責任そして自裁。

昭和16年(1941)10月18日、東條内閣成立。東條英機、陸軍大臣を兼務する。
同年12月1日、御前会議において、米英に対する開戦を決定。ただし、天皇は無言、発言せず。
3年余の後・・・
昭和20年4月7日、鈴木貫太郎内閣成立。阿南惟幾、陸軍大臣に就任。
同年7月27日、連合国、ポツダム宣言。日本。これを黙殺する。
同年8月6日及び9日、広島、長崎へ原子爆弾投下さる。
同年8月9日から10日にかけての御前会議(最高戦争指導会議)で、御聖断が下る。
最高戦争指導会議のメンバーは、鈴木貫太郎総理大臣、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸軍大臣、梅津美治郎参謀総長、米内光政海軍大臣、豊田副武軍令部総長の6人。この時には、平沼騏一郎枢密院議長も同席している。
ポツダム宣言受諾、国体護持の条件をつけることには全員一致。しかし、阿南、梅津、豊田の3人は、それに加えさらに3条件をつけるべしと主張。進展せぬ議論に、鈴木が天皇の裁可を仰ぐ。昭和天皇は、外相の意見に賛成である。国体護持のみでよい。戦争の継続は不可と思う、と発言。御聖断が下る。
しかし、ポツダム宣言受諾を連合国に知らせる外相の原案が提出された時、平沼枢密院議長がその文言に反対の意を表明する。「天皇の大権」に関し。
12月14日、再び御前会議が開かれた。陸軍大臣・阿南惟幾は、国体護持一点だけでのポツダム宣言受諾には反対する。阿南、天皇の側近・木戸幸一と激論を交わす。9日から10日に亘った御前会議と同じく、国体護持の一点でポツダム宣言受諾すべし、との東郷外相、米内海相、鈴木総理の意見を、天皇は再び「それがよい」、との意思を表わされる。再びの御聖断である。
上記、寺崎英成が記した『昭和天皇独白録』から引きぬいた。

『日本のいちばん長い日』、脚本、監督は原田眞人。原田、先般の『駆込み女と駆出し男』の監督。幅が広い。
原作は、昭和史ならこの人のひとり・半藤一利。

昭和史の中、昭和20年4月7日の鈴木貫太郎内閣成立のころから、8月15日のポツダム宣言受諾まで。特に8月15日、ポツダム宣言受諾に関わる天皇の玉音放送。
その録音盤を奪い、内閣を倒そうという陸軍若手将校によるクーデター、いわゆる宮城事件。その8月15日、日本のいちばん長い日を描いている。
しかし、私は、この映画の表現に、何かすっきりしない思いを抱いた。

<降伏か、決戦か>って惹句としてはいい。
<戦争終結のために、命を懸けた男たちの感動の物語>、とある。
あの戦争を、命がけで終わらせたのは、鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸相と昭和天皇の3人である、と言っている。
驚いた。
私は、半藤一利の書『日本のいちばん長い日』は読んでいない。しかし、半藤一利の著作は、著書、編書いくらかのものは読んできた。が、そこから得たものでは、あの戦争を終わらせた者は、東郷茂徳外相、米内光政海相、鈴木貫太郎首相、そして昭和天皇であった、と思っていたので。
『昭和天皇独白録』はじめその他の書でも、阿南惟幾陸相は、終始一貫、国体護持の一点のみのポツダム宣言受諾には反対していた。
それは仮の姿、とでもいう本作の構成、そうなのかな、と思うことしきり。最高戦争指導会議を中座、別室で内閣書記官長の迫水久常を立ち合せ、血気にはやる部下たちへ、ウソの電話をかける場面など、それこそウソ、あり得ないよ。あまりにも阿南惟幾に肩入れしすぎている。
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御前会議である最高戦争指導会議。
正面は昭和天皇。
天皇に向かって右側、一番奥から、鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、梅津美治郎軍令部総長、左側は奥から、東郷茂徳外相、米内光政海相、豊田副武軍令部総長。
阿南惟幾、日本がポツダム宣言を受諾、との御聖断が下った8月14日深夜、自裁する。
二枚の半紙に最後の言葉をしたためた。
一枚には、
   大君の深き恵に浴みし身は
    言ひ遺すへき片言もなし
   八月十四日夜 陸軍大将惟幾
との辞世があり、もう一枚には、
   一死以て大罪を謝し奉る
   昭和二十年八月十四日夜
       陸軍大臣阿南惟幾
と書かれていた。(梯久美子著『昭和の遺書−55人の魂の記録』 文春新書 2009年刊)。
前者は、天皇に対し、後者は、国民に対するものである。
原田眞人の映画『日本のいちばん長い日』の阿南惟幾の自裁の場面はには、引きこまれた。短刀でもって腹を掻き切り、さらに血がべったりとついた短刀で頸動脈を掻き切る。
先人が記す、まさにその通りの自裁。立派なものである。

昭和20年8月16日付けの毎日新聞。野坂昭如『「終戦日記」を読む』(NHK人間講座 2002年8月〜9月)から複写する。
<阿南陸相自刃す>、とある。
本文は読めないが、<忠誠、道義の人>との見出しがある。
阿南惟幾、まさにそのような人。
昭和天皇には、終始忠誠、忠義を尽くした。国体護持のみでのポツダム宣言受諾には反対し続けていたが、国民には死をもって謝罪した。
映画『日本のいちばん長い日』の阿南惟幾には違和感を覚える。が、阿南の自裁に関しては、頭を垂れる。