第62回 新槐樹社展。

国立新美術館での新槐樹社展へ行くようになって8年目となる。
1月の半ば過ぎ、もうそろそろ来る頃だなと待ちかまえている。
と、光田節子から案内ハガキが届く。知り合いの絵描きからの展覧会案内は時折り届くが、光田節子からの案内ハガキは「来たな」って感じで正面から受けとめ、気合を入れて乃木坂の国立新美術館へ出かけて行く。

新槐樹社展、第62回目。

会場へ。

向こうの方に光田節子の作品が見える。

近寄る。

ンッ、少し違うぞ、今までの作品と。

新槐樹社会員・光田節子の今年の出展作。
左は≪私の山 −謳うー≫。右は≪私の山 −燃ゆー≫。
左の作品は、青っぽいというか緑っぽいというかの「私の山」、右は赤っぽいというか茶色っぽいというかの「私の山」。
「私の山」というタイトルは8年間同じである。しかし、そのマティエールと描かれたフォルム、今までの7年間の「私の山」とまったく異なる。色彩も。

左の青っぽい作品を見てみよう。
さまざまな色彩が混じりあい踊っている。まるで万華鏡のよう。
何たる変化。

近寄る。

より近寄る。

右の赤っぽい作品。

光田節子、マーク・ロスコを目指していた画家であるが、この色や形ロスコからは離れている。

より近寄る。
光田節子、どうしたのだろう。

再び、青っぽいというか緑っぽいという作品を。
実は毎年2月初旬、私は悩んでいた。いや、困っていた。
来る年も来る年も毎年、青っぽいというか緑っぽい「私の山」と赤っぽいというか茶色っぽい「私の山」。どこがどう違うんだって。
それをいかに記すかに。

再び、赤っぽいというか茶色っぽいという作品を。
「求道者」と記したこともある。光田節子のことを。マーク・ロスコ命の。
しかし、今回の新槐樹社展への出展作、私には「光田節子、少し寄り道をしているのでは」という感じがする。
北斎や、広重や、鉄斎や、大観や、梅原など日本美術史に名を残す巨人たちも考えつかず成しえなかった「富士山から稜線を消す」という大発見をし、それを描いた光田節子故。
今年はこうだが、数年を経ずして思索の限りを尽くしても「困った、ウーン」って難解な作品に戻るのではないか。


是枝裕和の監督作『万引き家族』、カンヌでパルムドールを取った。
「万引き家族」ってタイトル、やけにベタなタイトルだなって思っていた。だから、カンヌのパルムドールがなけりゃ観に行かなかったであろう。
是枝裕和の作品、『海街diary』しか観ていない。『万引き家族』、封切られたら観に行こう。


栗城史多という登山家を追ったドキュメンタリーを観た覚えがある。
ヒマラヤでの凍傷で、手の指10本の内9本を第二間接から先を切り落としながら高山に挑み続けていた。
その栗城史多、昨日、エベレストへの無酸素単独登頂に向かう過程で体調不良となり、今日、低体温症での死が伝えられた。35歳。
その父親はこう言う。
「バカ野郎とは言えない。よく頑張ったと思う」、と。父親だ。


愛媛県知事・中村時広が加計問題で新たな資料を発表した。安倍晋三にも関わるものである。
安倍晋三には、新聞の顔写真を見るのさえ胸糞の悪い佐川何某や柳瀬何某のようなウソはついてほしくないのであるが。