赤い捩じり鉢巻き。

今年は年明けから、「今年の8月15日は特別な日であるな」、と思ってきた。
日本の8月、戦争を考える月である。ましてや平成最後の8月15日は特別の日だ、と。
日本武道館での全国戦没者追悼式への天皇皇后両陛下のご臨席も最後、今上天皇のその折りの「おことば」も最後となる。年初の元日から7か月半、ずっとその日を思ってきた。
だから昨日は、天皇皇后両陛下が追悼式会場へお入りになるところから約35分後に退出されるところまで、NHKの映像に見入り、そのお姿を記した。
今日はこれのみ、と。


しかし、実は昨日、少し悩んでいた。
3日前から行方が分からなくなっていた2歳になったばかりの男の子が見つかった、というニュース。そのことにも触れようかどうか、ということについて。ずっとこの日は今上天皇のことのみを記そう、と考えていた故であるから。
私も小さな孫を持つ。何とか無事に見つかってくれ、と願っていた。が、2歳になったばかりの幼児、難しいのではないか、とも内心思っていた。
その子が見つかった。
驚いた。
それ以上に、その2歳になったばかりの男の子を見つけた、赤い捩じり鉢巻きのじいさんに驚いた。
尾畠春夫さん、78歳。
このような人が日本にいるのか、こんなに凄い人が日本にいたんだ、とビックりした。
尾畠春夫さん、65歳になった時、それまでの魚屋をピタッとやめ、ボランティアの人助けの生活に入ったそうだ。東日本大震災の時には、延べ500日も現地でボランティア活動をしている。小さなオンボロ車で大分から東北の被災地へ通っているんだ。
東日本大震災の被災地へは私も2度、延べ6日か7日行っている。が、私の場合は謂わば物見遊山。電車とバス、それもないところではタクシーを使い見て回って復興屋台村で飲み食いするというもの。尾畠春夫さんとは大違い。ぶっ飛ばされそうだ。
赤い捩じり鉢巻きをした尾畠春夫さん、私よりもひとつ年上である。外は暑そうだな、と窓から眺めて外へ出ず、禄に物も食べずにビールと焼酎の水割りばかり飲んでいる私、自らが禄でもないことは重々承知しているが、尾畠春夫さんのような素晴らしい人がいるなんて涙が出てくる。
この赤い捩じり鉢巻き、魚屋をしていたからかな、と思っていたらそうではなく、もし万が一の時に発見されやすいからだそうである。尾畠さん、とても理にかなったことを実践している。
それはそれとして、尾畠春夫さん、猛暑だ酷暑だ熱中症になるよ、と言っていた日本中の「イヤー参ったよ」、という気分を癒してくれた。日本中が尾畠さんの存在に心癒され、嬉しくなった。
王貞治、山下泰裕、美空ひばりや、寅さんやキューちゃん、大鵬や伊調馨さん、羽生結弦、これらの人たちへの国民栄誉賞は、よほどのへそ曲がりでない限り多くの国民は「いいじゃないの」と思っている。
それとは少し異なるが、今回の赤い捩じり鉢巻きの尾畠春夫さんへ国民栄誉賞を贈るということがあってもいいのではないか。ホント、尾畠春夫さんは日本国民すべてに喜びを届けてくれたよ。
国民栄誉賞番外編でもいい。内閣総理大臣・安倍晋三、考えてくれ。