなる。
これらの人たちは、住民税どころか住民登録すらどうなのか、という人もいるはずである。安倍晋三、これらの人たちへも現金30万を早急に支給しろ。

オホーツクふらふら行(13) 紋別へ。

前掲の宮脇俊三著『旅は自由席』の中に、「0番線の話」という一章がある。
0番線とはどういうものかということも記されているが、ここでの本旨とは離れるので触れない。が、宮脇俊三がこの短い文章を「小説新潮」1989年1月号に書いたころには、全国に0番線が約40あったそうだ。
それに続け、宮脇俊三はこう記す。少し長くなるが・・・
<私がもっとも好きだったのは網走の0番線で、ここには湧網線が発着していた。湧網線はオホーツク海の近くを走る線で、冬に乗れば結氷した湖沼や流氷を車窓から眺めることができた。・・・・・。・・・・。渺々として荘厳にして非情に広がる流氷の景観は、さらに忘れることができない。それは、あの氷の海のなかに身を沈めたいとの死への誘惑を感じさせるほどであった。湧網線は昭和62年3月に廃止になり、網走駅の0番線も消滅した>、と。
湧網線は、網走から中湧別までの約90キロ。その先は、約25、6キロ先の紋別を通り名寄へ到る名寄本線であった。
この名寄本線も今はない。北海道の鉄道は、ホントに次々となくなっていく。
今、網走から紋別へは、ひがし北海道エクスプレスバスが走っている。文字通りのエクスプレスバス、途中休憩を1回のみ挟みノンストップで網走から紋別へ突っ走る。1日1往復のみであるが。
完全予約制で、代金3900円は前もって振りこむ。
紋別へのエクスプレスバス、予約が少ない場合はマイクロバスになることも、ということであった。
紋別へのエクスプレスバス、朝8時50分に網走駅前を出発する。5分前に駅前へ行くが、誰もいない。その内、バスでもなく、マイクロバスでもなく、タクシーが現れた。運転手が言う二は、今日の客は私一人だと言う。で、タクシーに。
網走から紋別まで、約100キロ。料金僅か3900円の私一人を乗せて、タクシーは走りだした。
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道は除雪はされているが、表面は凍結している。
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出発してすぐに網走湖の北側を走る。
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窓外の風景が飛んでいく。
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すぐに能取湖の南側を進む。
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路面は凍結しているが、飛ばす。
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運転手は、「今日はタイヤが案外道を掴んでいる」、と語る。
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標識があった。
湧別まで53キロ、紋別まで77キロ、稚内までは294キロ。
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北海道だ。
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サロマ湖の南側に沿って走っている。
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雪の中に木。
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サロマ湖は大きな湖である。
琵琶湖、霞ケ浦に次いで日本で3番目に大きな湖である。オホーツク海と接する汽水湖である。


少し横道に逸れる。
今ではあまり知られていなくなったであろう作家・藤枝静男に、『欣求浄土』(北海道文学全集 第19巻 凝視と彷徨 立風書房 昭和56年刊所載)という作品がある。
不可思議な作品なんだ。
章という主人公が若い友人と点けっぱなしのテレビを見ていると、・・・・・、急にサンフランシスコのヒッピー族の紹介がはじまる。<これは体制の生み出した瞬間の善だ、と章は思った。・・・>。これが序章と言えば序章。
ついで、<この若い友人が自分の感心したというピンク映画を見ることを勧めてくれた>、と藤枝静男の『欣求浄土』。
主人公の章、その「性の放浪」という映画を見に行く。あちこちで男女が性交している。次から次へと、次々に。2段組みではあるが、わずか数ページの間に「性交」という即物的な、また生な言葉が次から次へと出てくる小説は他に知らない。これが「序破急」の破と言えば「破」。
次いで、章は北海道へ行く。網走行きの急行で遠軽で降り、車で湧別の町に入りオホーツク海とサロマ湖とをひとつの視野に眺められる所まで行く。三番小屋と言われる所まで。
サロマ湖のオホーツク側、オホーツク海とサロマ湖の間に切れ込みがあり、オホーツクの海水がサロマ湖に流れこむ所である。章は、その場でさまざまな思いを抱く。鉛色の海に。
端折りに端折り、巻末のみ記す。
<「逃げて行く」、と彼は思った。気のせいか、自分の意志で解放されて行くようにも思うた。嘘でもその方が気持よかった>。序破急の「急」である。
短編であるが、不思議な物語りである。ゴダールの『イメージの本』を思わせる。


