春場所千秋楽。

大相撲春場所、荒れると言えば荒れた。
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白鵬、初日、2日目と勝つには勝ったが3日目から休場した。
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10日目が終わった時の星取り。
高安ひとりが1敗でトップを走る。高安が全盛期の大関時代、当時の横綱、大関で優勝経験のないのは高安のみと言われた。1於日目を終わり、他の力士に2差をつけれいる。優勝は高安のものかと思われた。
照ノ富士はこの時点で3敗。大関復帰に必要な二桁勝利は危ないか。
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14日目が終わった時の星取り。
高安はこの日も敗れ4敗。
照ノ富士は勝ち続け11勝。単独トップ。
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直近3場所の勝ち星合計35勝。
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千秋楽、貴景勝との一番。
負ければ4敗力士の巴戦による優勝決定戦となる、
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照ノ富士、押し出しで勝つ。
照ノ富士、3人の大関を3タテ。
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何と優勝照ノ富士。
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照ノ富士、大関から序二段まで落ち、そこから三段目、幕下、十両、前頭、小結、関脇ときて大関復帰までの軌跡。
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白鵬がいなけりゃ圧倒的な力量の力士はいない。みなドングリの背比べのようなもの。正代など負け越している。
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鶴竜が引退した。

存在感を見せられるか、白鵬。

白鵬が久しぶりに戻ってきた。昨年11月場所後には横審から注意を受け、今年初場所は新型コロナウイルスに罹ってしまった。3場所全休した。久しぶりの今場所、白鵬がその存在感をみせられるかが、私の今場所最大の関心事である。
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白鵬、新入幕からの幕内連続在位100場所となる。
炎鵬が十両へ落ちたため、今場所は露払い・照強、太刀持ち・翆富士。伊勢ヶ濱一門のやはり小兵コンビ。
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場所前、白鵬はこう語る。
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先月25日の合同稽古。
白鵬、積極的に申し合いをしている。これは正代とのものか。
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本場所への出場は昨年7月場所以来。
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久方ぶりに横綱の土俵入りを見た。
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やはり、横綱土俵入りがないことには。
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白鵬と共に今場所の注目力士は照ノ富士。
先々場所13勝、先場所11勝している。三役で3場所通算33勝にはあと9勝となっている。しかし、それはあくまでも今までの目安。二桁、最低でも10勝は必要であろう。
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場所前、照ノ富士もこう語っている。
本人自身、オレが二桁の星をあげるのは当然だ、との思いがあるのであろう。
横綱が近い大関と言われたが、2017年11月場所で関脇に落ち、そこから前頭→十両→幕下→三段目、さらに2019年3月場所には序二段と、最下位の序の口・褌担ぎの一歩手前まで急降下、そこから急降下した道を逆に急上昇、昨年7月場所では再入幕、幕尻優勝をとげ、また関脇まで戻ってきた。そして今、大関が眼前に。
いつだったか北の富士さんが、「普通なら、大関経験者が十両に落ちたら、さらに幕下にまで落ちたらやめますよ。引退する。よくぞやめなかったものだな、照ノ富士は、へー」と言っていたが、照ノ富士の感覚に誰しも驚く。
どうも3年ほど前、照ノ富士の番付け急降下中に入籍したモンゴル人の女性がいる模様で、その女性がイケイケドンドンの無鉄砲相撲で大怪我をした照ノ富士の心をまともに立ち直らせたようだ。
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今月5日、伊勢ヶ濱部屋の稽古場の模様。
照ノ富士、宝富士と申し合いをしている。伊勢ヶ濱部屋は稽古相手に不足はない。後ろには、先般引退し安治川親方となった安美錦もまだまわしを締めて見守っているし。
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その照ノ富士、北勝富士を下手投げで下す。
しかし今日の照ノ富士、土俵下でもどこか緊張していた。この下手投げも強引さが出たものであった。昔のがむしゃら相撲のような。このような相撲を取っていたら、いつかはまた大怪我をしてしまう。
今場所の照ノ富士、いささか心配なところがある。
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結びの一番。昨年7月場所以来の白鵬と先場所優勝の大栄翔の一番。
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白鵬、立ち合い張り差しで一気に攻める。が白鵬、大栄翔の突き落としを食う。両者同体となってもおかしくない一番であった。
実は白鵬、場所前のインタビューで「新型コロナの影響で体力が戻らない」と。不安を口にしていた。確かに白鵬の身体、どこかしら軽くなったように感じる。
千秋楽まで「どうだ、まだまだお前たちには負けないぞ」という存在感を見せられるかどうか、白鵬にも一抹の不安がある。
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向正面解説の舞の海がこう語っていた。
「今場所は横綱から小結まで誰が優勝してもおかしくない」、と。確かにそう。
隆の勝の初優勝となっても、今日は敗れたが大栄翔の連覇となっても不思議ではない。
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それより北の富士さんが少し心配だ。
正面担当の三瓶アナウンサーに「どうです。お元気でしたか?」と訊かれ、「うん、まあ、少しそうでも・・・」と応えていた。北の富士さんも今月末には79歳となる。ここ2年ばかり元気が戻っていたのだが、少し心配だ。
今場所は、私にとって心配事が続く場所となりそうだ。私自身、他人のことを心配できる状況ではないが。

