三陸沿岸紀行(6) 久慈。

朝、廊下を走り回る子供の足音や、その親らしき男の声などがしていた。
ひとしきりそれらが収まった頃起きる。

窓を開けると、目の前には、これ。
駅に近いとは思っていたが、すぐ裏だったんだ。

右の方をみると、八戸の方への線路が見える。

食堂の壁には、これ。
「あまちゃん」だ。<オラ、北三陸が好きだ>、との文言が。

こちらの壁には、久慈秋祭りのポスター。今年は9月17日から20日まで。
何か八戸の三社大祭に似ているな、と思い宿のオヤジさんに訊くと、やはりそうらしい。「今は久慈でも山車を造ってますが、昔は八戸から山車を借りてきたんです」、とのこと。
なるほど、で、ひと月遅れの9月なんだ。
夕食同様、朝飯を食べているのも私ひとりであった。泊まり客の皆さんは、すでに出かけたものらしい。

駅の近くに小さな観光案内所がある。その前には、これが。

小さな広場の足元には、これ。
久慈、海女の北限の地らしい。

三鉄の待合室にも海女。

ここにも「あまちゃん」。久慈、「あまちゃん」のロケ地なんだそうだ。
私は、NHKの朝のテレビ小説も日曜夜の大河ドラマも見ない。しかし、何年か前、「あまちゃん」が大ヒットしたことは知っている。その「あまちゃん」を見た。三陸沿岸の地では、今も「あまちゃん」が放映されていた。

この翌日、3日の朝は釜石のホテルで迎えた。朝、テレビを点けるとこの画面が現われた。

<第18週 「おら、地元に帰ろう!?」 (第103回)>である。

三陸の単線だ。

潜ってる。

主人公の女の子を挟んで、二人の女が飲んでいる。

寿司屋の座敷のような所で、小泉今日子と薬師丸ひろ子の二人のオバさん、何やら言い合っている。主人公の女の子は、時折り何やら叫んでいる。

<つづく>となり、この日の「あまちゃん」は終わった。
何やらよくは分からなかったが、どこか面白い感じがした。
たまたま釜石で見たのだが、NHK、「あまちゃん」の地元・久慈でも、当然のこと流しているだろう。

小さなリュックを預けた所にこの人がいた。
北いわての匠の実演。

削った昆布を「どうぞ」と言ってくれた。
美味かった。
朝のんびりしていたので、港へ行く時間はなくなった。せめて港に注ぐ久慈川には行こう、と思った。歩いて10分ばかりなので。
それ以前に、<久慈という地域は、久慈川という上流に多くの支流をもった水流が南下して大地を沾おしている小さな平野で、久慈湾という小さな湾までかかえこんでいる。・・・・・>(司馬遼太郎著『街道をゆく3 陸奥のみち』2008年 朝日文庫)がある。
この書、八戸から久慈への久慈街道を記しているが、八戸では安藤昌益のことや高山彦九郎の旅のことなど、いかにもシバリョウだなってことが記されているのだが、久慈についてのこういう一節がある。
<・・・・・、この町の陸奥寂びてさりげなく息づいている一種の華やぎもわるくなく、・・・・・>、という一節。
「陸奥寂びて(おくさびて)」なんて司馬遼太郎の言葉を知ると、久慈川ぐらい見なくっちゃ、という思いはつのる。

水だけを持って久慈川まで行った。

久慈橋。
そこそこ大きな橋である。年期が入っている。
それにしてもだ。少しぐらい車が通ってもいいのに、来ない。

橋の中ほどまで歩き、下流の久慈湾の方を見る。
流れは、ずいぶん細い。

反対側、上流の方は、こう。

2011年3月11日、久慈港の方には、6.15m、7.98m、8.67m、9.85mの津波が襲っていた。
久慈橋のあたりは、川の両岸の堤防を越えている。しかし、そこからさほど離れていない駅の方は、津波からは逃れたようだ。
だから、駅のすぐ裏の私が泊まった宿も、部屋にトイレも風呂もない50何年前の姿を留めているんだな。おそらく。


戦後70年。
安倍晋三の談話が発表された。
文言の構成、安倍晋三の苦労は見てとれる。
肝心なところ、直接話法ではない。間接話法である。しかし、と言おうか、だから、と言おうか。