健さん。

「あなたへ」が封切られた後、9月中旬に、このロケを追いかけたドキュメンタリーが流された。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」。2夜に亘り。
NHK、この作品が、高倉健最後の映画になるかもしれない、と考えたのかもしれない。その考え、妥当である。一本撮り終えると、次回作まで長く時間を取る、このところの高倉健だから。
NHK、ロケ現場に密着する。

長崎県平戸の漁港・薄香の突堤だ。
夜、その先の方に座る高倉健・健さん。

左は月だろう。今、81歳の健さんと共にある。
月光に照らされると、その面に刻まれた年輪、顕になる。

50年前の健さん。
     春に 春に追われし 花も散る
     酒ひけ酒ひけ 酒暮れて
     どうせ俺らの 行く先は
     その名も 網走番外地
キラリ キラリ光った 流れ星 / 遥か 遥か彼方にゃ オホーツク / 追われ 追われこの身を 故里で / ・・・・・ その名も 網走番外地
作詞:タカオ・カンベ、作曲:不詳。心に染み入る曲。今でも、時折り歌う。
網走刑務所には、2度行った。
初めは、40年近く前。オホーツクに行かなくちゃ、網走に行かなくちゃ、網走番外地に行かなくちゃ、で行った。
2度目は、10年ほど前、砕氷船に乗って流氷を見に行った時に行った。流氷のついでの網走番外地、少し気が引けるが。

昭和残侠伝の健さん。
     義理と人情を 秤にかけりゃ
     義理が重たい 男の世界
     ・・・・・
     ・・・・・
     背中で吠えてる 唐獅子牡丹
作詞:矢野亮・水城一狼、作曲:水城一狼の名曲。
背中の唐獅子牡丹は、吠えるばかりじゃなく、泣いたり呼んだりする。

ところが健さん、こういうことを言うんだ。「なんでこんなに・・・・・」、と。
何たる客観視。それはないよ、健さん。
ヤクザの世界である。理不尽な仕打ちに耐えに耐える健さん。ついに堪忍袋の緒が切れる。
着流しに白緒の雪駄。手には長どす一本。ひとり殴り込む。命、もらいます、である。バサー、と袈裟懸け。背中で吠えてる”唐獅子牡丹”が流れる。
ああ、それなのに、健さん、このようなことを言う。どういう人だ、健さんは。

笠智衆と健さん。
”生き方が、芝居に出る”。これ、今に至る健さんの信条のひとつ。

平戸の漁港での大滝秀治のセリフのテスト、その場面。「久しぶりに、きれいな海ば見た」、というセリフの場。
健さん、こう言っている。
「ああいう芝居を目のあたりに見ただけで、この作品に出てよかったと思っています」、と。「(大滝さんに)負けたくはないが、なんとか追いつきたいと思います」、とも。あくまで殊勝な健さんである。

プロフェッショナルとは、と問われての答え。「一度きりを、生きる」、と。

健さん、たけしとはお互い認め合っている仲だそうだ。そのたけし、こう言う。
たけし、この前に健さんについたこう言っている。「動物に例えると、シロナガスクジラみたいなものですね」、と。

たけし、別の日には、こうも言う。

健さん自身は、こうも言う。「変わっていると言ったら・・・・・」、と。
網走番外地の”酒ひけ酒引け”の健さん、酒を飲まないそうだ。昔は吸っていた煙草も30年前にやめたそうだ。バクチもしない。先輩俳優に怒られたそうだが、マージャンもしない。酒を飲まないから繁華街へも行かない。
健さん、不器用、無骨、寡黙が通り相場となっている。
しかし、そうではない。健さん、よくしゃべる。
「もともと食うために役者になった。それから50年以上」、と。
感性、感受性、気持ち、感じられる心を大切にする、と語る。
そのためには、自分が感じられる良い映画、自分が感じられる監督、俳優さんを見つけて、と話す。
さらに、自分が感動できる小説を読む。いろいろな美術品を見る、とも。そして、海外を含めあちこちへの旅行をしているそうだ。
健さんが思う、こういう俳優に、という人の映像。

ジャン・ギャバンである。

イヴ・モンタンだ。

随分ぶれているが、マーロン・ブランドだ。ゴッド・ファーザーの。

最後に健さん、こう言う。
かなわないな、我々並みの人間は。
どうあろうと、健さんは健さん、と言うほかない。私たち、ごく普通の人たちは。