お松明。

東大寺二月堂修二会お水取りの生中継がNHKBSPであった。奈良へは数年に一度は行っているが、東大寺へ行くことは少なくなった。だから二月堂へ行くことも稀となった。
前回二月堂へ行ったのは2015年3月、6年前となる。修二会のお水取りに行ったこともない。回廊からのお松明の火の粉を浴びたこともない。
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新型コロナのため回廊下も無観客。NHK、お松明の模様を生中継した。
左に見える大きな木は、東大寺の初代別当・良弁の名をとった良弁杉だろう。
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「東大寺要録」(重文)に、二月堂の建立は天平勝宝4年(752年)とある。
それから1270回、二月堂の修二会は一度も欠かさず続けられてきたそうだ。お松明も。
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7時すぎの二月堂。
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回廊への登廊を童子に担がれたお松明が登ってくる。
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二月堂修二会のお松明の生中継、とても幻想的。
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お松明、2週間に及ぶ練行衆の厳しい修行の一過程である。
が、お松明が最も面白い。
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NHK、「闇と炎の秘儀」と銘打っている。
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お松明、練行衆の数だけ回廊をかけ廻る。
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お松明、杉板や杉の葉で作られた籠松明。
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よく燃える。
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最期のお松明が回廊を駆け抜ける。
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火の粉を散らして。
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30分ばかりであっただろうか。東大寺二月堂の修二会、お松明の生中継は終わった。
二月堂はまた闇に包まれていた。
6年前二月堂へ行った折り、二月堂の前に二月堂茶所という無料の接待所があった。
そこに、お水取り、<「お松明の杉の葉の燃えさし」です。ひとつまみお持ち帰りください>というお松明の燃えさしがダンボールの箱に入っていた。
ほんのひとつまみ頂戴して、お袋の小さな仏壇へ入れておいたのだが、いつの間にかどこかにいってしまった。杉の葉の燃えさしだから、どこかへいってしまったのだろう。不思議ではない。

3.11を過ごしてしまった。

2.26は入院中だったのでやり過ごした。
しかし今日は3月12日である。何たることだ。退院していたにも関わらず、3.11をやり過ごしてしまった。
昨日、政府主催の東日本大震災十周年追悼式の中継は見なければと思っていた。
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もう10年になる。
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地震発生時の2時46分、黙禱。
天皇、皇后も。
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陸前高田のあの一本松も。
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鉄道はダメだが釜石(宿からは、寝間着がないんで持ってきてくれと言われた)から大船渡(町はそっくりすべて無くなっていた)の手前の盛から気仙沼へのバスが通った。大震災の翌年の1月だった。
陸前高田の奇跡の一本松もバスの窓から見た。
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その3年半後、2015年8月、八戸から久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、石巻と三陸沿岸を南下した。その時の陸前高田は、町中かさ上げの土砂を運ぶパイプが走っていた。
結局枯れたあの一本松も保存処理が施され、パイプの向こうに。
あの後、三陸沿岸へ行ったのはこの2回であるが、それから10年となる日・3.11をやり過ごしてしまった。気づいたら今日、12日となっていた。