紋別に向け走る車に戻ろう。
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防雪柵である。ちょくちょく出てくる。
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左右の景色、味がある。
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小さな集落があった。
小林商店と記されている。医薬品、化粧品、衣料品、文房具、小間物、と。小林商店じゃなく、小林百貨店、デパートだ。
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サロマ湖は大きい。
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どんどん進む。
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網走を出て1時間ばかり経ったころ、車はここへ入る。
運転手は、「10分ほど休憩します」、と言う。
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小さなショベルカーが建物の前の除雪をしていた。
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入口にはこう書かれている。
中へ入る。店の人がひとりいた。客はひとりもいなかった。
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10分後、再び走り出す。凍結した路面をぶっ飛ばす。
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窓外には幻想的な光景が流れる。
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雪が舞ってきたようだ。
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突然、右、紋別という標識が現れた。
右折してすぐ、砕氷船が出るガリンコ・ステーションやオホーツクタワーのある紋別の海洋交流館へ着いた。
事前の案内では、11時半着ということであったが、10時半には着いていた。凍結した約100キロの道を実質1時間半でぶっ飛ばした。たとえスリップしても乗っているのはじじいがひとり、運転手も気軽であったのであろう。


この1か月、新型コロナウイルスの状況は劇的に変わった。
この3週間だとさらに。2週間前からだと、べらぼうな変化。1週間前からだと、日々激変である。
政府の専門家会議、専門家の皆さんは、医療崩壊が起きると警鐘を鳴らしている。東京や大阪といった大都市の首長は、政府は緊急事態宣言を出してくれ、と言っている。
しかし、安倍晋三や菅義偉は、まだそこまでは至っていない、と語る。そして、一所帯にマスク2枚を送るとのこと。何度も洗えるマスクらしいが、安倍晋三や菅義偉のこのマスク発言には笑ってしまった。
今となっては一刻も早く緊急事態宣言と、それと一体の経済対策を出すべきであろう。
仕事を失った人や経済弱者に対して。10万でも20万でも、さしあたり。国民一律でない場合は線引きが難しい、時間がかかるなんて言ってるが、ざっくりでいいから早くやるべきであろう。
安倍晋三、検討しているとの言葉だけで、具体策はマスク2枚程度しか出てこない。英米独仏の対応に較べ、何やってんだという状態。
日本は先進国ではなかったのだ、と改めて思う。

志村けんの死。

人の死を知った時、たとえそれが世によく知られた人の死であろうとも、「ああ、そうか」と思うことが多い。
マルセル・デュシャンの墓碑銘に彫られているという「さりながら、死ぬのはいつも他人」であるからである。
このことは、2年前のこのブログ「流山子雑録」に、肺炎で入院し退院した後、4月から5月にかけて20数回連載した「住み果つる慣ひ考」で記した。
どのような有名人であろうと、デュシャンのいうように、「さりながら、死ぬのはいつも他人」なんだ。
しかし、時として、「エッ」と驚く死がある。「ああ、そうか」ではない。
今日報じられた志村けんの死は、まさにそのような死である。びっくりした。
1週間ほど前から、志村けんが新型コロナウイルスに感染し入院していることは報じられていた。しかし、そのうち、「だいじょうぶだぁー」って戻ってくるだろう、と思っていた。
それが昨日の夜、死んだとは。医学的にはそれ相応のことはあるのであろうが、私たちにとっては急死である。
私は、いわゆるバラエティーと言われるものはほとんど見ていない。しかし、志村けんのことは知っている。ドリフターズの付き人となった頃から。その後の「東村山音頭」も「バカ殿」も、「ヘンなおじさん」も。
ドリフというより、志村けんにどこか興味を持っていたのだろう。その頃だったか、志村けんは独身らしいが、石野陽子と結婚すればいいんじゃないか、ピタリじゃないか、と思っていたこともある。両人共、いい人のようだし、と。そうはならなかったようだが。
このところは、カミさんが「天才!志村どうぶつ園」を見ているので、時折り私も一緒に見ていた。
それにしても、急である。
これが新型コロナウイルスの怖さである、と日本国民全員が感じたに違いない。志村けんの死は、安倍晋三の言葉、小池百合子の言葉よりはるかに強いメッセージを伝えた。
日本ばかりじゃない、米中英韓ばかりでなく世界中あちこちのメディアが志村けんの死を報じている。
ところで、2年前のブログ「住み果つる慣ひ考」の中で、田辺聖子の言葉に触れた。「人生は、神サンから借りたもの」、という言葉について。
「志村けんは、日本人、いや世界のあちこちの人が、神サンから借りたもの」だったのだな、ということを改めて思う。借りたものは、返さなければならない。
私たちが、神サンから借りたものが戻っていった。

