法然院。

晴れ。
銀閣寺からゆ〜っくり、の〜んびり歩いても2〜30分、法然院へ。
南禅寺や銀閣寺といった著名な寺院と異なり、拝観料もない。本堂の廊下に、”どうぞ、お持ちください”と記した紙があり、そこにA4版1枚の説明書きが置いてあった。そこには、こう書いてある。<南無阿弥陀佛   ようこそご参詣下さいました。当山の歴史は専修念仏(せんじゅねんぶつ)「阿弥陀佛にいのちを預ける一切の生きとし生きる者を、佛にならせるという阿弥陀佛の本願を信じて、もっぱら『南無阿弥陀佛』を唱えること」の元祖、法然上人源空(1133〜1212)の開創にはじまります。・・・>と。
法然がこの地に草庵を結び、修養に努めたことから始まったお寺であるが、今のお寺は、江戸時代に忍澂和尚という人が造営、現在の正式名称「善気山 法然院 萬無教寺」と称した、とある。親鸞の師、法然の開いた浄土宗の寺であるが、宗派に属さない独立した寺である。
少し読みづらいが、参道入り口にある法然院の概略を記した立て札をのせよう。


茅葺きの山門。木々の中、小ぶりでとても趣きがある。

山門の前には、「不許葷辛酒肉入山門」の石柱。

山門をくぐると、すぐ目の前に、白い盛り砂で作られた白砂壇がある。
白砂壇は水を表し、その間を通ることで心身を清めて浄土域に入る、という意味があるという。

境内。

境内の池には、よく見ると、鯉がゆったりと泳いでいた。

左は本堂、右は方丈。いずれも小ぶりなお堂で、限られた時期にしか中へは入れない。
この本堂の前廊下に、冒頭の「ようこそご参詣下さいました・・・」の紙が置いてある。

本堂正面の障子には、このような紙が貼ってあった。建て付けが悪いためか、障子は開かなかった。
なお、冒頭の「ようこそ・・・」の紙には、境内には、サルばかりでなく、ムササビ、イノシシ、キツネ、タヌキ、リス、テンなども暮らしている、と書かれている。

本堂廊下の天井。

本堂前の燈籠。

境内の一隅に多層の石塔がある。仏様が彫られたその下部。

境内で見た木の根。巧まぬ調和。

苔むしたこういう根もあった。

帰りに見た内側から見る山門。
屋根には苔や小さな草がびっしりと生えており、その緑が周りの木々の緑に溶け込んでいる。これぞ京の寺。美しい。
秋には早い時季なので、訪れている人も少ないが、女人がふたり、ポツン、ポツンともの思いに耽っていた、のだと思う。
なお、時季が時季だけに、今回歩いた洛東の3寺、いずれも訪れている人は少なかったが、外国人と中学生の姿が目についた。修学旅行の時期なのだろうか。集団で歩いているのもあれば、3〜4人ぐらいでタクシーで廻っている中学生もいる。リボンを付けたタクシーの運転手が説明をしているように見えた。話には聞いていたが、タクシーで廻っている修学旅行なんて、初めて見た。
そう言えば、銀閣寺の傍のうどん屋でうどんを食っていたら、3〜4人組みの中学生が何組も何組も入ってきた。入ってから知ったが、先斗町やニューヨークにも支店がある有名なうどん屋であるらしい。たしかに、うどんは美味かった。しかし、一番安いうどんでも1100円もするうどん屋に、中学生なんかは入ってくるな、とも思った。余計なお世話かな。