日中40年。

戦後の宰相3人を選ぶとしたら、吉田茂と共にこの男は入るだろう。カクさん・田中角栄である。あとの一人は、それぞれの人のお好みでいい。
1972年の今日、北京で日中の国交回復の共同宣言が交わされた。それから丁度40年。

40年前の今日、共同宣言を交わす田中角栄と周恩来。

このようなことを盛り込むのは当然だ。先の戦争のことを幾らかでも知る上は。

田中角栄が能筆であることは、よく知られている。しかし、田中角栄ばかりじゃなく、ここに署名している4人が4人、皆素晴らしい文字を書いている。
中国国務院総理・周恩来、日本国外務大臣・大平正芳、中国外交部長(外相)・姫鵬飛、皆が皆、とても味のある字を書いている。ほれぼれとする。

毛沢東の書斎での田中角栄と毛沢東。
万巻の書で埋まるこの毛沢東の書斎には、その年の初め、ニクソンが招かれている。キッシンジャーの隠密外交により、米中が国交を結んだ。
田中角栄の反応は速かった。首相に選ばれた2か月後、北京へ飛んだ。オレが中国との話をつける、という意気込みだった。
しかし、世紀の傑物であり、怪物でもある毛沢東との顔合わせには、田中角栄、随分緊張したようだ。極秘にしてはいたが、その前後に鼻血を出している。

実は、北京での最初の祝宴での田中角栄の演説、挨拶が問題となった。「ご迷惑をおかけした」、という文言なんだ。そんな軽いものなのか、中国側は色めき立った。周恩来も田中角栄に小声で言ったそうだ。「ご迷惑ではすみませんよ」、と。
その報告を受けていた毛沢東は、『楚辞集注』という書を田中角栄に示す。
その当時の日中の会談の記録員の人は、こう言う。
『楚辞集注』の九辨には、”ご迷惑”に関する記述があり、そこにはこのようなことが云々”、と。文字の国だ、中国は。やけに、ややこしいことにもなる。

その『楚辞集注』の”迷惑”。
この時の会談を記録した人の言うことには、こういうこと。日中の言葉の意味するところは違うことがあるが・・・・・

日中、中日文化の違いを研究していってほしい、というのが毛沢東の意思だ、と当時の日中会談の現場にいた記録員は語る。
日中の違い、いろいろある。近場では尖閣諸島の問題だ。
日中双方共、ヒートアップしている。カッカしている。それを煽るヤツもいる。
昨日の朝日に村上春樹の寄稿が載った。一面トップで。タイトルは、「魂の道筋 塞いではならない」というもの。
ノーベル賞が近くなった村上春樹、憂いている。今の日中関係を。村上春樹のスタンスは、3年前のエルサレム賞受賞時のスピーチ、「壁と卵」と似たようなものだ。
ごく普通の立ち位置である。当たり前のことを言っている。当然のこと、差し障りのないこと。だがしかし、である。
この何でもない、”お前ノーベル賞にもノミネートされている世界的な作家ならば、もう少し言いようもあるのじゃないか”、という男に対し、ネットの世界では猛反発が起こっている。皆さん、ネット右翼。寂しい日常が思われる。
日中、遣唐使、いや、その前の遣隋使から数えれば1400年を超える。推古天皇の頃からの付き合いである。長い付き合いだ。このところ、たかだか40年の付き合いで、どうこうというものでもなかろう。
ここまでの写真は、1週間ほど前のNHKの映像である。その1週間ほど前のNHKでこのような映像があった。

岡崎嘉平太と周恩来の映像である。
40年前の田中角栄と大平正芳による日中国交回復の前、多くの人が尽力していた。岡崎嘉平太もその一人。
その他、松村謙三、古井喜実、田川誠一、高崎達之助、廖承志、孫平化、日中さまざまな人たちが思い浮かぶ。しかし、今、日中の人たち角をつき合わせている。
遣唐使、いや、その前の推古天皇の時代の遣隋使から1400年だ。このところの40年などどうってことない時間である。
まあ、あまり突き詰めないことが肝心じゃないかな。そう、シャカリキになることもあるまい。