オホーツクふらふら行(12) 鉄道。

国鉄が民営化されJRとなった。JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、と地域毎の。
首都圏や関西圏、その間の中部圏は人口も多く良かろうが、北海道は困っている。
網走駅の待合室にこのようなものがあった。
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「鉄道を残すために、いま、できる行動を」、と記されている。
周りに駅名が書いてある。
左上に釧路と。どんどん下がってきて網走までは釧網本線。右上には旭川。ずーと下がってきて網走までは石北本線である。この道東の鉄道の存続が危うくなっている、と。
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左下を見れば、知床斜里から網走への駅々が。
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読みづらいが、石北本線と釧網本線の特性と現状が記されている。
共に、昭和50年から平成29年の42年間で輸送密度が5分の1となった、とある。<輸送密度とは、1日1キロメートル当たりの平均乗車人数のことです>、という註も記されている。自動車の普及ということもあるが、何と言っても人口が減っているんだ。年々、乗る人が少なくなっている。
平成29年度の収支状況も出ている。石北本線はマイナス42億4300万円、釧網本線はマイナス14億9700万円。
当然のことながら、共に赤字。困った状況である。
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地図、路線図を取りだしてみよう。
この黄色い線。今、存続論議が起きているという石北本線と釧網本線。
この他、根室本線や稚内から名寄への宗谷本線も黄色、赤字線である。富良野への線も。こうして見ると、北海道の北部や東部から鉄道がなくなってしまう。
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これでいいのか。よかないよ。
で、網走市ではこういう動きをしている。
「鉄道を守るために、いま、できる行動を」、と。
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こういうことも。
JR北海道の応援団になってくれ、という。
私も、応援団になった。経済原則から言って、とても厳しいものなんだが。
しかし、そうは言っても、広い北海道にとって鉄道はなくてはならないもの。鉄道に対する思い入れは、ハンパなものじゃない。恋情と言ってもいいかもしれない。
今現在、既に廃線となり鉄道のないところでも、かっての鉄道のことが出てくる。
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今ではまったく鉄道のなくなったオホーツク沿岸の町でも、町のパンフにこのようなかってのSLが。
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知床博物館にもこのようなチラシが。
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雄武のバスターミナルには、このような展示が。かっての切符や鉄道の写真が。
北海道のあちこち、鉄道に対する思い、絶ちがたいのだ。
それと共に、北海道は鉄道が似合うんじゃないか、とも思えるんだ。最果てのイメージがある町があちこち幾つもあるのだから。
網走はその最たるもの。鉄道が似合う。


