三陸沿岸紀行(15) 三陸鉄道盛駅。
盛には、思いがある。
3年半前の早朝、釜石からのバスで盛のサンリアというスーパーの前に着いた。時折り雪が舞っていた。周りにはコンビニもなければドトールやマックのような店もない。自販機さえない。サンリアが開くまでふるえていた。津波で親父とお袋が死んだ、という男と行きあった。その男、ボソッとそう言った。
1時間ほど後サンリアが開き、中で熱いコーヒーを飲み、荷物を預け、三鉄の盛駅の方へ歩いて行った。
三陸鉄道南リアス線は、その全線が復旧していなかった。しかし、盛駅は開いていた。地域のふれあいの場として。熱い湯茶などを置き、ご自由にお過ごしください、と。
久しぶりの三鉄盛駅、変わっていない。まったく同じ。
中へ入る。
盛駅の待合室は賑やかだ。壁面、少しの隙間も無駄にしない。
ここも。
待合室を出て跨線橋へ行くここ、3年半前には、ダンボールに入ったさまざまな衣料品が積まれていた。乳児用のロンパスや、下着、服、オーバーコートまで。ご自由にお持ちください、と書かれていた。
3年半が経った今月初め、子供服だけの交換所と記されている。子供の服だけはご自由に、ということらしい。
ホームへの階段。
ここにもいろいろなものが貼ってある。
跨線橋の上。うわー、いろいろなものが並んでいる。
手前に見える絵は・・・
昨年、山中孝夫さんから贈られたものだそうだ。
三陸の漁師が描かれている。
手袋がいっぱい。
人の繋がりってことか。
三陸鉄道の全線復旧は、昨年4月6日。
何枚ものパネルに、多くのメッセージが書きこまれている。
<全線復旧おめでとうございます!>、<やったね!>、<これからもがんばれ三鉄!>、<全力でおうえんします!!>、というような文言が。
<また走ってくれてありがとう>とか、<釜石から盛へいつでも行ける! うれしい!>、という書きこみもある。
この気持ち、この感覚、三陸沿岸に住んでいる人にしか解からないものかもしれない。
待合室へ戻る。こういうチラシが貼ってある。
盛駅前賑わい市とか、陶芸教室とか、駅弁列車とかへの勧誘チラシ。
7月16日発行の「さんてつ通信第46号」。
釜石の「橋野鉄鉱山」の世界遺産登録決定を祝う、というもの。
3年半前には、手書きの「さんてつ通信第1号」が貼ってあった。津波でどうこう、というものであった。
この違いのみを見ると、時の流れを感じる。
待合室にあったチラシ。
駅弁列車や、被災地を元気にする催しや、法律相談から見えることごとや、といったこと。三鉄盛駅、さまざまなことに取りくんでいる。
そう言えば、釜石駅で盛行きの車両の前にいた三鉄の社員、こういうことを言っていた。
「私たちは、コツコツとなんでもしなければなりませんから」、と。