2018-01-01から1年間の記事一覧

バンコク散歩(24) サイアム・パラゴン。

アユタヤからホテルへ戻り2時間ほど休んだ後、5時ごろ出かけた。 実は、バンコクへ行った翌日に王宮へ行く時にはガイドが、また、その翌々日に国立博物館へ行く時にもタクシーの運転手が、途中のあるところに近づくと「サイアム・パラゴン、サイアム・パラ…

バンコク散歩(23) ワット・プラ・シー・サンペット。

次いでワット・プラ・シー・サンペットへ。 バンコクの王宮にワット・プラケオ・エメラルド寺院があったが、ワット・プラ・シー・サンペット、アユタヤ朝のそのようなもの。アユタヤ王朝の守護寺院。 このようなものが見えてきた。 車を降りて歩く。 目の前…

バンコク散歩(22) ワット・マハタート。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンから10分ばかり走り、ワット・マハタートへ。 ワット・マハタート、著名なお寺である。著名である理由は二つある。そのひとつは、木にがっしりと挟まれた仏頭があること。あとひとつは、ビルマの軍隊に徹底的に破壊されたお…

バンコク散歩(21) ワット・ヤイ・チャイ・モンコン。

昨日記したが、アユタヤ王朝は14世紀半ばから18世紀半ば過ぎまで400年を超えて続いてきた。 チャオプラヤー川とその支流に囲まれたいわば中州にアユタヤの町の主要部はある。バン・パイン宮殿からアユタヤまでは約20キロ。30分弱でアユタヤに着く…

バンコク散歩(20) バン・パイン宮殿。

帰る前日の18日、アユタヤへ行った。 アユタヤはバンコクから北へ80キロ弱、1351年から1767年にビルマに滅ぼされるまで400年以上続いたアユタヤ王朝の中心地である。 そのアユタヤへの途中、アユタヤの20キロばかり手前に、アユタヤ王朝の…

バンコク散歩(19) テレビ。

好き嫌いに関わらず、今は何処へ行ってもアメリカと中国、ドナルド・トランプと習近平を避けては通れない。 ホテルの部屋にはこのようなテレビのチャンネル案内があった。 NHKも含め33局を見ることができる。 タイの地元局。 サッカーW杯が始まってい…

バンコク散歩(18) 街中。

昨日の午後、病院へ行った後、夜、映画を観に行った。その後、飯を食おうと食堂へ入りスマホを見たら、何と京大の先生がノーベル賞を受賞している。 本庶佑京大特別教授、医学生理学賞。このところの日本の得意分野だ。それにしてもこのところの日本、ノーベ…

バンコク散歩(17) ムスリム街。

泊まっていたホテルでもWiFiが繋がるのだが、どうもうまくいかない。スタバかマックならバンコクでもWiFiがOKのはずなので、国立博物館から戻り1時間ほど休んだ後ホテルから外へ出て行った。スタバやマックは、まあ世界中どこにでもある。 初日に…

バンコク散歩(16) 国立博物館(続き×3)。

昨日は、入口のマップ左上「3」の、仏像をはじめとするアジアの彫像を見てきた。 さまざまな建物がある。 中央部のマップ「5」の方へ歩く。 右手の建物にお坊さんの姿が現れた。 何人ものお坊さんが出てきた。 バンコクの町中、お坊さんの姿を見ないわけで…

バンコク散歩(15) 国立博物館(続き×2)。

ブッダイサワン礼拝堂を出た後、奥の方へと進む。 このようなところを通り・・・ ここへ。 マップの説明によれば、マハ スラ何々・・・とややこしいが・・・ Maha Surasinghanat Buildingという建物。13世紀以前のタイ美術を展示…

バンコク散歩(14) 国立博物館(続き)。

歴史館の横に小さな部屋がある。昨日のマップによると「赤い家」と呼ばれる部屋らしい。 向こう、大きな柱の間に見えている。 入る。 タイの歴史、幾つかの時代がある。ビルマ系の時代やクメールの版図であった時代がある。が、私たちが知るタイの時代は、1…

バンコク散歩(13) 国立博物館。

東博・東京国立博物館が開設されたのは明治5年、西暦でいえば1872年である。その2年後の1874年にバンコクの国立博物館は、ラーマ5世の手によって開館している。昨年亡くなったプミポン前国王はラーマ9世、現国王はラーマ10世であるから5代前…

ヒーローなき場所だった。

昨日までの4日間、日中出ていて中継は見ていなかったが、今日秋場所が終わった。 先場所が終わった折り、これは世代交代の匂いがするなと思った。御嶽海が優勝したということばかりじゃなく、三賞を取った豊山と朝乃山、さらに貴景勝、北勝富士、阿武咲、と…

バンコク散歩(12) bacc(続き)。

baccの中、ギャラリーばかりじゃなくカフェ、食堂、雑貨屋、画材屋、書店、・・・、さまざまな店がある。規模の小さな店が多い。 ポップアップ・ショップとなっている。 パステルやクレヨンなどの顔料を扱う店だったような気がする。右の方は、ソバ屋と…

