南禅寺。

曇り。
京都での一日、洛東へ行った。南禅寺、慈照寺、そして、法然院。いずれも、久しぶりのお寺。
今日は、南禅寺。
今、写真を貼り付けようと見ていて気がついたのだが、南禅寺でのほとんどの写真は、庭の写真ばかり。石川五右衛門の科白でよく知られる三門の写真はあるが、石庭であったり、苔庭であったり、池や水の流れる庭であったりが多い。もっとも、方丈の中は撮影ができないので、撮ってはいないが。
しかし、それよりも、京の寺の庭には、私の日常とは異なる空気があり、それが知らず知らず、石や苔や水などで造られた庭ばかりに目が向いたのであろう。
まず、これを。南禅寺につきどうこう書くより、解りやすい。

「五山之上」とは、京都五山より上、つまり、別格の寺ということだな。
それ故か、境内には、こういう立て札もあった。



御存じ、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな・・・」の名科白で知られる、南禅寺の三門。
石川五右衛門は実在の人物だそうだが、この三門ができたのは、五右衛門が釜ゆでにされた後だそうだ。だから、彼のこの三門からの科白はフィクション。

三門は大きい。横から見ても、このくらい。

大方丈の庭園。樹木と石組を一か所にまとめた「虎の児渡し」と呼ばれる名園。慶長年間、小堀遠州の手になるもの、と言われる。

小方丈の庭園。龍安寺の石庭に較べると小ぶりだが、その思想は同じじゃないかな、と思われる。
この小方丈に狩野探幽の襖絵「水呑の虎」がある。小ぶりな部屋だが、迫力がある。数えてみたら、三方の襖と壁に、「水呑の虎」を含め合計8頭の虎が描かれていた。

「華厳の庭」 うしろの垣根は、南禅寺垣と呼ばれるもの。

名は忘れたが、やはり、非日常空間だ。

おそらく、井戸の覆いではないかと思われるが(違うかな)、何気なく置かれたすだれも意味を持つ、感がする。

疎水の分流ではないかと思われる、境内を流れる水。

境内にある水路橋。古代ローマ風であるが、明治時代に造られた、という。レンガの風合いが南禅寺の風景とよく溶け込んでいる。
この水路橋をくぐり、南禅寺発祥の地である南禅院へ入る。

南禅院の方丈。

南禅院の境内。左上の屋根は方丈の屋根。

南禅院の庭園は、池泉回遊式庭園といわれるもの。小さな池の周りをぐるりと巡る。

少し歩いたところから。

小さな滝から、清らかな水が池に流れこむ。

静かな池の面に映る木々の影。なんとも言えないな。この静寂感は。

池の近辺の苔。時季が時季だけに、少しくたびれた感じがするのは、致し方ないが。

地表に現れた木の根も、何か意志を持つように感じられる。禅宗独自の。