20年近く前になくなった宮脇俊三は、今でいう乗り鉄の嚆矢、魁と言える人であった。
ともかく、隙あらば鉄道に乗ろうというのだから。
<函館へ行くべき、ちょっとした所用ができた。・・・・・。・・・・・。せっかく函館まで行くならば、ついでにどこかへ、と考えはじめる。ちょうど流氷の季節である。しからば、オホーツク海岸の網走あたりへ足を延ばそう、となる>。宮脇俊三著『旅は自由席』(新潮文庫 平成7年刊)所載の「函館から網走へ」の冒頭である。
<函館へ行くついでに網走へとは、われながら、かなり滑稽である>、とは記している。が、そこから先が鉄道作家・宮脇俊三の面目躍如。札幌で毛ガニを食い酒も飲んで、ということはいいが、その後まっすぐ網走には向かわない。遠回りの釧路行きの寝台車に乗る。早朝、釧路に着く。粉雪が斜めに吹きつけている。隣のホームに上がると、2本のディーゼル車が待機している。根室行の急行「ノサップ1号」と網走行の鈍行である。根室まで行こうか、途中で引き返して網走へ行ってもいいかな、と逡巡する。
<思案するうちに、先に発車する網走行鈍行のベルが鳴りだした。私は発作的にそれに乗った>、と宮脇俊三は記す。根室の方へは向かわず、ともかく発作的であろうと網走行きに乗ったんだ。
が、宮脇俊三、その後もあちこち寄り道をしながら12時58分、網走へ着く。
<駅前でラーメンを食べ、13時30分の特急「オホーツク4号」札幌行に乗る>、と宮脇俊三。
アレッ、網走にはラーメンを食べに行ったんだっけ、流氷を見に行ったのじゃなかったのか、」と一瞬思うが、宮脇俊三、ちゃんと流氷を見ている。
斜里から網走までの車窓から。30~40分ばかり。その後、ラーメンを食って戻ってくる。
さすが宮脇俊三、鉄道名人。
また、網走がそのような場にピタッとフィットしている、とも言えるのでは。


志賀直哉に『網走まで』(弥生書房 1985年刊の「鉄道諸国物語」所載)という初期の短編がある。明治41年(1908年)の作である。
主人公の男が上野から汽車に乗る。
混んだ車内に、聞き分けの悪い7つばかりの男の子と乳飲み子を抱えた女も乗っている。汽車は間々田の停車場を過ぎ、小山を過ぎ、小金井を過ぎ、石橋を過ぎて進み、宇都宮に着く。ここで主人公の男は降りる。
網走までじゃないのか。これじゃ宇都宮までじゃないか、と誰しもが思う。
中に一か所、こういう記述がある。
<少時して自分は、「どちら迄おいでですか」と訊いた。「北海道で御座います。網走とか申す所だそうで、大変遠くて不便な所だそうです」 「何の国になってますかしら?」 「北見だとか申しました」 「そりゃ大変だ。五日はどうしても、かかりませう」 「通して参りましても一週間かかるそうで御座います」 ・・・>。
明治末という時代である。志賀直哉の初期の代表作であるそうだが、私には今ひとつ分からなかった。上野から網走まで1週間もかかる時代であった、という以外。


原田康子以来、北海道の女流作家には何やら秘めたる、という匂いを感じる。
<ひとつ、ふたつ、入り江に氷塊が入ってくる。「本当にここでいいんですか」メーターを倒す際、若いタクシー運転手が不安そうに訊ねた>。桜木柴乃著『氷平原』(文春文庫 2012年刊)はこう書き出される。
網走駅からタクシーでさほどではない所だと思われる。
この地の男は中学を出たら道が分かれる。漁師になるか、高校へ行くか。高校を出た後は、漁協や役場に就職する。しかし、遠野誠一郎は大学へ行きたかった。父親は漁師になれと言うが。そして、大学に行くなら東大へ入れ、と。東大へ入れなければ漁師になれ、と。
主人公の男、東大へ入り、卒業後は財務省へ入り、岩見沢税務署長となり、北海道へ戻る。
岩見沢から特急で5時間の地、網走であろう。網走からタクシーで行った入江、、その町での悲しい物語りである。
<友江の体が目の前から消えた。誠一郎はまるで最初からひとりだったように、氷の上にいた。・・・。いくら待っても友江の体が浮かび上がってくることはなかった。・・・>。
<氷が鳴いた。音は不気味にこだまし、体に響いた。楕円の月。裂けた氷の向こう。氷平線が横たわっていた>。
眠くて眠くて、端折りすぎたか。


