歴史的変化と日常、そして、対外。

晴れ。
29日、7月に亡くなった叔母の中陰(四十九日)法要が大阪の寺で行われ、出席、30、31日は京都にいた。それ故、ブログは3日間お休み。
その間の衆院選は、当たり前といえば当たり前、事前投票に行った折にも感じたが、「それでいいのか」と言えばそうも言えるな、という結果。小選挙区制の恐ろしさ、今後も、いつでもひっくり返る。リーダーが良いと、というよりも、リーダーが悪いと。
それよりも、何かのきっかけで一方に振られやすい国民性があるらしい。私もその一員ではあるが。「歴史的」という言葉が大きく踊っている紙面を見ると、そう感じる。それはそうだが・・・
昨日の京都新聞の夕刊に、こういう記事があった。「京滋の当選者、本社を訪問」、という見出しで、京都と滋賀県の当選者13名すべてが、京都新聞を訪れ、社長と懇談している。民主党の前原誠司、自民党の谷垣禎一、共産党の穀田恵二、といった全国的に名の知られた人も含め全当選者が、呉越同舟で京都新聞の社長と懇談している写真も大きく載っている。そうか、一昨日の選挙は、国政選挙ではあったが、地域代表を選ぶ選挙でもあったんだな、と思う。
京都新聞に限らず、日本中あちこちの地域では、衆参問わず、選挙の翌日には、当選者はそろってその県のローカルペーパー(県紙)に挨拶に行ってるのか、と改めて思う。それぞれの県の新聞社の社長は、「皆様、当選おめでとうございます。国の為に頑張ってください。そして、本県の代表者だということも忘れずに」、ということでも言っているのだろう。
県紙に叩かれたら大変、次の選挙はおぼつかない。県紙と国会議員は、持ちつ持たれつの関係があるのだろう。一口に県紙、地方紙、ローカルペーパーというが、各県内では、政治、経済、文化等々あらゆる面で、県紙は絶大な力、影響力を持っているからな。地元の日常の問題、全国紙だけでは、きっと解らない。それもそうだが・・・
鳩山政権の誕生、米、露、英、仏、中、韓、独、その他多くの国のマスメディアの扱いが、とても大きいとのこと、ここでも「歴史的」ということらしい。アルジャジーラも報じていたし、北朝鮮でも早い報道だったそうだ。
ここ暫らく、G8でも、G20でも、日本のリーダーの、つまり、日本の存在感が薄かったから、いいことだ。時には友好国との衝突もあろうが、それも必要。フランスやドイツは、その折々、自らの考えを強烈に出しているもの、日本にできぬことはない。そうでなければ、「歴史的変化」は、ただ、「数の変化」だけになる。