東大阪のおっちゃん。

ノーベル賞というもの、受賞者は概ねお年寄りである。その発見や発明を為したのは若い時であっても、それが現実に証明されるまでに時間がかかるからである。
昨日、京大教授の山中伸弥とノーベル医学生理学賞を同時受賞したケンブリッジ大学の教授もそう。オタマジャクシのクローン胚を作ったのは50年前のことだという。くしくも、山中教授が生まれた年だ。成果から50年後の受賞。
それに対し、山中伸弥のiPS細胞の作製はわずか6年前。専門家の誰しもが、これはスゴイ、と考えざるを得ない成果なのであろう。
山中教授、今日も出ずっぱりである。

京大iPS細胞研究センター長の山中伸弥、こう語る。「喜びは大きいが、責任を感じます」、とも。
様々な細胞になりうる能力を持つiPS細胞、難病の仕組みの解明や、新薬の開発、再生医療の実現に向け新しい道を開いた。しかし、まだ、実際には役立ってはいない。だから、早く現場に戻り、それに向けて邁進する、と山中伸弥は語る。

京大iPS細胞研究センター長の山中教授、こうも言う。「日本ばかりじゃなく世界の難病で苦しむ人たちに、メイド・イン・ジャパンの薬を」、と。
山中伸弥、学者バカじゃない。常識人でもある。”メイド・イン・ジャパンの”という言葉に、それは見てとれる。真摯な研究者でもあろうが、日本という国を考える男でもある。
それを示すのが、iPS細胞関連の山中伸弥の特許戦略である。
iPS細胞関連の特許出願、100か国前後に及ぶ。日米はじめ、多くの国で特許は成立している。
”メイド・イン・ジャパンの”という山中伸弥の言葉に、研究者としてばかりじゃなく、日本人としてという意味合いを感じた人は、私ばかりではないだろう。

今日のNHKに出た映像。
京大教授にしてノーベル賞受賞者の山中伸弥が通った小学校では、こういう授業が行われたそうだ。
この女の先生、小学生にやけに難しいことを話している。まだ、これは”スタートだ!”、とも書く。
しかし、さすが、山中伸弥の通った小学校の生徒、小学生といえどバカにできない。生意気なことを言うんだ。「ボクも失敗にメゲることなく・・・・・」、なんてことを。
今日、山中伸弥の話しているのを聞いていると、失敗の連続、挫折もいっぱい、という軌跡だった、という。手術がヘタなので、”邪魔中”と呼ばれていた、とも。臨床医から基礎研究へシフトした後も。
しかし、山中伸弥、こうも語る。
「私は、大阪生まれの大阪育ちですから」、と。講演などでは、必ず笑いを取ることを入れるそうだ。大阪、吉本の地元だからな。笑いは、外せない。学者といえど。
そう言えば、昨夜、ノーベル賞受賞の連絡電話を受けた時、京大教授・山中伸弥は、カタカタと音がする洗濯機を修理しようとしていた、という。洗濯機に限らず、今時、電化製品の修理なんてする人がいるのか、私は、そう思った。
それはどうあれ、山中伸弥、どうもそういう人のようである。
NHKに、京大iPS細胞研究センターの若い研究者にインタビューしている映像が流れた。「山中教授は、どんな人ですか?」、という問。若い研究者、こう答えていた。「東大阪のおっちゃんです」、と。
東大阪、布施のあたり、司馬遼太郎記念館のあるあたり。すぐ隣は、今東光の朝吉親分のいる八尾である。コテコテの大阪、河内である。
京大iPS細胞研究センターの若い研究者から”東大阪のおっちゃん”、と思われている山中伸弥、世界的な学者であり、日本という国を考える国士であり、ごく普通のおっちゃん(東日本の言葉では、おじさん)でもある。
大阪というところ、お騒がせな人を輩出する頻度の高い町である。近場では、橋下某という男も、そうであろう。
でも、しかし、山中伸弥は、正しいお騒がせ人。
昨日、今日、1億2千万の日本国民は、”東大阪のおっちゃん”に癒された。