三陸沿岸紀行(10) 岩手県北バス。

4年半前のあの日まで、宮古から釜石へはJR山田線が走っていた。しかし、大震災に襲われてからはずっと運休。復旧のめどは、まったく立っていない。で、この区間はバスが振替輸送している。
宮古駅に戻った後、案内所でバス乗り場を訊ねる。まず何番乗り場で岩手県北バスに乗り、道の駅やまだで乗り換える。そこで今度は岩手県交通のバスに乗り釜石へ、ということであった。道の駅やまだへ行く次のバスは1時半発、道の駅やまだでの待ち時間は約1時間10分、とのこと。
1時半のバスを逃すと、その次のバスまでは2時間近く待たなければならない。昼飯をどこかの食堂で食う時間がなくなった。仕方がない、駅の立ち食いそば屋でうどんを食い、1時半のバスに乗る。

宮古駅を出て暫らく走ると橋を渡る。閉伊川に架かる橋、宮古大橋。前方向こうの方は、宮古港である。

15分ほど走った頃、窓の外には色とりどりの水上バイクが現われる。まだ宮古湾である。

そのすぐ後には、多くの鉄材が。
このあたり、大震災の時には、12.20m、15.54mの津波が遡上している。

津軽石を過ぎ、豊間根も過ぎ、陸中山田が近くなった頃、窓外にはこのような光景が。
山田湾に何かが多く浮かんでいる。養殖の筏のようである。

大きなクレーンも現れる。

雑草の生えている先には防波堤があり、重機があり、養殖筏が浮かび、向こうには緑の山が見える。
面白い光景だ。

陸中山田を出たすぐ後、湾に沿ってこのようなものが見えてくる。高い防波堤である。
この壁で、津波に対抗しようとしているらしい。

織笠の近く、黒い砂袋があり、大きなクレーンがあった。日曜日故、作業はしていなかったが。

いきなりこういう建物が現われた。2011年3月11日のあの日のまんまのようだ。

織笠近くの小さな港。
ここにも8.19mの津波が襲っている。

山田湾、小さな島があちこちに。

2時半過ぎ、道の駅やまだに着く。ここで乗り換え。