三陸沿岸紀行(4) 八戸三社大祭お通り。

八戸には地元紙がある。「デーリー東北」である。

8月1日の「デーリー東北」。
さすが地元紙、一面で大きく前夜の八戸三社大祭前夜祭の模様が報じられている。
私たちクラス会の面々は、種差海岸でウニ丼の昼食を取った後、バスで鮫へ。鮫から八戸線で本八戸へ戻った。
290年の歴史を持つという八戸三社大祭、4日間に亘り催されるようだが、この日の「お通り」がいわばメインイベントであるらしい。

本八戸の駅には、このような大きな垂れ幕が。
<八戸は あずましいすけ おんでやぁんせ>、と書かれている。
ひと口に青森の言葉と言っても、津軽弁、下北弁、南部弁の3つに分かれるようだ。駅の垂れ幕の文言から窺うに、八戸は、下北弁と南部弁が入り混じっている模様。
まず、「あずましい」とは、下北弁で、「心地よい」とか「気持ちいい」、という意味だそうである。「おんでやぁんせ」は、南部弁で、「おいでください」とか「いらっしゃい」、という意。
つまり、「八戸は、心地のいい所ですから、ぜひお出でください」、という意。八戸という町、まさにその通りの町である。

お通りは、午後3時から八戸市庁舎の前を出発、目抜き通りを進むそうだ。
本八戸の駅前、市庁舎前へ向かう山車が車に曳かれていった。

虎舞いの準備も怠りないようだ。
10頭ばかりの虎が、道路に横たわっていた。
私たちクラス会の連中は、お通りの通る中心部の目抜き通りの金入の会社で少し休む。金入の家、江戸時代からの肥料問屋であったそうだ。昔の何々問屋、金融業も併せ持つ。今はまったく異なる商売をしているが、半分はデパートに貸している、という6、7階建ての大きなビル。
慶應と異なり、早稲田は、地方の貧乏人の小倅が来ていた学校であったが、中にはそうではない男もいたようだ。

すぐ前の観覧席の椅子席につく。
目の前を、出発地点の市庁舎前へ向かうお稚児さんが通る。

10年後には、どういうギャルになっているであろうか。

騎馬も出発地点の市庁舎前に向かう。

お神輿も。

3時になった。お通りが市庁舎前を出発する合図の花火があがる。
今度は、左から右へ。まず来たのは、お獅子。

先ほど右から左へと進んでいった稚児行列、お通り本番で左から右へと過ぎていく。

手綱を引くこの男の子、4つか5つであろうか。可愛い。
隣りに座っていた、ここ数年で二人の孫に恵まれ、念願のおばあちゃんになったA.K.、こう言った。「孫ができると、他人の子供でも小さい子供はみんな可愛いね」、と。
確かに。まさに、そう。

八戸、南部世界である。これも馬。

いよいよ山車が来た。

廿六日町山車組。

<乾坤一擲 島津義弘敵中突破>。関ヶ原の戦い。

これのタイトルは何だったか。

次々と山車が通りすぎる。

実は先ほどから、「せり上げろ」、「せり上げろ」、と叫んでいる人がいる。この人である。
山車はせり上がるそうである。確かに、前夜見た背の高い山車はまだ通らない。
しかし、山車よりも問題は、この人である。この人、金入孝明の幼なじみだそうだ。
ビールやつまみ、ジュースやその他、頭を冷やす氷まで、さまざまな差しいれを持って待ち構えていてくれた。
金入の幼なじみ、「八戸までよくぞ来てくれました。嬉しい」、と言う。ゴミの処理まで、何から何までお世話してくれる。
とても心地のいい人、気持ちのいい人であった。
本八戸の駅に懸っていた垂れ幕の「あずましい」、という言葉そのままの人であった。
お通り途中であるが、この日久慈へ行く私、4時ごろ八戸駅まで送ってもらう。