愛か、否やか。

ソウル市内の町工場がひしめく一画、血も涙もない借金取りの男・ガンドが、金を取り立てに行く。親の顔も知らず、30年間、天涯孤独に生きてきた男である。
利子が元金の10倍にも膨らみ、返済ができなくなった工場主には、工場の機械で腕を切り落とさせる。その保険金で借金を返済させるんだ。プレス機で潰したり、高い所から突き落とし障害者にして、その保険金を借金の返済にあてさせる、ということを日常の生業としているんだ。
韓国、G20にも入り、先進国の仲間入りはしている。しかし、いずこも同じ格差社会である。借金の返済のため、自らを障害者にして、ということも。

『嘆きのピエタ』、脚本・監督:キム・ギドク。
北野武の『アウトレイジ ビヨンド』、P.T.A.の『ザ・マスター』など世界中の話題作がひしめいた昨年度のヴェネチア国際映画祭で、金獅子賞を受賞した。

ある時、その血も涙もない借金取りの男・ガンド(役者は、イ・ジョンジン)の前に、母親だという女・ミソン(扮するのは、チョ・ミンス)が現われる。
目をそむけたくなるような映像が続く。30年間、天涯孤独に生きてきた男だから。
しかし、だんだん母親じゃないか、という意識になってくる。
そこからである。二転三転のどんでん返しが続く。まったく意表をつく展開となる。
すさまじい映画である。
キム・ギドク、超学歴社会と言われる韓国で、大学へ行かず、10代の頃から、この映画の舞台であるソウル清渓川の町工場で働いていたそうだ。
社会を見る目、深く重い。

バチカン、サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロの≪ピエタ≫を思わせる。

”愛”ということを考える。はたしてそうか、ということも考える。
”愛か、否やか”、ということを。
”赦す”とか、”贖罪”だとか、ということも。