三陸沿岸紀行(1) 八戸クラス会。

4年半に近くなる。
2011年3月11日の東日本大震災の翌日だったか翌々日だったかに、一関のOと八戸のKに電話した。テレビに次々流れる映像に驚き。OもKも大学の学部の同級生である。
一関のOには繋がらなかった(後、他の級友の電話に繋がり安全が確認された)。が、八戸のKには繋がった。
K、「よく繋がったな」、と言い、「港からは離れているので、津波は大丈夫だった」、と続け、「ずっと停電だったので、東北がこれほど酷いことになっているとは知らなかった」、と話す。
今年の学部のクラス会、そのK、金入孝明の地元・八戸で催された。
実は、今年のクラス会は、昨年の箱根でのクラス会の折り、大城将保の地元・沖縄でとなっていた。しかし、今年は戦後70年の節目の年。沖縄戦の研究者でもある大城将保、忙しい。で、沖縄は一年先送りし、八戸の金入孝明がピンチヒッターを引き受けた。八戸三社大祭に合わせ。
3時半集合に間に合う「はやぶさ」で八戸へ。迎えの車でクラス会会場のホテルへ。

4階だったか5階だったか、ホテルの部屋の窓から外を見る。
向こうの方は八戸市街。右上の方は八戸港。
5時から宴会、いや、クラス会が始まる。
出席者は19人。内2人はクラスメイト夫人。出席予定だったが、2人が体調を崩し欠席になったとのこと。いずれにしろ、昨年の箱根でのクラス会よりも多い参加である。沖縄から参加の大城将保、こう言う。「50年以上も続いているクラス会、それもこれほど多くの旧友が駈けつけるクラス会は、何かどこかに登録されてもいいんじゃないか」、と。
まあ、それも永久幹事を引き受けている男・宇都宮の荻谷三郎がいるおかげ。毎年の幹事、永久幹事の荻谷とさまざま擦り合わせ、その年のクラス会を組みたてている模様。
前日から来て、恐山や大間へ行っている者もいる。縄文時代の是川遺蹟へ行っている者もいる。クラス会が終わった後、翌日も八戸へ留まる、という者もいる。さまざまである。私は、翌日から何日かかけ、三陸沿岸の大震災の津波に襲われた町を辿るつもり。
纏め役の荻谷の挨拶から始まった宴会、いや、クラス会、何やかやで2時間。今回は次が控えている。
八戸三社大祭の前夜祭である。

それ以前、八戸へ着いた時、駅にはこのようなものが下がっていた。
7時すぎ、本八戸近くの前夜祭会場へ。
クラス会、ホテルでの宴会から八戸三社大祭前夜祭へ会場を移す。
山車が集まっている。

クラス会の面々がいる。山車の写真を撮っている。

薄暗い中、これも山車の前のクラス会の皆さま。

混雑する中、クラス会の面々を引率する幹事の金入孝明。金入、180センチを超す長身である。
私は、金入と同室であった。さまざま話した。金入からこういう言葉が出た。「自分は背が高かったから旗手になったんだ」、と。
「金入3兄弟」、という話は知っていた。早稲田のアイスホッケー部に、金入3兄弟という凄い選手がいる。そのひとりが金入孝明である、ということは。しかし、その金入孝明がオリンピックに出て、しかも開会式の旗手を務めていたなんてこと、初めて知った。
金入が出たオリンピックは、1968年のグルノーブル大会だそうだ。金入、早稲田を出た後、王子製紙へ入った後、とのこと。グルノーブルでは、10位だったそうだ。オリンピックは一度のみだが、世界選手権には4度出ている、という。そんな日本を代表する男が同じクラスにいたなんて、全く知らなかった。
金入、早稲田に入った後は、毎日、授業とスケートリンクのみの日常であった、という。酒も煙草もやらなかったそうだ。一流のアスリート、その日常は厳しいんだ。
先日記したように、私の日常もやや変則であった。2年までは学校へ行っていたが、それ以降は親父が死に仕事を始めたり、結核が再発して療養所へ入ったり、何年か休学したり、という状況。入学時のクラスメイトとの交流などということは、全くなくなっていた。オリンピックに出るような男とのつき合いなど、全くない状況。
ただ一人だけ、たまに会う男にKという男がいた。芝居をやっていたK、4年で卒業できないと知った親父から兵糧攻めを受けていた。が、K、6年ほどで親父の軍門に下り、田舍へ帰っていった。その後もKとは年賀状のやりとり程度のつき合いはあったが、K、10年ほど前に死んだ。
入学時のクラスの皆さまとのつき合いが復活するのは、20年ほど前。たまたまの一本の電話から。リタイアした後は、あちこちでのクラス会にも参加するようになった。稀に金入とも会うようになったが、彼がオリンピアンだなんてことは知らなかった。

多くの山車が集まっている。
華やか。

金入から受け取った八戸三社大祭のパンフには、このような「山車の類型」といったことが記されている。
しかし、いずれが「岩」か、「波」か、「建物」か。「高欄」か、よくは分からない。

いずれの山車にも子供たちがついている。

このお嬢さんたちは、お疲れの模様。道端に座りこんでいる。
そろそろ私たちもホテルへ戻る時間である。
この後、ホテルへ戻った後、一番広い部屋で3次会が開かれる。
3次会会場には、幹事の金入からビールはもちろん八戸の地酒が多く持ちこまれていた。
11時すぎ、私は部屋に戻った。時間無制限、朝まで飲むぞ、と言っていた大城たちはどうしたであろうか。

部屋から見た11時すぎの八戸市街。
この時刻、八戸三社大祭の前夜祭は終わっているであろうが、八戸市街煌めいている。