吉備の国アート巡り(6) 児島虎次郎記念館。

<大原美術館は、大原孫三郎と画家、児島虎次郎の友情に端を発している。・・・・・。虎次郎は、1902年、有為の学生に対して大原家が学資支援を行っていた大原奨学生の面接を受けるために孫三郎にはじめて会った。・・・・・>。
<1907年(明治40年)に虎次郎は、東京府主催勧業博覧会の美術展に「里の水車」と「なさけの庭」という二作品を出品し、一つが一等入選、もう一つが昭憲皇后の目にとまり、宮内省お買い上げとなった。大喜びした孫三郎は、虎次郎に5年間もの欧州留学をプレゼントした。・・・・・>。
上記、本館の折りに触れた兼田麗子著『大原孫三郎 善意と戦略の経営者』(中公新書 2012年刊)から引いた。
大原孫三郎と児島虎次郎の友情は、1929年に児島虎次郎が死ぬまで終生続いた。そして、虎次郎の死の翌年、孫三郎は大原美術館を作る。
1929年と言えば、ウォール街に端を発する大恐慌の年である。企業家、事業家としての大原孫三郎も厳しい局面に陥っていた、という。その中でも大原孫三郎、大原美術館を作る。
兼田麗子の記すところによれば、<当初は、児島画伯記念館という名称を孫三郎は考えていたが、周囲の意見も聞き入れ、大原美術館と定めた>、とある。
孫三郎の虎次郎への思い、驚く。
都合3回に亘る孫三郎による虎次郎の欧州留学、派遣による収集品は、本館に収められている。それとは別に、画家・児島虎次郎の作品を主とする児島虎次郎記念館がある。本館などから少し離れたところに。

児島虎次郎記念館、Ivy Squareの中に。

看板が。

レンガの建物。

児島虎次郎記念館。

突きあたり。

児島虎次郎記念館入口。

児島虎次郎の作品を幾つか、パンフから。
左上:≪睡れる幼きモデル≫、左下:≪春の光≫、右上:≪酒津風景≫。

孫三郎が虎次郎を欧州留学へと向かわせるきっかけとなった、児島虎次郎の≪里の水車≫。

児島虎次郎≪ベゴニアの畠≫。図録から。

一角にオリエント室がある。
児島虎次郎が画家の目で集めた中東・オリエントの美術品が展示されている。

エジプト≪ファラオ像浮彫≫。

エースや4番が六本木の国立新美術館へ行っていた4月3日までの間、留守を預かる大原美術館では「OHARAグランプリ ここから生み出すNo.1」を行っていた。
留守を守る作品の中から投票でNo.1を決めよう、という試みである。
ビュッフェ、佐伯祐三、ミロ、棟方志功、河井寛次郎、児島虎次郎の作品も。
今では結果は分かっている。
期間中に皆さま方が投票した第1位・No.1は、右から2列目の上から2つ目、ミロの作品の下、シニャックの≪オーヴェルシーの運河≫。
洋の東西、その場所を問わず、印象派は強い。

この一角、周り中レンガ、煉瓦である。
壁面と言えど、同一ではないんだ。お分かりだと思う。こういう変化がついている。

時を感じる。その流れを。