真珠の耳飾りの少女。

上野でのこの夏一番の人気者は、17世紀半ばのオランダの女の子であった。ヨハネス・フェルメールの≪真珠の耳飾りの少女≫。
ひと月前に終わったが、6月末から9月17日まで約70日少しの間に、75万人を超える人が会いに行った、1日平均、1万人以上。
上野の都美術館、2年余に亘る改修工事も終わった。そのリニューアルオープン。マウリッツハイス美術館展をドーンときた。
オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館からフェルメール2点、その他、レンブラント、ルーベンス、・・・・・、17世紀フランドル絵画の名品が50余点。レンブラントの≪自画像≫など、素晴らしい。しかし、今回は、何といっても、若い女の子・≪真珠の耳飾りの少女≫につきる。

上野駅の公園口を出たところから、こう。都の文化会館の前にこの看板。
青いターバンを巻き、真珠の耳飾りをつけた17世紀半ばのフランドルの少女、フッと振り向き、意味ありげな視線をこちらに向ける。こりゃたまらん、急がなきゃ、と皆さん急ぎ足になる。

文化会館の壁にも、この看板。真珠の耳飾りの少女の視線がある。
ヨハネス・フェルメール、オランダのデルフトで生まれ、その地で43年の生涯を閉じた。その間遺した作品は、わずか30数点。この点数は、人によってさまざまだ。33点という人もいる。34点という人も。36点という人もいる。37点という人も。最大で37点である。


都文化会館の前の国立西洋美術館では、「ベルリン国立美術館展」をやっている。フェルメールの≪真珠の首飾りの女≫が初来日、と謳っている。開催期間も、都美術館でのマウリッツハイス美術館展とほぼ同じ。フェルメール対決だ。
都の美術館へは行った。しかし、国立西洋美術館へは行かなかった。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊する。1990年10月、東西ドイツ統一する。
私が初めてベルリンへ行ったのは、1995年。まだ、東西冷戦の傷跡、ベルリンのあちこちに見て取れた。ベルリンの中心部、ポツダム広場の再開発が始まる頃であった。
実は、今、そのポツダム広場近くのベルリン国立美術館(正確には、その絵画館)にあるフェルメールの≪真珠の首飾りの女≫、その頃には、中心部から離れたダーレムの美術館にあった。この作品、私は、ダーレム美術館で観た。だから、西洋美術館へは。

公園の方へ入っていくと、こういう看板も。
フェルメールが描いた作品、30数点、多くても37点しかない。じゃあみんな観てやろう、という人も現れる。小林頼子のような学者は別として、そのようなことを、まずアピールしたのは朽木ゆり子ではなかったか。
2006年、『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書)が出る。いや面白い。朽木ゆり子、学者ではないが、いろんなことを教えてくれる。朽木ゆり子、ある日突然、集英社の「UOMO」からフェルメールの全点踏破の企画を持ちかけられる。
3週間弱、33点のフェルメールを観て、旅を終えたそうだ。残る4点は、それなりの理由がある。朽木の書、フェルメールに関しては、これからも離せない。

都美術館の前の看板。やはり、この少女。
朽木ゆり子の”全点踏破の旅”の翌年・2007年、有吉玉青の『恋するフェルメール』が白水社から出た。サブタイトルには、”36作品への旅”、とある。
有吉玉青、1990年から2007年まで17年をかけて35点のフェルメールを観たそうだ。 盗まれて行方不明の≪合奏≫を除き。
有吉玉青の記述、朽木ゆり子ほどの鋭さはない。しかし、一か所ジンと来るところがある。「あふれる思い」という章。
<旅から帰り、私は父を訪ねた。父母は、私がものごごろつかない頃に離婚をし、母に引き取られた私は、以来、父に会わずに過ごした。・・・・・そんな父との再会は、・・・・・、この二十五年ぶりの再会も、・・・・・、父の名は、神彰といい、私は父を「神さん」と呼んだ>、と書かれている。
神彰を知る人も少なくなったろう。有吉玉青の母親を知る人も少なかろう。25年も会っていない娘に向かって、神彰、こう言うんだ。「フェルメール・ブルーより、ぼくは、タマオ・ブルーの方がいいな」、と。
泣いた。

都の美術館の窓にも、フェルメールのこの少女が。
朽木ゆり子や有吉玉青は、フェルメール全点踏破にチャレンジしている。そればかりじゃない。今では、有名無名を問わず、さまざまな人が、フェルメール全点踏破に。
5年近く前、ヨーロッパを歩いていた。ロンドンからヨーロッパの幾つかの国へ。電車に乗って。その過程でフェルメールにも会った。

今まで、別に思惑があったわけではない。でも、長い間あちこちを歩いている内に、フェルメールにも行き会った。
ベルリンでのことは先述したが、ウィーンの美術史美術館では≪絵画芸術≫、ドレスデンでは2点、、ロンドンのナショナル・ギャラリーでは2点、ニューヨークのメトロポリタン美術館では≪窓辺で水差しを持つ女≫、≪少女≫、≪リュートを調弦する女≫など5点、パリのルーヴルでは≪レースを編む女≫と≪天文学者≫の2点。
さらに、アムステルダムの国立美術館で、4点のフェルメールを観る。アムステルダムからハーグまで、電車で1時間もない距離である。でも私は行かなかった。
アムステルダムの国立美術館で、小ぶりながら4点のフェルメールが並んでいるのを観て満足したことにもよるが、何よりもこの時にはとても疲れていた。風邪もひいていた。アムステルダムには2泊したが、国立美術館とゴッホ美術館以外どこへも行かなかった。ハーグへも。だから、≪真珠の耳飾りの少女≫と初めて会った。
それはともかく、私が観たフェルメール、全て合わせると18、9点になる。フェルメールが遺した作品の半分ぐらいを観たことになる。30年以上、40年近くの時間はかかっているが。
そうか、という思い、強い。


武井咲なるこの女優、私には、17世紀のフランドルの少女にさほど似ているとは思えないのだが。

青いターバンを巻き、真珠の耳飾りをしている少女、ウーン、何と言えばいい。なんともナントモよく解らない。
10年近くになろうか、真珠の耳飾りの少女の映画があった。感情を抑えに抑え、という映画であったような覚えがある。そうであるからこそ、官能的な意味合いがある映画であった。
さまざまな話、いや、とても面白い。