今日、関東では雪が降った。
暫らく前、雪の世界にいたのだが、こちらの雪も面白い。
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お昼ごろ、ベランダから下を見る。
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この小さな木、確か桜木、花をつけていた。その上に雪。
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こちらは大粒の雪ではあるが、積もることにはなりそうもない。・

オホーツクふらふら行(11) オホーツク流氷館。

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博物館網走監獄からバスで6、7分、オホーツク流氷館へ。
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気温は低いが、この日も晴天。
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入口にこういうタテカンが。
後で、下の方に書いてある「流氷ソフトクリーム」を食った。
流氷を使っているわけではないが、知床の塩を使っていると言う。確かに塩をまぶしてある。ずいぶんしょっぱいソフトクリームであった。
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以下、少し流氷のお勉強。
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クリオネ。
流氷の海の贈り物。
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カワイイ。
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流氷体験室がある。
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網走沖合い20~30キロで採取した総重量100トンの流氷を運び入れてある。
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室温をマイナス15度に保って。
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入る時に濡れたタオルを渡される。この室内でそれを振っているとタオルが凍る、と。
入っている時間が短かかった故か、タオルはガチガチには凍らなかった。強いて言えばシャーベットってところであった。
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3階の展望デッキに出る。
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オホーツクが一望千里。
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すぐ下には網走の町。その先には、オホーツクの流氷。
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反対側はこのよう。
凍結した網走湖と能取湖であろう。
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翻りオホーツクの方を見ると、知床の山々が。
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目立つこの山は、斜里岳であろう。

なお、楽しみにしていた北方民族博物館への再訪は、ならなかった。この日から急遽閉鎖となったため。オホーツクの人たちとの再会は叶わなかった。15年前に求めた図録で我慢する。
網走の町、この前日夜の北海道知事・鈴木直道の緊急事態宣言により、その趣き、ガラリと変わった。
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この日、2月29日の道新夕刊一面。
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下の方に3月初めの天気予報が出ている。
私は、翌日3月1日は紋別へ行く。その日の紋別の気温は、最高ー4度、最低ー11度。
2日、3日は稚内へ行く。その日の稚内の気温は、最高-2度、最低ー6度、そして、最高0度、最低ー5度。
4日は小樽へ行く。小樽のその日の気温は、最高ウンッ、プラス4度、プラスだ。最低はー5度であるが。
5日は新千歳から羽田へ帰る。その日の新千歳の予想気温は、最高プラス4度、最低マイナス5度。
やはり、暖冬なんだ。
地球の温暖化は進んでいる。確実に。

