三陸沿岸紀行(18) 陸前高田。

JR大船渡線BRTは、先ほどから海辺を離れ内陸部を走っている。

向こうの方に白くて長いものが見えてきた。

これが、陸前高田のベルトコンベヤなんだな。
せっせせっせと土を運んでいるベルトコンベヤ。

あの日、2011年3月11日、陸前高田の中心部は大きな津波に襲われた。
12.35m、13.71m、14.55m、15.10m、16.00m、17.60mという津波に。
死者、行方不明者は、1850余人。市の人口の8%に当たる。夥しい数の人が犠牲となった。
市は、内陸部の高台に更に土を積み上げ、津波に対処することを選択した。いわば、人工的に新しい土地を造ろう、ということだ。そのため、多くのベルトコンベヤを導入、せっせせっせと土を運びいれ、積み上げている。

ここには多くのダンプが。

すべての場所で嵩上げをしている。

窓の外、すぐ近くにベルトコンベヤが。

何だか石油プラントのようにも思える。

土砂を運ぶベルトコンベヤの間に「一本松」の文字が見えた。

「奇跡の一本松」停留所。
危うく見過ごすところであった。

工事現場というより、まるで工場のよう。

オッ、ベルトコンベヤに隠れているが、向こうにあるのは「一本松」だ。

3年半前には、一本松はよく見えた。バスの窓から何度も何度も。
しかし、今はベルトコンベヤに隠れ、ちょうど枝のところが見えなくなっている。右側の半分壊れた建物は3年半前と同じだが。

ベルトコンベヤの影の一本松も見えなくなった。
左の大きな橋は、気仙川に架かる気仙大橋。

一本松の姿、全体が見えた。

10秒か15秒程度であったが、「奇跡の一本松」の姿がを見ることができた。

あの日の陸前高田、広い範囲に亘り津波に襲われた。市民の12人に1人が犠牲になった。驚くべき比率である。
だから今、土を運び入れ、積み上げ、新たな高台を造っている。これほど多くのベルトコンベヤを導入、大がかりな造成を行なっているのは陸前高田だけじゃないか。それほどの痛みを蒙った、ということであろう。
が、新たな高台、何時できあがるのであろうか。そして、市民がそこに住むのは何時なのか。1、2年とか、2、3年とか、そういう単位では計れないような気がする。
なお、「奇跡の一本松」は、この図の「高田松原」の左端の方、浸水高12.35mの赤丸の少し下あたりに立っている。