奥多摩歩き (1) 玉堂美術館。

これも夏、8月終わりの頃だから2か月近く前のことである。奥多摩へ行った。学生時代の仲間6人で。奥多摩の美術館巡りである。
青梅線の御嶽駅で待ち合わせ、まずは昼飯を食った。私は、コンビニで買った梅干しのおにぎりを食った。他の連中も似たようなもの。で、玉堂美術館へ。
<玉堂美術館は、奥多摩を走る青梅線の御嶽駅から近い。この駅名といい、小さな駅舎の唐破風の屋根といい、もうここは都会ではないぞという感じにあふれている>。
赤瀬川原平、その著『個人美術館の愉しみ』(光文社新書、2011年刊)の中で、こう書いている。
たしかに、そう。

御嶽駅の駅舎には、大したものではないが唐破風の屋根がついている。
それより、御嶽駅の”駅”の文字を見てほしい。”駅”ではない、”驛”である。古いんだ。由緒があるんだ。都会ではないんだ。

駅を出て、橋を渡り、多摩川沿いを少し歩く。

御嶽駅から玉堂美術館まで、すぐ近く、10分も歩くかどうかという距離である。しかし、目の下は、このような光景。
赤瀬川原平がいう”もうここは都会ではないぞという感じ”になってくる。

すぐ、玉堂美術館に着く。シットリとした和風の建物、吉田五十八の設計になる、という。
川合玉堂、晩年をこの地で過ごしたそうだ。

とても小ぶりな美術館である。展示室が二つ。
玉堂の作品もあったが、何より目に付くのは、玉堂の写生帖である。さまざまな大きさの写生帖が展示されている。
10代初めで京都へ勉強に行った時から、東京へ出てきた頃、さらに、晩年まで。いずれも、とても精緻な写生である。

展示室と渡り廊下で繋がっている玉堂の画室。

画室の中を撮る。
しかし、中は写らず、外の写りこみばかりである。写っているのは。石庭も写りこんでいる。

その枯山水の庭。

石の周りには、渦巻紋も。
龍安寺の石庭を思わせる。

美術館を出る時に振り返った。
誰もいない廊下があった。
奥多摩歩き、何回か続けます。