『昭和天皇実録』の恣意と配慮(続き×4)。

先述したが、昭和20年(1945年)9月11日の第一次以降、A級戦犯の逮捕が続いた。
翌昭和21年(1946年)5月3日から極東国際軍事裁判(東京裁判)が始まり、約2年半の審理の末昭和23年(1948年)11月12日判決が言い渡された。
『昭和天皇実録』の昭和23年11月12日には、このような記述がある。
<この日、A級戦争犯罪人としての被告二十五名に対しそれぞれ判定が下され、・・・・・。東条英機・松井岩根・土肥原賢二・広田弘毅・板垣征四郎・木村兵太郎・武藤章は絞首刑、木戸幸一・・・・・・・・・・・・は終身禁錮刑、・・・・・、・・・・・の刑が宣告される。この日をもって極東国際軍事裁判は終了し、十二月二十三日、絞首刑の宣告を受けた東条英機以下七名の刑が巣鴨拘置所において執行される>、と。
事実関係、事象のみが淡々と記されている。
なお、よく知られていることであるが、戦犯を裁いた聯合国は東条英機以下7名の死刑執行日を12月23日とした。皇太子・今上天皇の誕生日である。「日本人よ、よく覚えておけ」、という怨念が感じられる処置である。
なお、東条英機以下7名のA級戦犯が巣鴨拘置所で処刑された日、12月23日の『昭和天皇実録』の記述は・・・
<皇太子誕生日につき、午前、表拝謁の間において、・・・・・の拝賀を皇后と共にお受けになる。ついで・・・・・の拝賀をお受けになり、続いて、・・・・・の拝賀をお受けになる。・・・・・>、と記されている。しかし、東条英機以下7名のA級戦犯がこの日処刑されたとの記述はない。
保坂正康は、前に触れた『「昭和天皇実録」の謎を解く』所載の半藤一利、御厨貴との鼎談のなかでこう語っている。
<・・・・・。『実録』はA級戦犯処刑に関する記述自体が非常にあっさりしていて、そこで天皇自身が何か感想を漏らしたという記述はありません。私など、ちょっと冷たいなと思ってしまうんですがね。・・・・・>、と。
保坂正康のような昭和史や昭和天皇に詳しい専門家ばかりじゃなく、素人の私でもそう思うよ。
東条英機、開戦時の総理大臣であり、戦争責任を問われることは致し方ない。が、それと共に、自分は立憲君主だったんだ、致し方なかったのだ、という論旨と、GHQマッカーサー司令部の思惑から、昭和天皇をお守りした東条英機に対し、やはりお冷たいのでは、と考える。東条英機に同情する。
数日前、GHQのフェラーズ准将が米内光政大将に語った「東条に責任を負わせてくれ云々」のことを記した。
東条英機はその意をよく理解、昭和天皇を守り、刑場の露と消えた。
宮内庁が24年5か月の歳月をかけて編集した1万2千ページを超える『昭和天皇実録』であるが、私は「実録」の裏と表を思い漂う。

ところで、この「『昭和天皇実録』の恣意と配慮」とタイトルを打った小連載の「思惟」と「配慮」という言葉は、『「昭和天皇実録」の謎を解く』の半藤一利と保坂正康の言葉から借用した。
「はじめに」を記している半藤一利の<・・・。参考資料の選択や何を記載するか恣意的にすぎるなど・・・>の「恣意」と、保坂正康による「おわりに」の中の<・・・、相応の配慮をしていることは否めない。・・・>の「配慮」を持ってきた。
原武史が述べていたように「実録」というものはそういうもののようだし。得心がいく。
暫らく前から『昭和天皇実録』を拾い読みしていた所に、昭和天皇が晩年「戦争責任云々」でとの元侍従の日記が発見され・・・との報道に、戦争犯罪、戦犯という面から『昭和天皇実録』のごく一部を記した。
「流山子雑録 酔睡胡乱」、雑駁なブログとはいえさまざまなことに対する思いはある。
以前にも記したことがあるが、最後に昭和天皇の戦争責任について私の考えを。
先般記したようにGHQのフェラーズ准将は、昭和天皇にはテクニカル・リスポンシビリティあるも、モーラル・リスポンシビリティはない、と語っている。
また、『昭和天皇実録』の昭和21年5月4日には、東京帝国大学総長南原繁の講演についての記述がある。南原繁、こういうことを言っている。『昭和天皇実録』の記述から。
<・・・・・、今次の大戦において、天皇には政治上、法律上の責任がないことは明白であるが、道徳的、精神的な責任があり、・・・・・>、と南原。
高松宮は兄宮の昭和天皇に対し、「どうして国民に謝罪しないんだ」、と言っている。皇太后もどうして、と。東大総長の南原繁は道徳的、精神的な責任がある、と言っている。
私は、昭和天皇には少なくとも道義的責任はあった、と考えている。
その最大の理由は今上天皇の言動である。
今上天皇は、おそらくこうお考えであっろう。
父親である先帝は、先の大戦の後始末をせずに世を去った。その償いを自分がしよう、と。
今上天皇、先帝・昭和天皇がやり残されたことごとを、すべて処理されている。
そればかりじゃない。今上天皇、先の大戦の激戦地への慰霊の旅を重ねられている。何十年も前私も訪れたサイパンのバンザイクリフに向かい首を垂れる、今上天皇ご夫妻のお姿が脳裏に焼き付いている。忘れられない。今上天皇の先帝への償いである。
その今上天皇の言動こそ、先帝・昭和天皇の戦争責任への償いであろう。心に秘めた。
そうに違いない。