死を想う。
時折り訃報が届く。その中には時として、思いの深い人の知らせもある。
1週間前、封書が届いた。差出人の名に覚えはない。が、苗字には覚えがある。ああ、と思った。封を切ると、やはりそうであった。思いの深い人の息子さんからの知らせであった。
その少し前に父親が亡くなり、葬儀は近親者で済ませた、父に対する生前のご厚誼ありがとうございました、と記されている。
その人と知り合ったのはずいぶん昔、46、7年前となる。
若い頃、長い間病院へ入っていたり、入学も卒業も大幅に遅れたりしていた私、食えなくなって初めて世間の皆さんとのズレに気づき、31歳の時初めてサラリーマンとなった。どういう会社かも知らずに。
企画マン、編集者として雇われた。典型的な中小企業であった。しかし、同業者の間はライバル企業ではあるのだが、密に付きあっているという業界であった。
その人は、その業界の中での老舗企業の代表者であった。親父さんから企業を引き継いでいた経営者であった。私と年が近く、大学も同じということもあり、同業他社の社長と一勤め人ということであるにも関わらず対等のつき合いをしてくれた。
その人も私も、世間一般の人たちからは少しズレた人間であったからかもしれない。
対等のつき合いであったが、新宿はもとより銀座や六本木のクラブでもご馳走になった。しかし、相手に心の負担を感じさせるようなことはなかった。オーナー企業の経営者が時として持ちあわせる身に着いた矜持、と言ってもいいかもしれない。対等のつき合いであった。
20年前近くになろうか、その人の会社は他の企業に買収された。その人はそれまでの同業者との関係を絶った。私とも。その人、世間一般から身を引いた。
10年ぐらい前であろうか、突然、その人から電話がかかってきた。
会った。上野の蕎麦屋で飲んで語りあった。
その後、3度会っている。最後は京王プラザの喫茶店であった。あれほど酒を飲んでいたその人が、最近は酒を飲まないんです、と言っていた。
そして、その人の死。
死を想う。
そう言えば、昨日、「ちびまる子ちゃん」の作者・さくらももこが亡くなっっていた、ということが報じられた。。
『ちびまる子ちゃん』、マンガやアニメに疎い私でも知っている数少ないマンガである。30年近く前、娘が観ていた。今、時折り来るその娘の娘である孫娘が、その日その時間になると観ている。「ちびまる子ちゃん」は永遠なんだな、おそらく。
「ピーヒャラピーヒャラ おどるポンポコリン ピーヒャラピーヒャラ おなかがへったよー」って歌、私は歌える。
それにしても、さくらももこの享年53歳であろことに驚いた。
なんとー。
3日前、ジョン・マケインが死んだ。
ジョン・マケイン、存在感のある政治家であった。ドナルド・トランプの虚像、危うさをずっと発信していた。
ジョン・マケイン、2008年の大統領選でバラク・オバマに敗れた。
が、共和党員であるジョン・マケイン、自らの葬儀へのドナルド・トランプの参列を拒んでいる。
ジョン・マケイン、同じ共和党員でありながら恥知らずのドナルド・トランプに対しては、ずっと否やを貫いてきた。
アメリカ政界ではあるが、追いかけの窓に残る政治家が去っていった。死した。
死を想う。
身のまわりの世界、過ぎていく。
死を想う世界も。
それぞれに、それぞれに。
死を想う。