吉備の国アート巡り(3) 大原美術館本館。

大原美術館へ。
大原美術館へは3度目である。30年近く前、そして20年近く前、そして今度。

白壁と蔵造りの街並みを少し歩くとすぐ右手に大原美術館。
上の方に三角屋根のペディメントが見える。

大原美術館本館のファサード。設計者は、薬師寺主計。
上部三角形のペディメントとイオニア式の列柱で構成される。ギリシャ、ローマ風、歴史的保守本流の建築様式である。
しかし、なんと、マスキングテープで彩られている。幾つもの色のついたマスキングテープで。

こういうことらしい。
「mt」とのコラボ。

岡山の県紙は、「山陽新聞」である。
3月29日の「山陽新聞」の夕刊。一面にこういう記事が出ている。トップではないが、一面に。私が訪れたこの日、コラボ初日だった模様。

翌30日の「山陽新聞」朝刊にも、大原美術館とマスキングテープとのコラボの記事が載っていた。「ポップに”衣替え”」、と。この日はさすがに一面ではなく、中面であったが。
少しだけ横道へ逸れる。
大原美術館を作った大原孫三郎、クラボウ、クラレの創業者であり、幾つもの研究所を作った社会活動家でもあるが、「山陽新聞」の前身のオーナーでもあった。
<孫三郎は、新聞社経営にも多大の資金を提供したが、・・・・・、報道内容や経営面には一切口を出さなかった>(兼田麗子著『大原孫三郎 善意と戦略の経営者』 2012年刊 中公新書)。
金は出すが口は出さない、大原孫三郎、資本家の鑑のような男である。

大原美術館本館のファサード、正面。その両横にはロダンの彫刻が立つ。
左手には、≪洗礼者ヨハネ≫。右手には、≪カレーの市民 ジャン・ダールの像≫。

2月半ば、この雑ブログにも記したが、1月末から4月初めにかけて六本木の国立新美術館で、「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」が開かれていた。
その時、このパンフが置かれていた。<倉敷へ行こう>、との。

中を開くと、<倉敷でお待ちしています>、との文字。
倉敷にもまだまだ素晴らしい作品がありますよ、との惹句。
東京には来なかった、倉敷で留守番をしていたその素晴らしい作品、その幾つかを複写する。20年近く前に求めた図録から。

ポール・セザンヌ≪水浴≫。

ホアン・ミロ≪夜のなかの女たち≫。

ジャクソン・ポロック≪ブルーー白鯨≫。

アリスティド・マイヨール≪イル・ド・フランスのトルソ≫。

アルベルト・ジャコメッティ≪ヴェニスの女≫。

青木繁≪享楽≫。

梅原龍三郎≪紫禁城≫。

山口長男≪割≫。

本館に入り暫らくしたころ、「何時から館内ツアー、解説ツアーをします。ご希望の方はどこそこへお出でください」、というアナウンスが流れた。その時間にそこへ行った。オバさんが一人立っている。その人が解説者のようである。
「学芸員の方ですか?」と訊いた。「いえ、違います。私はボランティアでやってます」と返ってきた。しかし、時間を過ぎても私の他だれも来ない。で、私とボランティアで館内ツアーをしているオバさんと二人で大原美術館本館のツアーに乗りだした。
そのボランティアのオバさん、いや失礼、その女性、とても面白い人であった。
「この絵、どう思います?」、「この人はどこを見ていると思います?」、「季節はいつごろだと思います?」、と次々に質問を浴びせてくる。「ウーン、こっちの方、季節? 秋かなー」って返す。
小学校の女の先生と二人でいるようで、悪い気はしなかった。話好きでとても感じのいい人であった。
大原孫三郎の話もした。
児島虎次郎から、「グレコ買いたし」、との手紙が来た時、「グレコ買え、金送る」、と返事をした大原孫三郎のことも。そのこと、この「流山子雑録」という雑ブログに記してある、とも話した。「見る、見る」、と言っていたが、見てくれたかな。名前もメルアドも訊かなかったが。
そのボランティアの女性に、「貴女は大原美術館の中でどの作品が好きですか?」、と訊いた。
彼女の答えは、「あの丸い、黒い中に白い丸いやつ」、と。上掲の作品である。具体美術の総帥・吉原治良の≪白い円≫。この作品、私も好き。

大原美術館本館を出、工芸館、東洋館の方へ行く。