本願寺。

曇り。
博物館で西域の古文書を観、大谷探検隊、大谷光瑞のことを思い、そうだ、本願寺へ行ってみようと思った。
実は、西も東も行った記憶がない。京都の寺にはあちこち行っているのに、思いだせない。行っていないはずはないんだが、と思うが思いだせない。大きなお寺、駅にも近い寺ではあるが、おそらく、他の寺とは趣を異にする印象があるからだな、と思う。
親鸞が開いた浄土真宗は、おそらく、日本で最も多くの信者を擁する宗派。お東さん、東本願寺は、正式には真宗大谷派、お西さん、西本願寺は、浄土真宗本願寺派、程度のことは知っているが、同じ浄土真宗とは言っても、多くの派に分かれており、主な10派で「真宗教団連合」という組織を作っていることを初めて知った。
東西本願寺の写真を何枚か貼り付けてみよう。
まず、京都駅の真向かいと言ってもいい烏丸通りに面する東本願寺。

この写真では解らないが、塀の外には掘割りがあり、小さなお城のよう。

山門(御影堂門)から見た御影堂。

左は御影堂門、右は修復工事中の巨大な阿弥陀堂、その右は御影堂。中央に京都タワーが見える。

御影堂から御影堂門を見る。

造り合い廊下には、歎異抄の一節が書かれていた。

多くの善男善女が踏みしめたであろう御影堂の廊下。

やはり廊下。節目の模様が美しい。
次は、堀川通りに面する西本願寺。お東さんから歩いても10分ぐらい。
昨日も少し触れたが、敦煌はじめ西域の地に大谷探検隊を派遣した大谷光瑞は、この西本願寺、浄土真宗本願寺派の第22代法主である。法名は鏡如。大谷光瑞自身、第一次の探検の時には、自ら行っている。

お西さんの御影堂門。

左、御影堂、右、阿弥陀堂。

逆方向から。右、阿弥陀堂、左、御影堂。

御影堂。

御影堂から阿弥陀堂への渡り廊下。湾曲している。

やはり、多くの善男善女が渡ったであろうその廊下。すりへっていて、美しい。

御影堂の前にある巨大なイチョウの木。そばにいたお寺の人が、「枝が横に伸びて根のように見えるので、逆さイチョウてゆうてますね」、と教えてくれた。
なお、2012年(平成24年)には、1263年(弘長2年)に90歳(満では89歳)で往生した宗祖・親鸞の750回忌にあたる為、双方のお寺とも、「親鸞聖人750回御遠忌法要」の告知がなされていた。
私は、仏教書など何も読んでいないに等しいが、親鸞の語録を弟子の唯円がまとめた『歎異抄』は読んでいる。文庫本でも100ページにも満たない短いものなので。それに、何より解りやすい。うろ覚えではあるが、知っているフレーズも幾つかあるし。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、とか、「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」、とか、言葉自体に強いインパクトがある。著作権も切れているので、広告コピーにも使えるんじゃないか、なんてバカなことまで考える。無職の身でありながら。そんなことより・・・
東本願寺の高廊下には、清沢満之はじめ何人かの仏教学者、仏教思想家の言葉が法語として掲げられていたが、その中に、岩波文庫版の『歎異抄』の校注者である金子大栄の言葉もあった。
「信ずるとは遇うことである。我れに遇い仏に遇う」、と。