昨日昼前、カミさんが孫坊主と電話で話していた。途中で私も坊主と話した。坊主は「ババのウチに行く」と言っていたが、ババが孫坊主のウチに行ったようだ。
私は大震災の追悼式を見ていたが、その後のことは覚えていない。何らかの震災がらみのものを見ていたのだろう。カミさんがいつ戻ったのかの覚えもない。
夜中のNHKで黄河の源流、チベット族の星宿海なんて番組が薄っすらと浮かぶ。眠ったり起きたりしているんだ。
ふと思うと、何のことはない病院の個室と同じじゃないか、と。トイレも洗面所もある。面倒であまり入らないが風呂もある。具合の悪いことに、どうも目が覚めると酒を飲んでいるようなんだ。
だから、3.11もやり過ごしてしまった。
まずい。これじゃまたすぐ再入院となってしまう。バカは死ななきゃ治らねー。半分、いや7割方森の石松状態になっている。

帰還。

3日前に帰ってきた。
久しぶりでブログも記そうかとも思い、溜まったメールに幾つか「どうかしたのか?」というものもあったのだがまだ失礼をしている。一昨日、昨日とボケーとしていた。
2月16日、呼吸器内科外来の予約日であった。3か月に一度、X線とCTを撮り、3か月前の画像と比較する。CTの画像を見た医者は、「ウウー、ここんところ」と言い、「採血もしますし点滴もしますが、入院してください。病棟の方と連絡をとります。息苦しいでしょう」と言う。
ずっと息苦しかった。すぐ息切れがする。さまざまな入院手続きをし、3時前に病室へ。ウヌッ、個室だ。
<余寒の夜 考えてゐる 銭のこと>という江國滋の句が頭をよぎる。
江國滋、築地のがんセンターの幾つかランクのある中ほどのランクの個室に入院している(『おい癌め 酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記』)。ひと月の支払いは百数十万となる。多くは差額ベッド代である。江國滋にして余寒の夜には差額ベッド代のことが頭に浮かぶ。
がんセンターの個室と私が入った病院の個室とでは同じにならないであろうが、個室は個室に違いない。風呂はないがトイレや洗面所は付いている。今までさまざまな病院に入院してきたが、個室に入ったことはない。困ったなと思ったが、受け取った「入院のご案内」の中にこういう文言があった。
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なるほど差額ベッド代は取らないという。
憲法9条を守ろうとか改憲をどうとかということが病院の廊下に謳われている。どのような部屋に入れるかは病状や疾患によってということらしい。医者や看護師が憲法9条とどうかということは、まったく感じないが。私が住む地域では大きな病院であるが、経営者か院長の問題なんだろう。
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すぐに点滴が始まった。
通常の点滴と少し異なっている。上の袋と下の袋をつなぎ500ミリの輸液を8時間かけて入れるそうだ。通常の点滴の4倍の時間をかけて。
24時間ぶっ通しで暫らくの間この点滴を続けるという。
しかし、点滴は1日、24時間で終わった。暫らく24時間ぶっ通しの点滴を行なうと聞いていたのだが、食べられるようになったから、と。病院へ隔離され酒が飲めなくなったので、飯が食えるようになった。
この前の2月4日、血圧が急に下がり倒れそうになった時、その時の医者が「食べないとこうなるのです。当たり前のことなんです。解りますか?」と小学1年生坊主に話すように言ったことを思い出す。そう聞いても碌に物を食わず酒を飲んでいた。身体は弱っていた。身体のどこがおかしくなっても不思議でない状態であったようだ。
25年ぐらい前かもっと前か、チャールズ・ブコウスキーに凝ったことがあった。土日の休みには目が覚めるとビールを飲んでいた。が、月曜日には会社に行かなければならないのでそうはいかない。第一アメリカのヒグマのような男と極東の蚊トンボのようなへなちょこでは話にならない。いつしかそれはなくなった。
しかし、どうして私が陰圧の個室に入れられたのか。病棟の医者から「結核の既往症があるから」と訊いて驚いた。結核の既往症はある。が、50年以上前、55年ほど前のことである。
