大人(たいじん)がいたな。

台風が来たので30分遅れで始まった。NHKスペシャル、「日中外交はこうして始まった」である。サブタイトルに、「命をかけた秘密交渉」とある。40年前の舞台裏。

写真の上の方、真ん中のカラー写真は、40年前、日中国交回復の署名をした後の田中角栄と周恩来。
その右のモノクロ写真は、高崎達之助、その右は、大平正芳、半分しか見えていないがその右は、田中角栄。
真ん中のカラー写真の左は、高崎達之助と周恩来、その左は、周恩来であり、その左は、毛沢東。
高崎達之助、周恩来とのパイプを築いていった。戦前、自ら満州と関わっている。戦後、政治家となった後、中国に対する思いは、高崎の行動が示している。
自らの考えは述べる。しかし、相手の立場も尊重する。大人(たいじん)だ。
高崎達之助ばかりじゃない。岡崎嘉平太がいる、古井喜実もいる。まだ、何人もの先人が。
そして、大平正芳がいるんだ。

大平正芳の手帳である。
1972年、外相時のもの。どういう決着をつけるか。

左は大平正芳、右は中国の外交部部長(外相)姫鵬飛。
日本は台湾との関係を断って、中国本土との関係を修復した。米中接近も睨み。

周恩来は、こう言う。
周恩来、バランス感覚が抜群にいい男だからな。

大平正芳はこう言うんだ。
誠実な男、大平正芳らしい。

大平正芳、戦前、外務官僚として満州での勤務経験がある。
日本による中国への侵略の経緯は身に沁みて解っているんだ。

大平正芳、こう続ける。
”暗闇の牛”、と言われた大平正芳、首相となった後も、”アーウー宰相”と呼ばれた大平正芳、私は好きだった。

三角大福中(若い世代には、これが何を意味しているのか解らないかもしれないが、詳しいことには触れない)や、40日抗争と言われるものもあった。
大平正芳、1980年の総選挙の途次、急死した。好きな政治家であった。大人、たいじんと言っていい。

日中国交回復、田中角栄と周恩来の二人で成し遂げられたものではない。
その過程には、日中の多くの大人(たいじん)が関わっている。
大人(たいじん)がいたんだ。
今、そのような大人(たいじん)が見当たらないのが気にかかる。