オホーツクふらふら行(10) 囚人道路。

<北海道の春は遅い。北海道も東のはずれにある網走では、三月の半ば過ぎまで、全てが厚く積った雪に閉ざされている。・・・・・。海までが鉛色に鈍く輝く流氷におおわれていたのだ。・・・・・。「もう今年で、明治も二十四年だな」 二十六歳になったばかりの鉄之介は、・・・>。安部譲二著『囚人道路』(講談社 1993年刊)は、こう書きだされる。
この秋川鉄之介は、旧御家人の次男坊なんだが、秩父困民党事件に加担して捕えられ、逆賊として20年の懲役刑を申し渡され、網走監獄へ送られてきたんだ。
錦の御旗を押し立てた官軍が幕軍を打ち破り、徳川の代から天皇の代となる。天皇を押し戴いた薩長土肥のの連中がヘゲモニーを握る。彼らに抗った者は、逆賊、逆徒とされ、10年、20年といった懲役刑をくった。秋川鉄之介のように。そういう時代であった。
ところで、博物館網走監獄の展示で最も多く触れられているのは、囚徒(囚人)たちによる北海道中央道路の開削についてである。旧庁舎や監獄歴史館などの展示で。
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18世紀半ば以降、ロシアの南下圧力が強まる。そのロシア南下政策に対応、防御を固めるため、囚徒(囚人)が送りこまれた。
右下の顔写真は、(左)初代北海道庁長官・岩村通俊、(中)太政官大書記官・金子堅太郎、(右)元老・山県有朋。
何故、ロシアに対する防御の先兵として囚徒が送りこまれたのか。中央の写真・金子堅太郎の「囚人苦役論」に拠っている。読みづらいが、こういうものである。
<元々彼等は暴戻の悪徒であって、尋常の工夫では耐えられぬ苦役に充て、これにより倒れても、監獄費の支出が減るわけで万やむを得ざるなり>、と。あいつらは元々悪いヤツなんだから、普通の工夫では耐えられないような苦役もやらせろ。たとえ倒れてもコストが少なくてすむ、と。
金子堅太郎、何ともひどいことを言っている。しかし、これが明治政府に取りいれられる。
元老中の元老である長州出身の山県有朋も、酷いことを言っている。人権意識なんてどこにある、という。そういう時代と言えばそういう時代であったのであろう。
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明治23年(1890年)、釧路監獄署網走囚徒外役所が誕生する。後の網走監獄・網走刑務所である。
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網走から北見峠までの道路開削である。
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このような。
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このような情勢、このような状況であったのだが、これを描いた安部譲二の『囚人道路』に戻る。
秋川鉄之介は、明治23年10月、この北の果ての網走に汽船で送られて来ている。
一杯機嫌で、わがもの顔で東京の街を歩いていた新政府の役人に石を投げ、シルクハットを吹っ飛ばし、すぐに捕えられ散々殴られた揚句に反逆罪で、これも20年の懲役刑を言い渡された左官職人もいる。
初代内閣総理大臣・伊藤博文も出てくる。
伊藤博文、初代北海道庁長官の岩村通俊にこう言う。「なにがなんでも、その45里を千人の囚人を使って、24年内の7ヵ月で完工させろ」、と。
<おそらく囚人に大勢の犠牲者が出るだろう。・・・。「この非情をあえてすることが、日本国の宰相としての自分の責務なのだ」と、伊藤博文は心に決めている。・・・>。
安部譲二の『囚人道路』、その主人公は、秩父困民党事件に連座し、懲役20年の刑を食い網走に送られてきた秋川鉄之介である。
が、実は、もう一人主役がいるんだ。伊藤博文がもう一人の主人公。どうしてか。最後の最後に分かる。ウッ、そうかやはり、と。
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博物館網走監獄にこういう建物があった。
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休泊所。動く監獄。
秋川鉄之介もこのような休泊所で寝て、過酷な中央道開削に従事していたのであろう。
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監獄歴史館の中では、このような映像も流れていた。
網走に送られた囚徒たちによる、過酷な作業の映像である。
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網走監獄の初代典獄(所長)・大井上輝前は、囚徒たちに、網走ー北見峠間163キロの道路ができた時には、お前たちを解き放つ、放免する、と語っている。
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しかし、典獄の言葉は信用できない、と思っている男がいる。信州出身の赤沼兵衛という男。ある時、逃走しアイヌのコタンに逃げこむ。
赤沼兵衛、同じ武士の出である秋川鉄之介をも助け出そうとする。
それと共に安部譲二の小説は、秋川鉄之介とアイヌの酋長の娘・トウルシノの恋物語となっていく。
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そうか、旧御家人の網走監獄に囚われている若い男とアイヌの酋長の娘の恋物語は、それはそれでいい。
が、最後の最後、安部譲二はその著『囚人道路』にこう記している。
<工事が終われば解き放つという約束を反故にして、全員抹殺したのだが、これは伊藤博文の他には3名の政府首脳しか知らなかった初めからの計画だった>、と。
何と、伊藤博文、生き延びた囚徒をも鏖(みなごろし)にした。何とう。
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安部譲二、この書の「あとがき」にこう記している。
戸川幸夫先生がダンボール箱一杯の資料を貸して下さいました、と。「貴君が小説で書くのなら」、と。
伊藤博文に対する思いも記している。
憎悪の念から畏怖の念となった心情を。
国家を思い。