吉備の国アート巡り(4) 大原美術館工芸館・東洋館。

大原孫三郎は、西洋美術、日本美術ばかりでなく、民芸、工芸にも力を入れる。そのきっかけは、柳宗悦や濱田庄司、河井寛次郎たちへの肩入れ、後援。
1943年(昭和18年)、孫三郎が世を去った後も、後を継いだ長男・大原總一郎に引き継がれる。工芸館、そして東洋館が作られる。

本館前、≪カレーの市民≫像の横を入る。すぐ先に桜樹が見える。

桜樹、2、3分咲き、といったところであったろうか。その下を少し通りすぎて振りかえる。右にカラーマスキングテープで覆われた本館の壁面、左手は工芸館の入口である。

まず、ここを通り中庭に出る。

庭をグルッと取り囲んでいるさまざまな米蔵が、工芸館と東洋館。
ここらあたりは、濱田庄司室、富本憲吉室、バーナード・リーチ室。

このあたりは、河井寛次郎室、棟方志功室、そして芹沢硑介室。

さらに東洋館と続く。

グルッと一周して戻ってくる。

大原美術館のパンフを複写する。
左上:棟方志功≪華狩頌板画柵≫、左下:北魏≪一光三尊仏像≫、右上:バーナード・リーチ≪鉄釉抜絵兎文大皿≫、右中:河井寛次郎≪緑釉六方鉢≫、右下:芹沢硑介≪鶴亀松竹梅文のれん≫。

北魏の仏像、もう少し大きく図録から。

河井寛次郎の≪緑釉六方鉢≫も。

濱田庄司≪青釉黒流描の大皿≫。

芹沢硑介≪紬地斜格子手描金泥模様着物≫。

ところで、漆喰仕上げの白壁の米蔵の中に、ひとつだけ赤い壁、弁柄色の蔵がある。このひとつ目立つベンガラの蔵、芹沢硑介室なんだ。
実は、中庭を取り囲む工芸館全体のいわば総合プロデューサーは、芹沢硑介なんだ。蔵の中も外も。作家ごとに展示法その他、芹沢硑介の手になるものだそうだ。
床が面白い。床の木組みが。さまざまな木レンガ、歩くたびにコトコトコトコトと心地いい音を出す。

芹沢硑介によるベンガラ色の蔵を、もうワンショット載せよう。
ウーン、どうもなー、こういうの。
なまこ壁には、ベンガラ色ではなく、やはり白壁がピタリとくる。相応しい。そう思う。


2020年東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムが決まった。パクリだなんだかんだの騒動からは半年以上が経つ。
藍の市松模様のA案となった。
以外だった。
シックで粋な感じはするが、国民おしなべてハイテンションとなるオリンピック、パラリンピックにはチト地味なんじゃないか、と思っていた故。
しかし、なにがなんでも原色を多用したり、金赤に固執したりするのはやめようよ、という意思表示としてはいいんじゃないか。世界のほとんどの国々では、理解されないであろうが。
それでもいいよ。それでいいよ。
今日決まったエンブレム、勝った負けた、カッカカッカのオリンピック、パラリンピックとは一線を画した「成熟した世界運動会」の先駆け、魁となるかもしれない。