「住み果つる慣らひ」考(21)。

すごく面白い本である。とても深く興味深い日本論である。ひと月前までこのような本があることなど知らなかった。モーリス・パンゲ著、竹内信夫訳『自死の日本史』(筑摩書房 1986年刊)である。
もちろん持っていない。幸いなことに市の図書館にあった。借り出して、ここ半月ばかり他の本と併読して読んでいる。他の本は2、3時間もすれば一丁上がり、1冊が読めてしまうが、モーリス・パンゲのこの書の進行速度は遅い。A4判で460ページある。改行が少なく、文字も小さく、開くと、右ページの1行目から左ページの最後の行まですべて文字ばかり、というところもある。中身がギッシリ詰まっている。
だからまだ、はじめから終わりまですべて読んではいない。これは面白いというところを、あちこち読んでいる。「自死の日本史」であるが、とても面白い日本論、日本文化論である。オレもバカだな、こんな面白い本を今まで知らなくって、と思うことしきり。
モーリス・パンゲ、1929年生まれのフランスの哲学者。パリ大学教授であったが、日本へ来て東大で教鞭をとり、永年東京の日仏学院院長も務めている。
『自死の日本史』、1984年に発表された原題は『日本における意志的な死』というものである。
「意志的な死」、<これが日本の事情をあらためて正しく照らし出してくれると思ったからである>、と「日本版への序」でモーリス・パンゲは記す。
第一章「カトーの<ハラキリ>」から始まる。
「カトー」って、加藤か、日本人か。違うんだ。カエサルに敗れ自死した共和制ローマ期の政治家・カトーなんだ。そう言われたって、カトーなんて知らないんだ、私は。
この書、東西古今の哲学その他さまざまな知識があればとも思うが、そのような知識がひとつもなくとも十分に面白い。そこがこの書の凄いところである。
古代日本、ヤマトタケルの船は神の怒りにふれて、海のもくずに消えようとしていた。ここにオトタチバナヒメという女性が現れる。「この私が皇子の尊い命になり代わって、海に入りますことをどうぞお許しください。」言い終わるや、・・・・・。献身的な自殺。
<自決の所作は時と共にますます厳粛に、正確に、そして儀式的になっていった>。死の演出法。
<たとえば義経。1189年、理由もなく咎をこうむり、・・・・・、・・・・・。・・・・・、義経は「意志的な死」という手段に訴える。だがどのようにして死ぬべきなのか、と彼は問う。・・・・・、・・・・・。それはもっとも困難であり、それゆえにもっとも輝かしい死に方だった。彼はそれを選ぶ>。
<肉体の苦悶はこの上もなく激しいものがあろう、だがその苦しみには神にも紛う精神の栄光が伴っている。その瞬間には・・・・・>。切腹の制度化。
<夜の八時、・・・・・。・・・・・。それから自身、割腹する。まず左から右へ、次いで下から上へ。・・・・・。>。乃木希典の殉死、美しく記される。
2.26の青年将校に関しては厳しい。
<21人の反乱将校のうち、降伏したときに自決したのはわずかに2人だった>、と。
「いかに死ぬか」。
モーリス・パンゲ、陸軍大将阿南惟幾の最後の様を記している。短刀による自裁を。
     大君の深き恵みに浴みし身は言ひ残すべき片言もなし
阿南惟幾については、これまでも何度も触れている。いつも思う。軍人の立派な自裁である。
1984年に発表された『日本における意志的な死』、つまり『自死の日本史』、自衛隊市ヶ谷駐屯地での三島由紀夫への論考、考察にて終わる。
面白い。めちゃ面白い。