バンコク散歩(11) bacc。

MOCAの後はbaccへ行った。 bacc、bangkok art & craft centerの略。どういうワケか小文字表記である。 先述したが、泊まっているホテルには催し物や旅行の手配をする業者はいるが、いわゆるコンシェルジュはいない。フロ…

バンコク散歩(10) MOCA(続き×2)。

MOCA、あと少し。とても面白い美術館だから。 このような美術館ではニューヨークのMoMA、パリのポンピドゥーセンター、ロンドンのテート・モダーンといった大手がある。もちろん、そのような美術館とは比べものにならない。しかし、とても一生懸命な…

バンコク散歩(9) MOCA(続き)。

MOCA、コンテンポラリー・アートの美術館という名称であるが、その収集品はいわゆるコンテンポラリーに囚われない。元々、タイの大手企業の創業者のコレクションだそうだ。その人の嗜好や感性で収集したものであろう。 だからこのようなものもある。 タ…

バンコク散歩(8) MOCA。

バンコクでのアートスポット、どこへ行こうかなと考えていた。 ひとつは国立博物館。以前にも行っているがここは凄い、外せない。 ついではチケットをくれた高橋が「ここは面白そう」と言っていたMOCA(現代美術館)。そして、どういうところかはよくは…

バンコク散歩(7) ムエタイ(続き×2)。

言葉が分からないので分かってはいなかったのであるが、この試合は何らかのタイトルマッチであった。 それまでの試合とはどこか異なる。 二人のムエタイ戦士、激しく戦う。 両者、コーナーで倒れこみ、 組み打ち、という状態になることもあった。 見応えがあ…

バンコク散歩(6) ムエタイ(続き)。

一昨日、2か月ぶりで再会した「バンコク散歩」、昨日いきなりの休載となった。 実は、昨日、正体不明の状態となってしまった。 昨日、学生時代の友達であるじゃこめてい出版の青木太郎の墓参りに行った。例年通り、これも友達・どうぶつ社を閉めた久木亮一…

バンコク散歩(5) ムエタイ。

この1、2年、時折り何かヘンになる。 昨年春先にも何かヘンになり、「流山子雑録」も1か月ほど休んでしまった。丁度人間ドッグに入る時で、その時は大腸のポリープを3つか4つ取っただけで終わった。 昨年秋にも何かヘンになった。風邪のようだったので…

死を想う。

時折り訃報が届く。その中には時として、思いの深い人の知らせもある。 1週間前、封書が届いた。差出人の名に覚えはない。が、苗字には覚えがある。ああ、と思った。封を切ると、やはりそうであった。思いの深い人の息子さんからの知らせであった。 その少…

『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き×4)。

先述したが、昭和20年(1945年)9月11日の第一次以降、A級戦犯の逮捕が続いた。 翌昭和21年(1946年)5月3日から極東国際軍事裁判(東京裁判)が始まり、約2年半の審理の末昭和23年(1948年)11月12日判決が言い渡された。 『…

『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き×3)。

『昭和天皇実録』の昭和21年3月19日、皇太后が木下侍従次長を通じ昭和天皇に退位を迫った同じ日、寺崎英成は、忠臣・寺崎英成という行動をとっている。 この日の『寺崎英成御用掛日記』に、このようなフレーズがある。 <・・・・・ 米内(光政)に行く…

『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き×2)

晩年の昭和天皇がご心痛であられたという「戦争責任のことをいわれる」という問題、日本ではある種タブーとされていることである。何故なら、昭和天皇ご自身が公には戦争責任がご自身にある、とは考えられておられなかった故であり、口にもされなかったから…

『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き)。

今日の各メディア、共同通信が配信した長年昭和天皇に仕えた小林忍侍従の日記が残され、そこに晩年の昭和天皇の「心の奥」が記されていることを報じている。1987年4月7日の日記。 85歳になられていた昭和天皇、その前夜、「仕事を楽にして細く長く生…

『昭和天皇実録』の恣意と配慮。

1週間前、その3日前に行方不明になった2歳になったばかりの男の子が、赤い捩じり鉢巻きの尾畠春夫さんに助け出された時、日本中がワーって沸いた。私も興奮した。 この現代の宮沢賢治とも言える赤い捩じり鉢巻きの尾畠春夫さんに国民栄誉賞を贈ってくれ、…

高校野球 甲子園。

27年前になるが胃を切った。早期の癌であった。 医者は「あなたは運がいい。早いうちに見つかった。2/3ほど切ればいい」」、と言った。医者が「早期」、「早いうち」と言う割には多く、2/3以上切り取られた。そのおかげで再発はせず、今も生きているが…

赤い捩じり鉢巻き。

今年は年明けから、「今年の8月15日は特別な日であるな」、と思ってきた。 日本の8月、戦争を考える月である。ましてや平成最後の8月15日は特別の日だ、と。 日本武道館での全国戦没者追悼式への天皇皇后両陛下のご臨席も最後、今上天皇のその折りの…

最後のご臨席。

終戦から73年、日本武道館での全国戦没者追悼式、今年は特別な意味合いを持つ。 今上天皇のご臨席、最後となる。 11時50分、厚労相・加藤勝信の先導で会場へお入りになる。 お席へ。 今上天皇、皇后両陛下にとっては、30回目の全国戦没者追悼式への…