あなたへ。

高倉健、205本目の出演映画は、監督・降旗康男のロード・ムービー「あなたへ」。
健さん、6年ぶりの映画。カッコいい健さんである。しかし、高倉健、81歳になる。カッコよくはあるが、少ししぼんだ感じがする。歩き方もどこか。
お互い中年になってから結婚した二人、富山刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健が演じる)と、その妻・洋子(扮するのは田中裕子)。子供はいないが、仲良く暮らす。だが、洋子は病死し、英二のもとへNPOの手で絵手紙が届く。”遺骨は、故郷・平戸の海へ散骨してほしい”、ということが書かれている。”もう一通の手紙を平戸の郵便局で受け取って欲しい”、とも。
散骨は解かる。しかし、どうして、平戸の郵便局か。私の故郷・平戸へ行ってほしい、ということも解らないではない。でも、わざわざ平戸の局留めにしなくてもよさそうなもの。
しかし、そんなことを考えちゃいけない。そんなことじゃ、ロード・ムービーは成り立たない。行かなくちゃ。
そう、行かなくちゃ、君の町に行かなくちゃ、陽水もそう言っている。いや、これは余計なこと。寡黙な健さん、饒舌な陽水とは別世界。
で、高倉健扮する倉島英二、富山から、長崎県平戸の漁港・薄香まで旅をする。ワゴン車を自分で改造したキャンピングカーを駆って。飛騨高山、京都、大阪、瀬戸内、門司、そして平戸の薄香の町まで。

ロード・ムービーの面白さってのは、訪ねる町、出てくる所そのものにある。いやー、いいなー、と思わず知らず、まったく知らない町でも行った気になる。その中に身を置いている臨場感、と言ってもいい。この映画でもそうである。高山にしろ、京都にしろ、大阪にしろ。
それは、たしかにそうである。しかし、このロード・ムービー「あなたへ」、それよりも、健さん、いや倉島英二が旅先で出会う人たちがいい。
例えばこの男。自称元教師(演じるのはビートたけし)、倉島英二にこう言う。「放浪と旅の違いはわかりますか? 目的があるかないか、帰るところがあるかないかです」、と。山頭火と芭蕉の違いだ。しかし、自称元教師のこの男、実は車上荒らし。警察に捕まる。
先日死んだ大滝秀治の最後の出演作でもある。平戸の老漁師を演じる。「久しぶりにきれいな海ば見た」、というセリフを吐く大滝秀治の姿と表情、何故か、”弁慶の立ち往生”という言葉を思い起こさせる。
何よりも面白いというか、興味深いのは、草磲剛と佐藤浩市が演じる”イカめし”の実演販売屋である。若い草磲剛が上役で、中年の佐藤浩市が部下なんだ。部下の佐藤浩市、草磲剛のことを”主任”と呼んでいる。
この佐藤浩市扮する中年男、どこか何やら、ワケありだな、と思っていた。
歳が若いとはいえ、上司である草磲剛にこう言う。「そういうものを引き受ける覚悟がないのなら、こういう暮らしはやめた方がいい」、と。草磲剛がつい愚痴った時に。

余貴美子、日本の映画界に於いて、その存在感、年々歳々増している。この作品でも、平戸の漁港・薄香の食堂の女主人として出てくる。こういうセリフがある。「夫婦なんて、相手のことが全部は分かりはしません」、というセリフ。
余貴美子、よく知られているように客家の出。直接とは言わず、今後の日中関係に何らかのことがあるやもしれない。
それはそれとして、上記のセリフである。”夫婦なんて・・・・・”というセリフ。
このセリフ、”イカめし屋”の部下である佐藤浩市の、”そういうものを、・・・・・”、というセリフと関わりがあるんだ。実に巧妙。でも、しみじみとする。

高倉健扮する富山刑務所の指導技官、富山から長崎県平戸の漁港・薄香まで、幾つもの一期一会の出会いを重ねる。
それだけといえばそれだけだが、私にはジンとくる。健さんは、年取ったが。
危うく忘れるところであった。
この映画の中で、主人公倉島英二の死んだカミさんが歌を歌うシーンが何か所か出てくる。
その歌がとてもいい。
歌う田中裕子、とても上手い。宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」。趣深い。
あとひとつ。
最後に、高倉健の倉島英二、佐藤浩市のイカめし屋に一枚の写真を渡す。「ハトになりました」、と言って。どういうことか、この映画を見てもらうよりない。
思わず、"ああー”、と思うに違いない。