時。

飼い犬が死に、ゴールデン街で火事があった。いずれも思い入れがある。
時、時間ということを考えた。
ボンドとは8年弱の時間であった。ゴールデン街は、ここ何年かは年に一度の犬飼三千子の展覧を観るため行くぐらい。あとせいぜい行っても、一回程度。行ってるとは言えない。
私のゴールデン街は、1970年前後から80年代、1990年前後までであった。50年近く前から25年ほど前まで。ずいぶん長い時間が流れた。
何軒もの店に行っていた。女性を含め、さまざまな人と知り合った。
長嶺ヤス子の公私共のパートナーであったホセ・ミゲルに、その頃流行っていた「アドロ」のスペイン語歌詞を教えてもらったこともある。
バー「まえだ」で、唐十郎に「オレのところに来ないか」、と誘われたこともある。バー「まえだ」、5、6人も座ればいっぱいのカウンター席であるが、後ろに2畳あるかなしやという畳敷きがあった。唐十郎、そこへ状況劇場の役者7、8人を引き連れ飲んでいた。で、私に状況劇場へ入らないか、と言ってきた。
状況劇場、四谷シモン、根津甚八、小林薫といった白塗り優男の系列はあるが、それと共に、麿赤児、大久保鷹、不破万作といった異形の系譜もある。唐十郎、その異形の系譜に私を引き込もうとしたようだ。私は、食うや食わずの生活から、どうも世間は高度成長しているらしいと気づき、勤め人になった後である。食うや食わずの生活からは抜け出そう、と思っていた。
唐十郎からの誘いは断った。
それから40数年になる。
時は流れた。
1990年前後のゴールデン街では、次のノーベル賞は誰か、ということも語られていた。日本人の候補者は3人。安部公房、大江健三郎、そして中上健次。
しかし、1992年に中上健次が死ぬ。次いで1993年には安部公房が死ぬ。いや参った、こりゃ大江健三郎にまで死なれたら困る、と思ったのかどうか、そのすぐ後、大江健三郎にノーベル文学賞が授与された。
これも四半世紀前となるか。
その時間が流れている。
しかし、ゴールデン街と言えば、何と言っても「まえだ」がらみである。コミさん、田中小実昌である。
コミさんとはずいぶん行きあった。ある時、夜12時を過ぎた頃であろうか、お巡りがまわってきて、「もう閉めてください」と言った。その頃はこういう店の営業時間は12時だったのだろうか。
「まえだ」の店内には私とコミさんの二人のみ。
私は「帰って」、と言われた。コミさんは、細い階段を2階へ上がっていった。コミさんと「まえだ」のママ、どうのこうのと言われてはいたが。
1970年代半ば、田中小実昌・コミさん、素晴らしい作品を書く。『オホーツク妻』である。これで直木賞は確実、と言われていた。しかし、取れなかった。
その時の「まえだ」のママの荒れようは凄まじかった。「これで取れなかったら、コミはこの先芥川賞も直木賞も取れない」、と言って荒れまくっていた。その何年か後、コミさん・田中小実昌は直木賞を取るのだが。
それからでも40年近く経っている。
時は流れた。
私の生のある内、あと幾ばくの時が流れるのであろうか。
ボンドが死に、ゴールデン街の火事があったのを機に、「時」を考える。