また、延びた。

日中二人の闘いだ、と言われていた。ハンガリー、アイルランド、カナダが続いている、とも言われていた。さらに、ボブ・ディランがいる、との声もあった。
ここ数日、喧しかった。ノーベル文学賞の下馬評のことだ。
結局、中国の莫言(モー・ヤン)が受賞した。村上春樹、今年も逃した。また、延びた。
川端康成と大江健三郎、過去の受賞者に比べ、村上春樹、圧倒的に有利な状況にある。また、1980年代、有力候補に名があがっていた安部公房、大江健三郎、中上健次(安部は92年に、中上は93年に死に、残った大江が94年に受賞した)、の3人に比べても、そう。
英仏独露西中韓、その他さまざまな言語に翻訳されている日本語作家、村上春樹以外にはいない。いや、日本語ばかりじゃない。他の言語で作品を書く作家でも、村上春樹ほど多くの言語に翻訳されている人はいないんじゃないか。圧倒的に有利なのだ。
しかし、今年も逃した。また、延びた。
私は、村上春樹のものは読まなかった。W村上と言われた頃も、龍のものは読んでも、春樹のものは読まなかった。食わず嫌い、読まず嫌いだったんだ。
10年ほど前、若い男から、「面白いですよ」、と言われ、『海辺のカフカ』を読んだ。こりゃ、若いヤツらが取りつかれるのも無理ないな、と思った。それが、私の、初村上春樹。
その後、『東京奇譚集』、『中国行きのスロウ・ボート』や”村上朝日堂”もの、『辺境・近境』のような旅もの、J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のような翻訳ものを読んだ。1〜2年前には、初版いきなり100万部、と言われた『1Q84』も。
今、キーボードをこう打って、アレッ、このようなこと前にも書いたような気がするな、と思った。以前のものを検索してみると、あった。やはり以前に書いている。
2年近く前、2010年の11月にジャズについて、暫らく書いていたことがある。その中に、「ポートレイト・イン・ジャズ」というタイトルで、4回に亘り村上春樹について記している。
「ポートレイト・イン・ジャズ」、村上春樹の文に和田誠が絵をつけた合作本。だから、『ポートレイト・イン・ジャズ』。2巻に亘り、50人前後のジャズメンが扱われている。それはそれとして、
その中に、私が何故、村上春樹が食わず嫌いであったか、ということが記されている。
曰く、タートルネックのセーターに白い綿パン、スーツは、アイビー、それが好きじゃない、と。だから、10年ぐらい前まで、村上春樹を読まなかったんだ。
しかし、歳をとってくると、思いも変わる。村上春樹、癖にもなる。面白いじゃん、ともなる。
と、10年ほど前までは、軽いな、と思っていた村上春樹、ノーベル賞を取ればいいな、と思うようになる。
だから、また、逃したこと、とても残念。楽しみは、来年に、と思うことにする。
それにしても、今年の受賞、ボブ・ディランでなくてよかった。いきなりボブ・ディランでは、村上春樹の受賞、遥か彼方、少なくとも5〜6年先に遠のくな、と思っていたので。