18歳になったばかりの春結核となり、翌年の夏まで結核療養所に入院した。その秋から予備校へ行き、翌春、滑り止めの所へ入った。2年遅れとなるのでどこかへ入る必要があった。半年足らずの受験準備だったので、それでよしとした。
3年後であったろうか結核が再発した。1年半入院し、最後は切除した。学校は何年か休学した。
いずれにしろ55年も前のこと、驚いた。それが復活するなんてことがあるのかと訊いた。あり得ると医者は言う。
だから、個室の陰圧室なんだ。
3蓮痰や鼻から管を入れ胃の内容物を調べることなどを行なった。最終的に結核の疑いは晴れた。医者は肺マック症だと言う。
身体自体が弱っており免疫力が低下しているので、身体のあちこちが具合悪くなっている。肺も。
肺マック症なんて初めて聞いたが、結核菌とらい菌以外の肺の病気だそうだ。
朝飯前に多くの薬を飲む。3種類の抗生物質。中にひとつ小便が赤くなるものがある。
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このように。ヨードチンキのような。
これは薬にそのような色素が含まれているためで、悪い副作用ではないそうだ。
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年が明けてから長く伸ばしていた髭、入院し病院のベッドの上では鬱陶しくなったので、短く刈りこんだ。
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孫娘と何やら解からぬ孫坊主(左)からのの力づけ。
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夜、なかなか眠られず起きている。
朝、6時前の病室の外。
結核の疑いが晴れるまで、廊下へ出ることも禁じられている陰圧の個室に入っていた。外との繋がりは窓ガラスのみ。
6時からは、日野正平の「こころ旅」の「とうちゃこ」が始まる。毎朝6時から昨年秋に東北を走った番組の再放送が流れる。日野正平の「こころ旅」も好きな番組で日中の放送は気づいたら見ていたが、朝6時からも流れているとは知らなかった。
日野正平、東北の被災地のあちこちを走る。今までまったく知らなかった映像。とても面白い。
私の肺の異常は、肺マック症ではなくNTM(カンサシー)であるとのこととなった。肺マック症もNTMも非結核性抗酸菌症のひとつであるそうだ。結核菌も含め似ていると言えば似ている。
結核が人から人へと感染するのに対し、非結核性抗酸菌症は人から人へは感染しないそうだ。
しかし、いずれにしろNTM(非定型抗酸菌)なるもの、少なくとも1年以上の薬物投与・抗生物質の投与が必要だそうだ。さまざまな副反応があるらしい。視力障害(定期的な眼科検診がある)、血糖値が上下に振れる。初めの内は血糖値が高くなりすぎるのでインスリンを打っていたが、インスリンを打つと血糖値が下がりすぎ低血糖となってしまうのでインスリンはやめ飲み薬に変わった。これも抗生剤の副反応のひとつだそうだ。
ややこしい病気であり、ややこしい薬である。
それにしても間もなく満80歳となる。1年以上の薬剤投与って、私は満81歳になってしまうよ。81歳まで生きるために小便が赤くなる薬を飲むなんて、何となくおかしくて笑ってしまう。
2月16日の呼吸器外来の日、病院が終わったら返却日が少し過ぎている本を返しに図書館へ行くつもりであった。が、即入院となってしまい本は返せなくなった。図書館へ電話し事情を話した。その日に返す中の1冊にイザベラ・バードの『新訳 日本奥地紀行』(金坂清則訳 平凡社 2013年刊)もあった。
平凡社の東洋文庫、面白いものが多い。が、新書版でハードカバー、ページ数も多い。字が多い。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』もそう。540ページ近くある。読み飛ばしていたが、隔離されたこの機会に気合を入れて読んだ。
明治11年のことなんだ。イザベラ・バード、横浜そして東京から未開人の地・蝦夷地への旅をしている。アイヌのコタンを次々に訪れている。北海道開拓使の力を使って。
通訳兼案内役・従者の伊藤(イト)という若者と共に。
徳川から明治の代となって11年、明治政府、イギリスの力を利用している。イギリスも明治政府に食いこんでいる。
いや、面白い。

