神戸散歩(9) 白鶴酒造資料館。
司馬遼太郎の『街道をゆく21 神戸散歩』には、「布引の水」、素晴らしい水質の神戸の水、神戸に寄港する外国船が喜ぶ「コウベ・ウォーター」、また、その水を商う「水屋」のことは細やかに記されているが、灘五郷の酒造についての直接的な記述はない。
<水は、生で飲むのも、酒(西宮の宮水)にして飲むのも、六甲山系から湧き出る水がいい。>。<西宮をはじめ灘五郷にも、江戸時代、酒造家に水を売る「水屋」という商売があったから、水を売ることは、・・・・・>。灘五郷の酒造については、かろうじてこのふたつのフレーズがあるのみである。
日本一の酒どころ・灘五郷と言われるが、「灘」という地名は江戸時代から使われてきた、と「灘の酒蔵」パンフにある。
五郷、五つの郷である。東から、今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、そして西郷の五郷である。そこに30ばかりの造り酒屋があり、その中、7つの酒造所が資料館や記念館として公開されている。駅から一番近い御影郷の白鶴酒造資料館へ行った。
三宮から阪神電車で住吉駅で降り、徒歩5分となっている。特に白鶴好みというワケではないが、ともかく近いのがいい。資料館自体、面白かった。
白鶴、創業は寛保3年(1743年)。280年近くの歴史を持つ。
後ろの壱号蔵が資料館となっている。
ここから入る。
正面に大きな桶が。
大桶。33石、一升瓶だと約3300本が入るそうだ。
これは・・・
このようなもの。
米を蒸す桶なんだ。
酒造りの行程。
上の写真は「蒸米」の過程。
さまざまな桶がある。
阪神電車の駅から資料館へ来る時、私を追いこしていった白人の若い男、しきりに写真を撮っている。
大桶は滑車で上にあげるようだ。
白鶴、山田錦の兄弟分の白鶴錦という品種を作出したそうだ。
それにしても、山田錦が大正12年生まれで白鶴錦が平成19年生まれ、ずいぶん年の離れた弟だ。
奥の方に見える容器は「大砲」と呼ばれるもの。杉材でできている。5石、一升瓶約500本が入る。今のタンクローリーの前身だ。
白鶴のあゆみが掲示されている。
寛保3年(1743年)創業以降の。
元は材木商か。材木問屋、造り酒屋、江戸期の富商の典型だ。
現在まで。
2階への階段のそばに「草履差し」がある。
杜氏以下11の職階の草履が上から差しこまれている。
2階へ上がる。
「放冷」の次の行程か。
向こうを見る。
これ大桶をあげる滑車だ。
阿弥陀車と言うらしい。
その先。
櫓。
1階での「蒸米」の蒸気を逃すもの。
2人の職人が酒母をすりつぶしている。
酒蔵の中だ。
「腨入れ」。
「樽詰」。
大正時代か。
右は、「酒造道具入用勘定帳」、寛保3年(1743年)。
左は、「酒株譲り証文之事」と記された証文。安永3年2月と記されている。1774年の証文である。
試飲コーナー。
うめ酒やゆず酒もあるが、まず日本酒から試飲してくれ、と。
たしかにそう。そうでなければ日本酒の旨さがなくなってしまう。
売店。
団体さんが来ると売れるのであろう。
注連縄が、そして杉玉の下がる出入口から出る。
歩いておそらく15分ばかりのところに、菊正宗の記念館があるが行かなかった。
酒造りの模様、白鶴の藏で十分堪能した。