三陸沿岸紀行(12) 岩手県交通バス。

道の駅やまだで岩手産の柚餅子やブルーベリーのキャンデーを求め、3時44分発のバスで釜石へ。今度は岩手県交通のバスである。共に、JR山田線の振替えであるが。

船越湾の浪板。
2011年3月11日、このあたりには18.18m、19.09m、の津波が遡上している。

吉里吉里近くの海水浴場。

吉里吉里のバス停。
降りる人も乗る人もいなかった。

大槌の少し手前。重機や車が幾つも停まっている。
大槌もあの日、大きな被害を受けた町である。10.91m、12.90mという津波に襲われた。

ここも。

鵜住居の近く。
ここにも11.46m、13.87mの津波が襲った。
ところで、私は、「鵜住居の近く」とか、「大槌の少し手前」とか地域名を付している。電車やバスの窓から見た所の名を。
実は、地図と各路線の時刻表と撮影時刻の3つを突き合わせ、大まかな地点を割り出している。それを下北半島の尻屋崎から青森、岩手、宮城の3県すべての三陸沿岸の海岸線を辿っている『津波詳細地図』に当てはめ、その地域の津波の遡上高や浸水高を記している。
それ故、多少のずれはあるであろうが、大きな違いはないもの、と考えている。
「ずれがあろうとなかろうと、それがどうした、天下国家の問題か?」、と言われれば、「いや、ただのパズルのようなものでして」、と言う他ないが。

両石湾に臨む両石駅の近く。
あの日の津波の遡上高は、18.17m、20.25m、浸水高は、16.02m、16.23mとある。
嵩上げ工事のようである。

両石には、小さな港があった。
小さな船が停まっている。

両石駅を出て数分後。このあたりの浸水高は、17.42m、17.94m。

ところどころに重機が羽根を、いや、腕を休めている。
三陸沿岸、あちこち重機の姿ばかり。4年半近くとなる今でも。

オッ、これが見えた。
この煙突、この煙が見えると釜石だ。

終点釜石駅前で降りる。
すぐ目の前に、ホテル・フォルクローロ三陸釜石がある。フォルクローロ三陸釜石、JR東日本系列のホテル。この春にオープンしたばかり。ネットで運よく取れた。
3年半前、大震災の翌年1月、やっと釜石の宿が取れた。「寝巻きがありませんから、寝巻きを持ってきてください」、と言われ、パジャマを持って釜石に降り立ったことを思い出す。宿に泊まっている人たち、私の他は作業服を着た復旧作業の人たちばかりだった。
真冬、もう暗かったが、タクシーを呼んでもらい港の方へ行ってもらった。
今回は真夏、まだ明るい。
やはり港へ行くつもりだが、チェックインをした後、部屋のベッドで暫らくひっくり返っていた。