2012-01-01から1年間の記事一覧

健さん。

「あなたへ」が封切られた後、9月中旬に、このロケを追いかけたドキュメンタリーが流された。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」。2夜に亘り。 NHK、この作品が、高倉健最後の映画になるかもしれない、と考えたのかもしれない。その考え、妥当で…

あなたへ。

高倉健、205本目の出演映画は、監督・降旗康男のロード・ムービー「あなたへ」。 健さん、6年ぶりの映画。カッコいい健さんである。しかし、高倉健、81歳になる。カッコよくはあるが、少ししぼんだ感じがする。歩き方もどこか。 お互い中年になってか…

奥多摩歩き (7) 多種多様。

12時にJR御嶽駅前に集まり、5時少し前、東青梅駅近くの居酒屋へ入る。その間、5時間。 皆が集まった後、多摩川ベリで握り飯を食ったり、御岳美術館内の喫茶店でコーヒーを飲んだりもしていたから、実際はもっと短い時間。 その中で、ずいぶん様々なも…

奥多摩歩き (6) 青梅宿(続き)。

青梅街道、内藤新宿で甲州街道と分かれ、甲府に至る。青梅宿は、その半ばあたりか。 新青梅街道もあり、ここらあたりは旧青梅街道である。 街道沿いに延びる宿場町、案外長い。 見上げると、このようなものが下がっている。「ぶらり 青梅宿」。ぶらつくには…

奥多摩歩き (5) 青梅宿。

せせらぎの里美術館を出た後、JRの御嶽駅へ戻る。その間、歩いて2〜30分。御嶽から電車で青梅へ戻る。JR青梅線で、20分足らず。 青梅駅に降りると、こういう看板がる。 青梅、映画看板の町。それを描いたのは久保板観、と。 駅の地下道、線路をくぐ…

奥多摩歩き (4) せせらぎの里美術館。

御岳美術館から2〜3分か4〜5分歩いた所に、せせらぎの里美術館がある。民家風の建物。奥多摩町立の美術館である。 築後約150年の奥多摩の民家を一部移築したもの、という。 中へ入る。 囲炉裏が切られている。窓の外は多摩川が流れる。 奥多摩の地、…

奥多摩歩き (3) 御岳美術館。

玉堂美術館から、多摩川(昨日、一昨日、書き忘れたかもしれない。ここ、多摩川の上流です)沿いの御岳渓谷の遊歩道を2〜30分も歩いたろうか。こういう立札がある。 御岳美術館、あと少し。 ここらあたりは、流れが緩やかだ。このような橋を渡してある。 …

奥多摩歩き (2) 御岳渓谷。

<橋を渡って細い階段を下ると、もう道は林の中で、下は渓流だ。大きな岩がごろごろと点在し、その間を川が流れる。ところどころ白波が立って、ほとんど玉堂の絵を見るようだ。思わず立ち止まって渓流を眺める。カメラを持っていたらつい両手で構えて、シャ…

奥多摩歩き (1) 玉堂美術館。

これも夏、8月終わりの頃だから2か月近く前のことである。奥多摩へ行った。学生時代の仲間6人で。奥多摩の美術館巡りである。 青梅線の御嶽駅で待ち合わせ、まずは昼飯を食った。私は、コンビニで買った梅干しのおにぎりを食った。他の連中も似たようなも…

若い才能。

17世紀半ばのデルフトの少女を観て会場を出ると、下の方に人が大勢集まっている。前の方で話している人もいる。セミナーでもしているよう。この夏のこと。 下に降りて行った。「生きるための家」展というものをやっている。サブタイトルは、「次世代建築家…

真珠の耳飾りの少女。

上野でのこの夏一番の人気者は、17世紀半ばのオランダの女の子であった。ヨハネス・フェルメールの≪真珠の耳飾りの少女≫。 ひと月前に終わったが、6月末から9月17日まで約70日少しの間に、75万人を超える人が会いに行った、1日平均、1万人以上。…

農。

先週末、都美術館へ行く途中で見かけた「第29回全国都市緑化フェアTOKYO」、このようなものであった。「東北『農』の庭」となっている。 都美術館の方へ歩いていると、こういうものが見えた。 向こうの方に何やら赤っぽいものが見える。その前で写真…

グローバル・・・。

先週は、ノーベル賞ウィークであった。週初め、いきなり、初っ端の医学生理学賞で、京大の山中伸弥がiPS細胞で受賞した。 日本中が盛り上がった。こうなりゃ、イケイケドンドンだ。村上春樹もイケルぞ、と。だが、それは来年以降へ延びた。しかし、それで…

良書出版、惜しまれて閉じる。

地味な記事だから、気がついた人は多くはなかろう。今日の朝日新聞の読書欄、16面に小さな記事がある。「本の舞台裏 どうぶつ社の36年」。 動物ばかりじゃなく自然科学に特化した出版社であるどうぶつ社が、年内で廃業する。創業者の久木亮一さん(70…