塩水のようなものです。

年が明け1月が過ぎた。
昼近くに起き、背中を倒した座椅子でうつらうつらしていた。世のため人のためになるようなことは何一つしていないのだから、それでよかろうと思って。1月に予約の入っていた病院は、すべてキャンセル延期した。病院へ行くのが面倒であった。
2月に入っても時間が経ったが、2月の病院の予約はそのまま行くことにしていた。
4日の午後、内科へ行った。この病院ではまず患者が体重と血圧を測り、ファイルに入れる。
体重は46キロであったが、血圧は上が75、下が41であった。ウンッ低すぎるじゃないか。普段の数値は130台から150台である。で、血圧を下げる薬も処方されている。いつもの半分近くの血圧である。再び測り直したが似たような数値であった。
と、待合室の椅子に座っている時、横に倒れそうになった。椅子に座っていられない。看護婦が来てベッドのある部屋へ運んでくれた。暫くして医者が来た。
心電図を取り、点滴となった。2時間少しの点滴の間、看護婦が何度も来て血圧を測った。70台であった上の血圧は80を超え、100も超え、150となった。医者も診察の合間に何度か来た。
点滴が終わった後、医者はこう言った。初めは青白かった顔色も赤みが増しました。しかし、点滴は解りやすく言えば塩水のようなものです。それでもずいぶん変わりました。
実は、初めは血流がとても悪い状態でした。水分と塩分が極端に不足しています。
簡単なことなんです。当たり前のことなんです。食事をしない、ものを食べないとこうなります。バカにできないことです。当たり前のことなんです。分かりますか?、と言う。
食事ができないならば、エンシュア・リキッドというものがありますのでそれを飲んでください、と言う。
エンシュア・リキッド、経口・経管両用の経腸栄養剤。ドロリとした液体だが、私の胃では250mlの半分ほど飲むと腹がくちくなる。
2年前の1月に急逝した伊藤のことを思い出す。伊藤、胃瘻をしていたが仲間内の飲み会には参加していた。飲み会の最中でも栄養剤を胃に入れていた。おそらく同じようなものを入れていたのだろう。急逝する前月の忘年会でも。
今日は2月の13日か。相変わらず食事はさほどとらず、焼酎のお湯割りを飲みうつらうつらしている。エンシュア・リキッドを飲み、養命酒も飲んでいる。これでいいのか。いいとは言えないのであろうが、まあそういうことだと思っている。


オリンピック、パラリンピックがややこしくなっている。
女性蔑視放言の森喜朗が辞任した。後任はやはりオレしかないよな、と考えていた川渕三郎は赤っ恥をさらした。
菅義偉はいつものように腰が引けていた。関わる権限がないなどと言って。
自らが会長を務めるJOCの会合で森喜朗の放言があったにも関わらず、その2日後となって「オッと思ったが」なんてことを言い、「森会長には最後まで全うしてもらいたい」と言うノーテンキな山下泰裕。山下泰裕、柔道は強かったが組織のトップとしての器量がない。存在感が薄い。
存在感が薄いと言えば、オリンピック、パラリンピックが開かれればその開会宣言をする今上天皇、その存在感も先帝・上皇に較べ、畏れ多いことではあるが、その存在感すこぶる薄い。
オリンピック、パラリンピック、中止にすべきである。
ワクチンがどうこうとか、観客を入れるとか入れないとかと言うこと以前の問題である。
菅義偉以下存在感の稀薄な人物がひな壇に並ぶ、その一事だけでも日本国民として耐えられない。恥ずかしい。
長嶋茂雄には叶わないが、オリンピック大好き人間の私、今回だけは中止してもらいたい。

クーデター。

今朝、アウンサン・スーチーが拘束された。ミャンマー国軍により。国軍の実質的なクーデターである。
アウンサン・スーチー、ミャンマーの最大政党・NLD(国民民主連盟)党首であるばかりでなく、国家顧問。ミャンマーの最高権力者であった。
が、ロヒンギャ問題では「どうしたスーチー」という声が先進各国からあがった。ノーベル賞を剥奪しろという声も。スーチー、ロヒンギャ問題では腰が引けていた。おそらく、軍部とのバランスを取るためであったであろう。
しかし、それでも軍との軋轢は増していったのであろう。
で、現在のアメリカをはじめとする先進国と中国の状況などを考慮、国軍が動いたものと思える。ミャンマー国軍、非常事態宣言を出した。典型的な軍事クーデターだ。
ミャンマーには一度だけ入国した。
10年前の2010年、学生時代の古い仲間・高橋のタイ、チェンマイの別荘に招かれた。王侯貴族もかくやという待遇を受けた。象がいるところ、大きなトラがいるところ、何より幾つものお寺に連れて行ってもらった。
ある時、チェンマイから北上、以前の麻薬地帯・ゴールデントライアングルへ行った。国境の町・メーサイからミャンマーへ入った。イミグレーションでエントリー・パーミット(入国許可証)を受け、ミャンマーのタチレイという町へ入った。
まだアウンサン・スーチーが自宅軟禁となっていたころであった。タチレイの町、ごった返していた。物乞いも寄ってきた。前途多難だな、という思いを持った。
近年は経済成長率が高いとのことであったが、それはそれでクーデターの要因を内包していたのであろう。