『昭和天皇実録』の恣意と配慮。

1週間前、その3日前に行方不明になった2歳になったばかりの男の子が、赤い捩じり鉢巻きの尾畠春夫さんに助け出された時、日本中がワーって沸いた。私も興奮した。
この現代の宮沢賢治とも言える赤い捩じり鉢巻きの尾畠春夫さんに国民栄誉賞を贈ってくれ、と記した。たとえ番外編でも、と。
昨日、甲子園での高校野球の決勝で秋田の農業高校・金足農高が、大阪桐蔭に敗れ準優勝となった。昨日、今日、日本中が沸いている。秋田、秋田、金足農業、金足農業、と。感動した、感動した、と。私も野球のエリート校である大阪桐蔭と秋田の農業高校では、秋田の農業高校に肩入れしていた。
しかし、予選から甲子園での全試合、すべて「9人野球」を貫いたとか、決勝戦の途中まですべて一人のピッチャーに投げさせて、決勝戦後のインタビューでも、「できれば吉田に最後まで投げさせてやりたかった」という監督の言葉に異を唱える人が誰ひとりいないことに違和感を覚えた。
日本全国、感動した、感動したの声ばかりであることに。
「9人野球を貫いた」ということが、それほど凄いことなのか。私には「そうかなー」、という思いがある。
金足農高の野球部にも50数人の部員がいる。甲子園のベンチにも18人の部員が入っているはずである。補欠の9人を含め。
伝令その他、補欠の部員の役回りはある。しかし、本心は一度でいいからピンチヒッターででも使ってほしい、と思っていたであろう。選手として甲子園の地に立ちたい、という思いが。
ゲームは大阪桐蔭のワンサイドゲームであったんだ。野球のエリート校である大阪桐蔭にワンサイドで敗れるのは仕方ない。しかし、彼我の実力差が明らかとなりワンサイドとなった後も先発9人のみで補欠の選手を使わなかった、つまり出してやらなかった金足農高の監督の采配、私には疑問。人間性が感じられない、何が「9人野球」だと。どうして補欠の選手を出してやらないんだ、と。
どうも、誰もそのことを言わない。触れない。不思議でしようがない。
「もう投げられない」というまでエースピッチャーひとりに投げさせ、ゲーム後、「できれば最後まで投げさせてやりたかった」、という発言にも、それは違うよ、という声がメディアから流れず、「感動した、感動した」のオンパレードであることにも、「そういうことなのか」と思った。
と共に、「オレは少し世間の皆さまとはズレているのかな」、とも思ったが。
「まあ、いいか」、とも。たかが高校野球。


8月も下旬となった。
日本の8月、戦争の8月である。ましてや今年は、平成最後の8月である。
暫らく前から『昭和天皇実録』を読んでいる。市の図書館から借り出して。
『昭和天皇実録』、宮内庁書陵部が24年5か月をかけて編集したものである。全19巻、総ページ数12000ページに及ぶ大冊である。
私はもちろん、面白そうなところを飛ばし読みしている。さしあたりは、昭和20年8月の終戦前後のあたりから。
『昭和天皇実録』、読みだすと面白い。何日か前には、夜が明ける前、窓の外が明るくなるまで読んでいた。読みながら眠ってしまうこともある。焼酎の水割りに酔って眠ってしまうこともある。
『昭和天皇実録』、なんだかんだ面白い書である。
今日、それに触れようと思っていたが、秋田の農業高校に対する世間さまと私の感覚のズレを記したこともあり、それは明日以降とする。