美味、東北、鎮魂。

昼、新宿で美味しい料理をご馳走になる。 夕刻前、上野の都美術館へ行く。 公園では、「全国都市緑化フェアTOKYO」、”東北の農の庭”、というものをやっていた。私は、都美術館での日本表現派展を観る。 日本表現派同人・山本宣史の今回の出品作はこれ。…

やめてくれー。

嬉しさをもたらしてくれるお騒がせ人もいるが、悲しさ、寂しさをもたらすお騒がせ人もいる。 昨日の読売新聞の朝刊を見た時には、驚いた。 一面トップに、「iPS心筋移植」の文字がある。墨ベタに白抜き文字。目立つ。 「初の臨床応用」、「ハーバード大日…

また、延びた。

日中二人の闘いだ、と言われていた。ハンガリー、アイルランド、カナダが続いている、とも言われていた。さらに、ボブ・ディランがいる、との声もあった。 ここ数日、喧しかった。ノーベル文学賞の下馬評のことだ。 結局、中国の莫言(モー・ヤン)が受賞した…

シーテック 2012(続き)。

3日前、続きは明日以降、と記したが、嬉しい突発事があった。日本中が喜んだ。 京大教授・山中伸弥、今日もテレビ画面の中で見かけた。NHK、国谷裕子の問いかけに答える山中伸弥、研究者の身分保障に思いを砕いていることが感じられた。 京大iPS細胞…

東大阪のおっちゃん。

ノーベル賞というもの、受賞者は概ねお年寄りである。その発見や発明を為したのは若い時であっても、それが現実に証明されるまでに時間がかかるからである。 昨日、京大教授の山中伸弥とノーベル医学生理学賞を同時受賞したケンブリッジ大学の教授もそう。オ…

国士。

学生時代の先輩方のグループ展が京橋である。そのオープニングに出るため、夕刻、何人かの仲間と京橋の画廊へ行った。 オープニング・パーティーを途中で失礼し、東京駅へ行った。復原なった駅舎を見るために。 まず、八重洲地下街の居酒屋へ。でも、今日は…

シーテック 2012。

「マッスルスーツ」というものがあった。 介護を必要としている人の動きを補助したり、健常者の場合には、肉体労働の姿勢補助、筋力補助に役立つ。これを装着すれば、50キロ程度のものも簡単に持ち上げることができる。 マッスルスーツには、右側の腕と腰…

ムラタセイサク君。

ムラタセイサク君に会いに行った。 去年は、古い仲間たちとのグループ展の日程と重なったので、行くことができなかった。だから、ムラタセイサク君と会うのは2年ぶり。 幕張メッセでの「CEATEC JAPAN 2012」のキーテクノロジステージ、ホー…

島谷晃遺作展。

一昨年の夏前、島谷晃が死んだ。急逝であった。それから2年余となる。 島谷晃も学生時代からのつき合いである。私の2年後輩であったから、50年近くのつき合いであった。同じ仲間である。しかし、ただ一点、島谷晃が他の連中と違うところがあった。 島谷…

二科展。

毎年、暑さのピークも過ぎそろそろ秋も近いかなという頃、小さな封筒が届く。 封を切ると、二科展のチケットと一筆箋。こう書かれている。<又、二科の季節が参りました。よろしかったら、おさそいあわせておでかけ下さい>、と。二科の会友・久保寺洋子から…

灯り。

今年の東博、いわばハレの年。140周年記念の特別企画が多い。東博140周年と、日中国交正常化40周年とを絡めた企画も幾つも行っている。 いつも夜は暗い東博構内、この日だけはあちこちに灯りがある。 小さなガラスの器の中で、ロウソクの灯りがゆれ…

東博140年(続き)。

この日、表慶館の外れにこのような案内板があった。 WASABI、和楽器の新しいユニット。今、人気があるらしい。 これも、この日一日だけの、東博140周年記念の「スペシャルありがとうデー」の催しのひとつ。 法隆寺宝物館の方へ歩く。 あちこち、電…

東博140年。

40年でも1400年でもないが、東博(東京国立博物館)もよく似た年を迎えた。 明治5年(1872年)3月、日本国初の博覧会が湯島聖堂大成殿において催された。東博の前身、我が国初の博物館である。それから丁度140年。 だから、東博140年であ…

大人(たいじん)がいたな。

台風が来たので30分遅れで始まった。NHKスペシャル、「日中外交はこうして始まった」である。サブタイトルに、「命をかけた秘密交渉」とある。40年前の舞台裏。 写真の上の方、真ん中のカラー写真は、40年前、日中国交回復の署名をした後の田中角栄…

日中40年。

戦後の宰相3人を選ぶとしたら、吉田茂と共にこの男は入るだろう。カクさん・田中角栄である。あとの一人は、それぞれの人のお好みでいい。 1972年の今日、北京で日中の国交回復の共同宣言が交わされた。それから丁度40年。 40年前の今日、共同宣言…

凄いなー。凄いなー。

このひと月ばかりの間にはパラリンピックもあった。8月29日から9月9日にかけて。 オリンピックに出てくる選手も、常人とは異なる人ばかり。いずれの人も、傑出した能力を持っている。だが、パラリンピックの選手もそれに負けない。それどころか、凄さで…