東博140年。

40年でも1400年でもないが、東博(東京国立博物館)もよく似た年を迎えた。
明治5年(1872年)3月、日本国初の博覧会が湯島聖堂大成殿において催された。東博の前身、我が国初の博物館である。それから丁度140年。
だから、東博140年である。
140周年記念の企画が、来年の3月まで年を通して組まれている。年間通してのメインタイトルは、「ブンカのちからにありがとう!」、というもの。キャラクターもある。埴輪型の”トーハクくん”と、ユリノキから生まれた”ユリノキちゃん”。二人共、今流行りのゆるキャラである。それはともかく・・・・・
10日前、9月21日には、一日限りの夜間開館22時まで、という特別日が設けられた。東博の夜間開館、企画展の週末のみ20時までということはある。しかし、22時までの夜間開館は初だという。
その日のタイトルも面白い、というか何というか。「スペシャルありがとうデー」、と謳われている。ここ近年の東博らしいノリだな。じゃあ、「特別サンキュウ日」、でもいいか。それもともかく・・・・・
日も短くなり、はや薄暗くなった上野公園を東博の方へ歩くと、ドーンドーンと太鼓の音が聴こえてくる。時刻は6時に近い。少し着くのが遅かった。

東博の本館前、大勢の人が覆っていた。
仕方ない。後ろの方から見る。

「スペシャルありがとうデー」の目玉企画のひとつ、和太鼓集団・鼓童の演奏である。
東博の、日頃のご愛顧に応える”ありがとう”の気持ちである。140周年記念の「スペシャルありがとうデー」、通常料金しか取らないんだから。

股引に法被。また、裸の背に腹掛けの紐をタスキ掛け。カッコいいんだ。

ドン ドドン ドーン ドンドドン ドンドドン ・・・・・。

力が入る。

私が東博へ入って10分ばかりで鼓童の演奏は終わった。着くのが遅すぎた。

前の人に隠れて見えない奏者もいたが、14、5人の奏者が最後の挨拶をした。
私が聴くことができたのは、最後の曲とその前の曲の半分ばかり。しかし、和太鼓のみの演奏、迫力があった。

奏者が下がった後。このような太鼓なんだ。

本館3−3室、禅と水墨画の部屋には、雪舟の≪破墨山水図≫が展示されていた。
縦148.6センチ、横32.7センチの紙本墨画の一幅。室町時代、明応4年(1495年)の作。もちろん国宝。
”雪舟自序月翁周鏡等六僧賛”、というものである。東博の説明によれば、こうである。
<京都相国寺の塔頭慈照院に伝来、・・・・・、雪舟等楊の基準作に位置づけられる。画家自身の序に、当時詩文をもって鳴らした6人の禅僧の賛が付されるが、・・・・・、その関心の中心は雪舟にあり、日本の詩画軸において画家がこれほどに主役の座を占めることはかってなかった>、と。
雪舟の凄さだ。

しかし、私には、雪舟自身の序も詩文をもって鳴らした6人の禅僧の賛も読めない。
下の方の絵、水墨画に向かうよりない。
これなら解かる。凄い、ということが。

東博には、雪舟の≪秋冬山水図≫、秋景、冬景2幅もある。特に、冬景は趣深い。
だが、この≪破墨山水図≫の破墨の迫力は、”冬景”を凌ぐ。

その隣に、≪芭蕉夜雨図≫が展示されていた。
重文の紙本墨画一幅。室町時代、応永17年(1410年)の作。太白真玄等十四名賛の詩画軸。
そもそも詩画軸とは、室町時代に南禅寺を始めとする五山で始められたもので、絵に多数の漢詩文を書き付けたもの。しかし、悲しいかな、600年後の私たちには、その文字を読むことがとても難しい。

必然的に絵の部分のみになっていくのも、仕方あるまい。

これは詩画軸ではない。絵のみの紙本墨画一幅。やはり重文。
15世紀から16世紀初めにかけて活躍した画僧、岳翁蔵丘の≪山水図≫。
<その山水図は周文様式を継承するが、筆数が多く、墨は滋潤である>、と説明書きにある。
そう言われれば、そうと思える。豊かな筆づかいはよく解るが。墨の主張も。でも、破墨の迫力にはやはり、及ばない。
壊れたもの、破れものの凄まじさ、といったものがあるということだな、おそらく。どのようなことにも、であろう。