主従二人(全昌寺)

曇り。
曾良に先立たれた芭蕉、今は北枝が付いているとはいえ、曾良との主従二人の旅ではなくなったのだが、このブログの「主従二人」のタイトルは、そのまま大垣まで続ける。
寂しくはなったが、芭蕉の胸裏には、この先もずっと曾良のことが残っていたろうから。
さて、小松での用を済ませた芭蕉は、8月7日(新暦9月20日)、まだ加賀の国である大聖寺郊外の全昌寺に泊まる。この寺には、先に発った曾良も、前日までの2日間泊まっている。
『おくのほそ道』に芭蕉は、こう書いている。
<曾良も前の夜、此寺に泊て、
     終宵秋風聞やうらの山
と残す。一夜の隔千里に同じ。吾も秋風を聞て衆寮に臥ば、・・・>
曾良が芭蕉に残した句は、病身となり、師を残して一人で泊まった夜は、一晩中眠ることができず、寺の裏山に吹く秋風の音を聞いて夜を明かした、という寂しさがあふれたものだ。
それを見た芭蕉も、一夜を隔てただけなのに、千里も離れているように感じる。私もまた、秋風を聞きながら寺の宿坊に臥せていると・・・、というこれまた、「寂しいなあ」という感情をそのまま出したもの。主従二人の思い、ひとつに重なっている。
この曾良の「終宵・・・」の句、山本健吉は、<秋の夜の旅情がしみ通った句である。芭蕉もよほど感動したとみえ、『猿蓑』に採用している>、と書いている。
芭蕉が全昌寺に泊まったのも、1日か2日であろう。芭蕉はこう記している。
<・・・けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下るを、若き僧ども紙、硯をかかえ、階のもとまで追来る。折節庭中の柳散れば、
     庭掃て出ばや寺に散柳
とりあへぬさまして、草鞋ながら書捨つ>、と。
朝、寺を出る時、若いお坊さんたちに頼まれ、取り急ぎ、草鞋を履いたままで書き置いた、ということであろうか。
なお、この「散柳」すなわち、「柳散る」は、「桐一葉」と同じく秋を報せるものとして、特別に秋の季題にたてられている、と山本は述べている。
話は変わるが、秋場所、明日の取り組みのこと。
たしか、鶴竜は白鵬と、稀勢の里は朝青龍とあたる。今場所の両横綱、どうも万全ではない。朝青龍はここまで全勝とはいえ、やはり、そう思う。番狂わせがあり得る。特に、鶴竜がいい。今日は、琴光喜に突き倒されたが。
鶴竜か稀勢の里、どちらかが、どちらかの横綱を倒すのではないか、という予感がする。