吉備の国アート巡り(9) 本町通り。

江戸時代、倉敷と早島を結ぶ主要な街道であったのが本町通り。倉敷川畔から一本入った道である。昔の街道であるから道幅は狭い。その両側に町家が立ち並ぶ。
大原家の住宅と迎賓館のあいだを入ってぶつかるところ、石造りの中国銀行のあたりから歩く。街道を歩くと言っても、実際は300メートルばかり行って戻ってきた、という程度であるが。

右は食堂。左は布製品を扱う店のようだ。
ここらあたりはまだ人通りがある。

昔の街道筋である。

左は不動産屋。右は畳屋である。

分かりづらいが、右側の中ほどに「宅地買います」という看板が出ている。
すぐ前にも不動産屋があった。倉敷では不動産、動いているのか。

右側に提灯屋がある。
夕刻5時を過ぎたころであった。ほとんどの店は閉めていた。ここらあたりでは、通る人も少なくなった。

この店は明かりが点いていた。如竹堂という看板がかかる。
如竹堂、紙製品を扱う店。だが、メーンの扱い製品は、カモ井加工紙のカラーマスキングテープ。今、大原美術館とのコラボをはじめ倉敷の町中のあちこちを覆い彩っているカラーマスキングテープ・「mt」である。何百種というカラーマスキングテープ・「mt」を置いているそうだ。
マスキングテープ一本で商売を。驚く。
そう言えば、「mt」のメーカー・カモ井加工紙も大正時代に創業した企業で、元はハエ取り紙を造っていた、と大原美術館の元気印のボランティアの女性から聞いた。ハエ取り紙からカラーマスキングテープへ、目の付けどころが凄い。
メーカーにしろそれを主要な商品としている店にしろ、大したものだ。「人の行く 裏に道あり 花の山」って、こういうことであろう。

左側に石段の数は大したことはないのだが、えらく急な階段があった。十数段の。上の方には「八幡宮」と記された幟。もちろん、登らなかった。

暫らく歩き、来た道を戻る。
ここらあたりには、人影はまったくない。
昔の街道筋、道路は舗装されている。が、両側の建物は、おそらく100年前とさほど変わらないのじゃないか。

杉玉が三つもさがっている。
ガラス戸には、金文字で「森田酒造場」と書かれている。造り酒屋である。たしかに、そのような面構え。
なお、左に見える「高田屋」は、焼き鳥屋。提灯に灯が入っている。

工事中。テントで覆われている。
<重要文化財 井上家住宅 主屋ほか4棟 保存修理工事>、と記されている。
井上家住宅は、大原家住宅、大橋家住宅と並び、国の重文となった建造物。

こういう説明書きがある。
記述中、「古禄」という言葉がある。「古禄」、倉敷では江戸時代前期からの豪商のことである。
大原家も大橋家も倉敷の豪商である。が、大原家も大橋家も、江戸後期からのいわば新興商人なんだ。だから彼らは、「新禄」と呼ばれる。
で、井上家、「古禄」を誇る。しかし、明治の代となり近代化されていく中、倉敷から全国区となっていったのは、大原家であった。財閥ということにとどまらず、社会活動の面においても。
それはそれとし・・・

井上家主屋の平面図。

ここを通り・・・

ここへ戻ってきた。
大原家住宅と迎賓館を通した先、大原美術館本館のファサードが見える。

看板には、「茶道具一式 森江商店」、とある。
5時すぎ、既に閉まっている。