『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き×2)

晩年の昭和天皇がご心痛であられたという「戦争責任のことをいわれる」という問題、日本ではある種タブーとされていることである。何故なら、昭和天皇ご自身が公には戦争責任がご自身にある、とは考えられておられなかった故であり、口にもされなかったからである。
そうかな、責任をとって退位されるべきじゃないかと考えていた人は、昭和天皇の身近かな人にもいたことはよく知られている。弟君の高松宮が兄君にそう語っているし、昭和天皇が唯一頭の上がらなかったご母堂・皇太后が、しかるべき時に退位しろ、とご子息の昭和天皇に退位を迫っている。
『昭和天皇実録』の昭和21年3月19日の記述を抜き出す。
<・・・・・。その際、木下は、天皇の御退位に関して、皇太后は然るべき時期をみて決行されるを可とする御意向と推察される旨を言上する>、とある。
木下とは、昨日の寺崎英成の日記にもでてきたが、当時の侍従次長であrった木下道雄である。木下侍従次長が天皇の命で皇太后の許へ了解事項を取りに行った折り、皇太后からこのようなご発言がありました、というもの。
半藤一利は、<天皇に正面から退位を迫った唯一の例は、皇太后だったと思います>、と半藤一利、保坂正康、御厨貴、磯田道史共著『「昭和天皇実録」の謎を解く』(2015年 文藝春秋刊)の中で語っている。
さらに・・・
天皇の戦争責任、このタブーに立ち向かったのが、監督:ピーター・ウェーバーの『終戦のエンペラー』であった。ファクトとフィクションがないまぜになった映画であったが、面白かった。2013年夏に封切られた。丁度5年前。最高司令官であるマッカーサーからフェラーズが戦争犯罪者をリストアップしろ、と命じられる。まずは東条英機はじめ東条内閣の閣僚たちが・・・・・。昭和天皇は・・・。
タブーに挑む。ハリウッドであるからこそ創ることができた映画で、日本では難しいであろうというものであった。「流山子雑録」にも2日に亘って記した。
昭和天皇は、戦犯となることはなかった。
今までにも記したことがあるが、昭和天皇を救った功労者はダグラス・マッカーサーと東条英機である。この二人が昭和天皇に戦犯の汚名をきせず長命を与え給うた大功労者である。
もちろん、マッカーサーには自らの思惑があった。日本占領を上手く運ぶには天皇が必要であり、その上に大統領を狙う自らの野望もあり、という。東条英機はある時期から悟ったのではないか、と考える。私がお上を、天皇をお救いする、と。その悦びに。
1945年9月11日、東条英機をはじめとする第一次A級戦犯の逮捕命令が出る。東条英機はピストル自殺を図るが失敗。このことについては今までに何度か記したような気がする。
『昭和天皇実録』のこの日の記述は、こうである。
<・・・・・。午後八時過ぎ、当直侍従より、聯合国最高司令部が元内閣総理大臣東条英機に対する逮捕状を発し、・・・・・。東条は、この日午後四時十五分に拳銃自殺を図るも未遂に終わり、横浜の米軍病院に搬送される>、と。
その後、第二次、第三次の戦犯指名と逮捕が続き、12月6日、第四次の戦犯指名が発表される。その中には、昭和天皇のお側に仕えた木戸幸一と何度も首相となった近衛文麿も含まれていた。
近衛文麿、指定された出頭日の12月16日に服毒自殺を図る。
『昭和天皇実録』昭和20年12月17日には、こう記されている。
<・・・・・、昨十六日の公爵近衛文麿の自殺につき感想を述べられる>、と。
ただ、それだけ。そっけない。しかし、どのような感想を述べられたかの記述はない。
保坂正康、前掲書において、<天皇が「近衛は弱いね」と漏らされたのは、この時だったのでしょうかね>、と語る。
あっちへ行ったりこっちへ来たり、今日はここまで。