バンコク散歩(17) ムスリム街。

泊まっていたホテルでもWiFiが繋がるのだが、どうもうまくいかない。スタバかマックならバンコクでもWiFiがOKのはずなので、国立博物館から戻り1時間ほど休んだ後ホテルから外へ出て行った。スタバやマックは、まあ世界中どこにでもある。
初日に夕飯を食いに行った時気づいていたがホテルの周り、イスラム色を感じる。で、この時には初日よりももうひとつ奥へ入った道へ行った。

このあたりから。

手に大きな瓜のようなものを持っているこの女性、スカーフを巻いている。ムスリム・イスラム教徒である。

と、突然、アザーンが流れた。
時計を見たら丁度4時であった。
アザーンはそれまでにもあちこちで聴いている。エジプトやトルコ、イラン、モロッコ、インドのイスラム寺院でも聴いている。町中ではスピーカーを通して流されるということが多いせいもあろうが、仏教のお経に比べ力強い感じを受ける。
もっとも厳密に言えば、アザーンは仏教のお経、つまりコーランの朗誦ではないことは知っている。単なる礼拝への呼びかけである、ということを。しかし、その言葉を知らないからということもあろうが、朗々と語られるアザーン、腹の底に響きわたる。
私は、ンッ、アザーンはどこから流れているんだろう、いったいどこにモスクがあるのだろう、ときょろきょろしていた。
と、ひとりの男が近づいてきた。そして、「あの上にモスクがあるのです」、と前の建物の上の方を指さす。上の写真のパラボラアンテナのすぐ下の部屋がモスクらしい。
で、アザーンもそこから流れている。

私にそう語った男は、前の方へ歩いていく。この青いシャツに濃紺のベストのようなものを着た男である。典型的なタイ人に見えたが、彼もムスリムであったのであろう。
ムスリムと称されるイスラム教徒、さまざまな人々、民族がいる。
アラブの人たち、ペルシャ(イラン)の人たち、アフリカ系の人たち、マレー系の人たち、中央アジアにも多くのムスリムはいる。モンゴロイドも含め。
それはさておき、青いシャツを着たタイ系ムスリムの男が入っていったここ、「シェーラザード・レストラン」と記されている。「千夜一夜」の「シェーラザード」である。

白く長いアラブの服を着た老人が、黒い衣装にベールを被った老婦人と共に入っていく。

モスクの入口は、このシェーラザード・レストランと共用しているようだ。
ムスリム街である。

左手を見る。

串刺しの肉を焼いているこの男の出自は何処であろうか。いずれにしろ、ムスリムであることに不思議はない。

共に働くこれらの女性たちはタイ人に見えた。ムスリムであるかどうかは分からないが。

何処でも見られるカバブ店。

ここはアラブとレバノン食材のレストラン。
この写真の中央下、彫りの深い顔つきの女性が見える。レバノン美人であろう。ベールを被っている。もちろん、ムスリム。

アフリカ系ムスリムの店もある。

白く丈の長いシャツを着たこのアフリカ系の男、ムスリムに違いない。

この黒い衣装に包まれた女性と白い衣装の男性のカップル、典型的な中東のムスリム。

このような道を歩いた。

先の方、あの横顔は知っている。
やはりそうであった。

3500年前のエジプトの王妃・ネフェルティティの横顔である。今、ベルリンの博物館にある。素晴らしい彫像である。
そのネフェルティティが、バンコクでレストランの名前になっている。
3500年前のエジプトの王妃・ネフェルティティ、故郷のエジプトを離れて今、ベルリンの博物館やバンコクのレストランに生きている。

表通りの方へ歩く。
先の方、人だかりがしている。

ここ。
男たちが皆、左の方を見ている。

少し先の方からそちらを見る。
先の方にはモニターがある。

モニターにはムエタイの試合が映っている。皆さん、モニターに映るムエタイの試合に賭けているらしい。
と、横の方から「写真を撮るな」、という声が聴こえた。その声は私に向かっている。モニターに映るムエタイの試合に賭けている男たちの声と思われた。そうであるならば、私に否やはない。ここはムスリムではなく、タイ色が強かった。

表通りに出るとスタバがあった。
スタバのお兄ちゃんにWiFiの設定をしてもらった。暫らく世の動きを確認した。さしたる動きはないが。
サッカーW杯ロシア大会が行われているころであった。スタバの前に停まるバスにはメッシのCF写真が貼りつけられていた。
メッシとロナウドは何をやってもどこでもスーパースターであった。